サブリミナル効果出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』サブリミナル効果(-こうか)は潜在意識、意識と潜在意識の境界領域に刺激を与える事で表れるとされる効果。ただし科学的にはまだ証明されておらず、効果を疑問視する学者も多い。映画やテレビ放送などでは、使用を禁止されている。
発端 [編集]歴史は古く、19世紀半ばから実証研究が始まった。当初は知覚心理学だけの領域であったが、現在は広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学等幅広く様々な関心から研究されている。未だに謎は多いが、長年の研究の蓄積は大きい。 1957年にマーケティング業のジェームズ?ヴィカリが、ニュージャージー州フォートリーの映画館で上映された映画「ピクニック」のフィルムに「コーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」とメッセージが写ったコマを5分ごとに繰り返し挿入し、売上に影響があるかを測定した実験が有名である。フィルムの一コマを人間が認識する事は不可能と考えられる(後述)が、この映画を上映したところコーラとポップコーンの売上が増大したとされる。だがこの実験がどのような環境で行われたか、アメリカ広告調査機構の要請にも関らず、きちんとした論文は存在しない。1962年、ヴィカリ自ら「マスコミに情報が漏れ過ぎた。実験には十分なデータが集まっていなかった」と実験結果の懐疑性を告白している。そもそも、この実験自体が実際に行われた証拠がジェームズ?ヴィカリの証言以外になく、映像技術的にも当時の技術水準では難しいと考えられ、創作話もしくはメタファーであった可能性が高い。 定義 [編集]多くの論文において利用される定義によれば、サブリミナル効果とは閾値以下の刺激によって生体に何らかの影響があることである。十分に知覚できる長さの刺激によって引き起こされる効果は、スプラリミナル知覚の影響と考えるのが一般的である。 一方で、閾上の刺激でもサブリミナルを考えることができ、"注意が向いておらず「見えた」という自覚がなければよし"という定義も可能だと主張する研究者もいる[1]。そのような議論の中では、埋込み広告の中にあるパッと見て理解できるメッセージ以外もサブリミナルだとされる。 原理 [編集]外界から入力された視覚的情報は、諸々の神経伝導路を経て大脳皮質の視覚野で知覚される。この伝導にかかる時間はおよそ0.1秒である。また大脳皮質の視覚野の時間的な二点弁別能もおよそ0.1秒であり、それより短い時間で完結した現象は不正確にしか認識することができないとされる。一方、サブリミナル効果を与える時間はおよそ0.03秒である。0.1秒よりも短い0.03秒では大脳皮質視覚野が感知することのできる閾値を下回っており、サブリミナル効果をその意図した通りに認識することは原理上不可能であると考えられている。 閾値以下の長さの映像によって人体にある種のストレスがかかることが報告されている。しかしその差し込まれた映像が意味する内容について方向性のある反応が起きるわけではない。例えば異性の裸が差し込まれると性的に興奮したり、特定銘柄の清涼飲料水の映像が差し込まれると、他の銘柄よりその銘柄についての購買意欲が高まることが証明されているわけではない。閾値以上の連続的な映像との違和感を感知しているだけと考えられている。 影響 [編集]日本のテレビ放送での使用 [編集]1995年5月、TBSのオウム真理教関連番組内で、教団代表?麻原彰晃の顔等の画像が無関係な場面で一瞬に何度も挿入された。TBSはサブリミナル手法を番組テーマを際立たせる1つの映像表現として用いたと述べたが、非難が集中し、郵政省は同年7月21日、TBSに対し厳重注意を行った。これを受けて、TBSは「視聴者が感知出来ない映像使用はアンフェアであった」と謝罪した。日本テレビ系列のテレビアニメ『シティーハンター3』第11話(1989年12月24日放送)でも麻原の顔が1フレームだけ挿入されていたことが判明し、同じく厳重注意を受け謝罪している。ただし、1980年代初め『うる星やつら』の頃から当時のアニメ作品では内容に無関係なカットやメッセージを挿入することはスタッフの“お遊び”的要素で当たり前のように用いられていた。この日本テレビの件は挿入されていたのがたまたま麻原の顔だったため注目を集めたと見るべきだろう[2]。 この事件以後テレビ局の規制が厳しくなり、メッセージはほとんど見られなくなったが、その後も何度か問題視されている。2004年2月、テレビ番組「マネーの虎」(日本テレビ)のオープニングに一万円札が、同時期の深夜アニメ『エリア88』(テレビ朝日)のオープニングに倒れている人や「WAR」「ATTACK」といった暴力を連想させる英単語が一瞬映っているとして連続で報道された(どちらも報道後メッセージ性がないものに差し替えられた)。 番組ネット時の問題 [編集]同時ネットなどにより系列局などが制作した番組を放送する場合、わずかなタイムラグによってコマーシャルなどが一瞬だけ映る現象がまれに発生する。通常は問題にならないが、2004年に『SMAP×SMAP』(関西テレビからフジテレビ系列各局に同時ネットされる)でこの現象が発生し、週刊誌などで「サブリミナル疑惑」と報じられたことがあった。 その他 [編集]2000年アメリカ合衆国大統領選挙のブッシュ候補のテレビコマーシャルで、ゴア候補の映像と共に「RATS」(ならず者?裏切り者)の文字が一瞬映り、サブリミナル効果ではないかと問題視された。実際は「BUREAUCRATS」(官僚)という単語が現れる瞬間に最後の4文字だけが映ったためであり、行政処分や選挙違反などの対象にはならなかった。 音楽においてもサブリミナル効果による事件と呼ばれるものがあり、代表的なものに1986年、ヘヴィメタルバンド、ジューダス?プリーストの曲を聴いていた少年2人が銃を用いて自殺を図った事件やオジー?オズボーンの曲にサブリミナル効果が含まれているとされたものがある。しかしこれらを含む事件の全ての裁判において、アーティスト側が勝訴している。 2009年、NHKスペシャルのプロジェクトJAPANのJAPANデビューのOPが0.3秒のカット[3]、大河ドラマ天地人において0.2秒のカットが用いたことに対して、サブリミナル効果を指摘する声が上がった[4]。 国内の放送基準 [編集]1995年9月26日に日本放送協会(NHK)が、1999年には日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止する事を明文化した。 関連作品 [編集]
関連項目 [編集]脚注 [編集]外部リンク [編集]
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坂元章 お茶の水女子大学 大学院人間文化研究科 タイトルをご覧になって、正気かと思った読者もいるのではないかと思う。サブリミナル効果とはいかにも偽科学的であり、真面目に考えているのかと、ご立腹の読者もいるかもしれない。 しかし、私は真面目なつもりである。教育においてサブリミナル効果を有効利用する可能性を模索したらどうか、少なくとも、それを研究することには意味があるのではないかと私は考えている。
サブリミナル効果とは何か? 1995年5月、TBSのオウム真理教関連番組の中で、サブリミナル効果を狙った手法が使われたことを記憶している読者も多いであろう。この番組では、教団代表の麻原彰光被告の顔などのカットが、無関係な場面で挿入されていた。挿入時間は一瞬であり、カットは、気をつけていない限りは、ほとんど気がつかないものであった。TBSは、こうした「サブリミナル手法」を、番組のテーマを際立たせるための1つの映像表現として用いたと述べているが、いずれにしても、この行為は厳しく非難されることになり、郵政省はTBSに対して「厳重注意」の行政指導を行い、TBSのほうも「視聴者が感知できない映像の使用はアンフェアであった」と謝罪している。 この事件のように、サブリミナル効果はしばしば、世間の注目を集めてきた。現在ではもはや、サブリミナル効果が何であるかは常識であるかもしれない。しかし、念のため、それについて説明をしておこう。 サブリミナル効果とは、意識されないレベルで呈示された刺激の知覚によって生体に何らかの影響があることである。例えば、ある映像刺激が20ミリ秒以上の長さで呈示されたときには、それを知覚したことが意識できるのに対し、それ以下では意識できないとしよう。この場合、もし、刺激が20ミリ秒以下で呈示されれば、それをサブリミナル刺激と呼び、それに対する知覚がサブリミナル知覚である。サブリミナル効果とは、サブリミナル知覚の効果のことである。なお、サブリミナル知覚とは逆に、意識されるレベルで呈示された刺激の知覚は、スプラリミナル知覚と呼ばれる。 サブリミナル効果の例を挙げよう。かつて、知覚心理学の領域では、錯視図形を用いて、サブリミナル効果を実証する実験がしばしば行われた。 典型的なものとして、ミューラー?リアーの錯視図形を使った実験がある。この錯視図形は、図1の(a)にあるように、本当は同じ長さである2つの線分が、矢羽をつけることによって、長さが異なって見えるというものである。実際に、(b)にあるように、2本の線分(イとロ)はもともと、同じ長さである。それに、(c)にある矢羽をつけると、(a)のようになる。(a)と(b)を比較すると、イとロの長さは変化しておらず、(a)においても、イとロは同じ長さであることが分かる。しかし、(a)だけを見ると、イのほうがロよりも、どうしても長く見える。 この図形を利用して、次のような実験が行われてきた。図2にあるように、A、B、Cの3点をスプラリミナル呈示し、点線にあるような矢羽をサブリミナル呈示する。矢羽はサブリミナル呈示されているので、被験者には3点しか見えない。その状態で、ABとBCの線分が等しくなるように、被験者にC点を移動させた。その結果、被験者は、線分ABよりも、線分BCが大きくなるところにまでC点を動かした。これは、見えていないはずの矢羽が影響を与えていることを示している。この結果は、サブリミナル効果の存在を示すものである。
サブリミナル効果は存在するか? この錯視図形の実験もその1つであるが、サブリミナル効果は、学術的な世界で真面目に研究されてきたものであり、きちんとした方法を用いた科学的な実験が数多く行われている。研究の歴史は古く、19世紀の半ばから実証研究が始まり、今日に至っている。当初は、知覚心理学の領域だけで研究されていたが、現在では、広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学などの幅広い領域で、さまざまな関心から研究が進んでいる。現在でも、サブリミナル効果の実像は十分に解明されたとは言えないが、サブリミナル効果に関する研究知見は蓄積しつつある。 冒頭に挙げたように、世間では、サブリミナル効果を偽科学的なものとして見なす場合があるが、それは、決して正しくはない。サブリミナル効果は、それがあるかないかと問われれば、これまでの実証研究の知見によって、確実に「ある」と言えるものである。ただし、条件によって、サブリミナル効果が認められる場合と、そうでない場合があり、どのような条件でサブリミナル効果が強くなるかは単純ではなく、現在のところ、十分に明らかにされていない問題である。 サブリミナル効果の研究は、結局のところ、それがあるかないかという問題に主眼があり、サブリミナル効果が強くなるのは、どのような場合であるかという問題については、あまり研究されていない。サブリミナル刺激の性質、サブリミナル呈示の仕方、知覚者の性質など、いろいろな要因がサブリミナル効果の強さに影響する可能性があるが、それらに関する組織的な研究は非常に乏しい。 それでも、大まかに言えば、以下のような要素は、サブリミナル効果の強さに関連していると見られる。 第1に、サブリミナル効果を検出した研究は、主として実験室実験であり、現場実験では、それはあまり検出されていない。これまでに、現実のテレビ放送でサブリミナル映像を流し、その効果を調べる現場実験がときとして行われたが、そこでは、サブリミナル効果は検出されていない。実験室実験では、被験者はテレビ画面に集中し、それを常に注目するようにされるが、現実場面のテレビ視聴者は、そのように集中しているとは限らない。テレビ画面をしっかり見ていなければ、サブリミナル映像の効果は必然的に弱くなるであろう。 第2に、サブリミナル効果は、認知?感情面に関しては多くの研究によって検出されているが、行動面での効果を示した研究は少ない。それゆえ、サブリミナル刺激は、物や人の見え方や、それに対する好悪あるいは評価などの認知?感情面には影響するが、実際の行動に対する影響は少ないと考えられる。これは、例えば、ある商品をサブリミナル広告で宣伝した場合、その広告は、その商品がよい商品であるとか、それが好きであると思わせることはできるが、実際にその商品を買わせることはできない、ということである。 これらのことは、サブリミナル効果について最も心配された問題―-商品や政治家のサブリミナル広告によって、消費者や有権者が意識しないまま、特定の商品を買ったり、特定の政治家に投票してしまうこと―-は、心配する必要が比較的少ないことを意味している。サブリミナル効果を、現実場面で、しかも行動にまで及ぼすことは難しいのである。しかし、これは逆に言えば、視聴者がテレビ画面に集中する状況で、しかも、認知?感情面に影響を与えれば十分と言うのであれば、サブリミナル効果の生起はそれなりに期待できるということになる。
サブリミナル効果の教育利用 教育場面では、この条件に合致する場合がある。こうした場合には、サブリミナル効果の利用可能性が生まれてくる。 例えば、北フロリダ大学のワラース氏たちは、1991年に興味深い研究を発表している。彼らは、新しいテキストエディターを作成し、そこに、これまでのエディターには全く見られなかった工夫を施した。 新しいエディターを使うとき、われわれはどうしても、コマンドなどの利用法を調べるために、ヘルプ画面を開いて、それを参照することになる。ヘルプ画面を開くことによってテキスト処理のほうは中断されるので、ヘルプ画面を開くことはテキスト処理にとっては障害になる。できるだけヘルプ画面を開かないで済むほうが、テキスト処理にとっては効率的である。 そこで、彼らは、彼らの作成したエディターで、ヘルプ画面を断続的にサブリミナル呈示した。もし、このことによって、ユーザーがヘルプ画面の内容を知らず知らずのうちに吸収できるのであれば、ユーザーは、わざわざヘルプ画面を開いて、それを参照しなくてもよいことになる。しかも、ヘルプ画面はサブリミナル呈示されているので、テキスト処理の邪魔になることはない。こうして、ユーザーはエディターの利用をより早く学習できることになる。 こうしたアイディアは、非常に興味深いものであるが、彼らが48名の大学生を対象として行った評価実験は、このエディターの有効性を明確には示せなかった。彼らは、被験者がこのエディターを使った場合(ヘルプ画面条件)と、サブリミナル呈示する画面を無意味な内容にした場合(無意味画面条件)、サブリミナル呈示をしない場合(画面なし条件)を比較して、どの条件で、テキスト処理中にヘルプ画面を開くことが少ないかを調べた。その結果、被験者は、ヘルプ画面条件、無意味画面条件の被験者よりも、確かにヘルプ画面を開くことは少なく、サブリミナル効果が存在していることは裏づけられたが、ヘルプ画面条件と画面なし条件を比較した場合にははっきりした違いがあるとは言えず、彼らのエディターが、通常のエディターよりも、効果的であるという結果は得られなかった。 このように、彼らの結果は明確でなかったが、しかし、これだけを以って、こうした試みに意味がないとは言えない。先述のように、どのような条件でサブリミナル効果が強まるかについては研究が進んでいない。ワラース氏たちは、こうした研究知見のサポートを得ることなく、サブリミナル刺激を手探りで作成しているのであり、もっと効果的なサブリミナル刺激を使っていれば、彼らのエディターに、より明確な効果があったかもしれない。 ユーザーが彼らのエディターでテキスト処理をしているとき、ユーザーは画面に集中している。また、ここでは、ヘルプ画面の内容の学習という認知面でのサブリミナル効果が想定されている。先述したように、これは、サブリミナル効果の生起が期待できる状況であり、彼らのエディターにはまだ可能性がある(少なくとも、それを否定するのはまだ早い)ように見える。 このエディターの場合だけでなく、サブリミナル効果の生起が期待できる状況は、教育場面ではしばしばあると思われる。それゆえ、サブリミナル効果の教育利用の研究はもっと行われてよいのではないかと私は考えている。現時点では、こうした研究は非常に少ない。また、そうした応用研究のために、サブリミナル効果の基礎研究がもっと盛んになり、その生起に影響する要因がより明確に特定されることが望まれる。 ただし、サブリミナル効果を実践的に利用しようとしたとき、いくつか注意すべきことがある。例えば、サブリミナル刺激は、それが自分の望まないものであったとしても、それを提供されていることは分からない。それゆえ、サブリミナル刺激によって教育を提供しようとする場合、その提供者は、学習者から、そのことについて同意を得る必要があるし、何を呈示しているかを学習者が確認できる手立ても同時に提供する必要があるであろう。また、このことによって、サブリミナル効果の教育利用を検討する研究では、サブリミナル刺激が提供されていることを学習者が事前に知っている場合でも、サブリミナル効果があるかどうかを検討する必要があるということになろう。 誰もが、努力しないで楽に学習できることを夢見てきた。サブリミナル効果は、こうした夢の技術であるかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、可能性がある限り、それを研究することは無意味ではないであろう。最も無意味なのは、夢でしかないと思って、最初から研究をしないことである。 |
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