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图说意大利社会共和国(RSI)军服

 tjhx0526 2012-09-03

このRSI“フォルゴーレ”(電光)連隊第2空挺大隊“ネンボゥ”(黒雲)兵士はグレーグリーンのM41型カラーレス野戦服(イタリアサージ製)の下に、純正ドイツ空軍トロピカルパンツを着用し、ベルト&バックルもLWで決めている。このサージ生地は、ドイツの将校用と違い裏地が起毛していて防寒性が高く42年以降のイタリア軍の軍服では普通に使われている。ブーツはイタリア空挺の純正品。
这位RSI"folgore"(闪电)联队第2空降营"乌云"的士兵在灰绿色的M41式单色野战服(意大利哔叽制)下,穿着德国空军热带裤,皮带&带扣也用了德国货。这个哔叽质地与德国军官制服的材料不同的是,衣服的里子有绒毛,防寒性很高,42年以后被意大利军队普遍采用。长筒皮靴是意大利空降兵的正规品。

前写真の人物はかなりの独軍マニアだったようで当時でもかなりレアだった履き込み単色胸腰ジッパーポケット無しの極初期型ドイツ空挺スモックとLWベルト&バックルを着用している。またフォルゴレ空挺で黒シャツを着ている例は珍しい。
这张照片里的人物好象是相当狂热的德军爱好者,穿着当时相当稀少的单色的,胸腰都有拉锁口袋的初期型德国空降迷彩服,系着LW皮带&带扣。而且闪电联队空降作战时穿黑衬衫的例子也非常少见。

前の写真の兵士がドイツ空挺のウォーターパターン後期型空挺スモックを着用している。左胸にカポラーレ(伍長)の階級章を付けているが、これはイタリア空挺スモックでも良く見られる。足下のドイツ軍用ブーツにも注目。またこの写真のようにパルチザン向けに投下された軍需物資であるステンMk.II短機関銃も多く捕獲使用されている。デチマ?マス師団NP大隊でよく見られる3連マガジンポーチも興味深い。
照片里的士兵穿着德国空降兵的水波纹后期型空降迷彩服。左胸有个下士的军衔章,这种做法在意大利空降迷彩服中很普遍。脚下的德军长筒皮靴也值得注意。同时象这个照片看到的一样,这种空投下来的适合游击作战的武器--斯登Mk.II机关枪也大量地被缴获使用。还有在Decima Flottiglia MAS 的NP营里经常能看见的3连装子弹袋也很有趣。

前写真に引き続き同一人物が所属のネンボゥ大隊が'44年夏頃ピエモンテ州線で展開中の空挺兵士集合写真。珍しい事に上段左から5人目の兵士はドイツ空挺ヘルメットを被っています。ドイツ軍用98k小銃やMG42機銃装備にも注目。またベレッタM38短機関銃の装備率も高い。
与前一张照片为同一人物所属的[乌云营],'44年夏天左右在皮埃蒙特州战线作战中的空降兵合影。希奇的是,从第1排左面数第5个士兵戴着德国的空降头盔。还有德军的98k步枪和MG42机枪装备也很耐人寻味。还有M38机关枪的装备率也很高。

撮影日時は不明だが'43-'44年にかけてイタリア国内でのRSI空挺部隊の降下訓練時シーン….と思われる。サルバトーレ型パラシュートとハーネスのディテールが良く判る。全員グレー単色の初期型イタリア空挺スモックを着用。
摄影日期和时间不明,估计是'43-'44年间在意大利国内的RSI空降部队的降落训练时候的留影...。萨尔瓦多型降落伞和背带的细节部分也很明显。全体人员都穿着灰色的初期型意大利空降迷彩服。

'44年2月ネットゥーノ戦線に於ける“ネンボゥ”(黒雲)大隊の空挺兵士達。中央と右端の兵士は“サムライ”型マガジンベストを着用。また、多くの兵士はドイツの空挺スモック(迷彩と単色)と軽装サス等ドイツ空軍装備を着用していますが、空挺ヘルメットだけはイタリア軍の純正品で統一されています。
在'44年2月内土诺战线的乌云营的空降兵们。中央和右端的士兵穿着"武士"型弹夹背心。同时,多数士兵穿着德国的空降迷彩服(迷彩和单色)等德国空军装备,不过空降头盔到都戴着意大利军的正规制品。

ネットゥーノ海岸付近の松林でブリーフィング中の第2大隊ネンボゥの小隊。中央の正面を向いているのが小隊長のトマシ?カノーヴァ曹長(Folgore-4の右端と同一人物)で戦死後に戦功章を授与されている。曹長の左にいるのはドイツ空挺兵士のようだが、他は全員イタリア空挺でそれぞれのメットに偽装用のドイツ型のネットや英軍からの捕獲メットネットや純正のイタリア軍ヘルメットカバーなどを着用しているのが興味深い。
在内土诺海岸附近的松树林做简报中的第2[乌云]大队的一个排。朝向中央正面为小队长tomashi?kanova陆军上士(与第4张右端为同一人物),他在战死后被追授了战功章。在他左面好象是德国的空降兵,其他全部是意大利的,但各自的头盔上有的戴着德国的伪装网,有的戴着从英军缴获来的伪装网,还有正规的的意大利军头盔罩等,很是有趣。

ネットゥーノ戦での一コマ。この3人のイタリア人義勇空挺兵士達はまだ16-18歳の若さであった。左のまだ幼さが顔に残る兵士は上下ともLWの熱帯服に腿片ポケット付きの熱帯ズボンを着用。ほとんどドイツ空挺にしか見えない。鷲の胸章を付けたLWのカーキ色熱帯シャツを着用した中央の兵士はまだ包帯を巻いた左脚も痛々しく、左胸ポケットには黒の戦傷章が光っている。短パンにドイツ軍ブーツを直履きの姿。右端の兵士はグレーグリーンのバスコ(ベレー)と黒シャツを着用している。
在内土诺战中的留影。这3个意大利义勇空降兵们还只有16-18岁。左面的乳臭未干的士兵穿着LW的热带服,下面还穿着大腿上有单边口袋的热带裤子。几乎和德国空降兵没什么区别。穿了带着鹰章的LW的咔叽色热带衬衫的中央的士兵左脚还缠了绷带,好象还很疼,在左胸口袋上还有个黑色战伤章。下面只穿了个短裤,然后光脚穿着德军的长筒皮靴。右端的士兵戴着灰绿色的贝雷帽,穿着黑衬衫。

これもネットゥーノ戦線の松林の海岸裏での一コマ。ポーズを取るイタリア空挺将校達、左から大隊長であるアルビーノ大尉とアンジェリチ少尉とフザポリ少尉、そしてP38拳銃を構えるドイツ空挺将校。この手前のドイツ将校が履くサイドポケット付きのドイツ空挺ウールパンツもしばしばRSI空挺での着用例が見られる。
这个也是在内土诺战线的海岸背面的松林里的留影。意大利空降兵军官们都摆好了造型,从左面是作为大队长的arubino上尉还有anjerichi少尉与fuzapori少尉,还有拿着P38手枪的德国空降兵军官。这个跟前的德国军官穿着单边口袋的空降裤,这种毛料的裤子也屡次在RSI空降兵的腿上发现过。

同じく第2大隊空挺兵士達でローマ防衛戦後の'44年夏頃の撮影と思われる。右端の兵士は前の写真の左から3番目の人物。この兵士と左から2番目の兵士は薄手のシャツ生地の様なサファリアナジャケットを着用しています。また中央の兵士の金属製ドイツ空挺章に注目。おそらく10代のこれら若い空挺志願兵達は全員ドイツのフライブルグ空挺学校で降下訓練を受けています。
同样是第2营的空降兵们,估计在罗马防保卫战后的'44年夏天左右的留影。右端的士兵是前面的照片左面第3号人物。这个士兵和左面第2个士兵穿着较薄的类似衬衫质地的狩猎茄克。中间的士兵那个金属制的德国空降章也很醒目。估计这些十几岁的年轻的空降志愿兵们全都在德国的费雷堡空降兵学校接受着降落训练。

'44年ピエモンテ州の山岳地帯で対パルチザン戦に従事するネンボゥ大隊空挺兵士達。左端と右端の兵士はグレー単色のイタリア空挺スモックを着用しているが、左から二人目の兵士は単色のドイツ空挺スモックを、また右から二人目の兵士はスプリンターパターンのドイツ空挺スモックを着用して腰のLWバックルを付けたベルトに独軍卵型手榴弾をぶら下げカルカノ弾薬ポーチを付けている。これはマガジンポーチの代用でバラ弾を入れていたものと思われる。….
'44年在皮埃蒙特州的山岳地带反游击战中的[乌云]营的空降兵们。最左和最右的士兵穿着灰色的意大利空降迷彩服,左面第二个士兵穿着单色的德国空降迷彩服,右面第二个士兵穿着德国春夏季空降迷彩服,系着带有LW带扣的皮带,还在上面挂着德军的蛋形手榴弹,安着M1938步枪子弹的弹盒。估计这个一般是用来代替普通弹夹带,用来放一些零碎子弹的东西。

左右の鬚を蓄えた二人は兄弟で、ネットゥーノ戦線を闘い抜いたヴェテラン空挺兵士であった。中央の女性補助兵は終戦時にパルチザンに殺害されている。各人が着ているジップアップセーターは現用に比べてやや襟が大きく、色がグレーグリーンである点を除けば大して差がない。左の兵のグレー単色空挺スモックに付けられた空挺服用襟章と両兵士がベルトに下げた革の縁取りのある一体蓋の3連マガジンポーチに注目。
蓄了胡子的左右二人是兄弟,都是经历了内土诺战线的老空降兵。中央的女性辅助兵在战争结束的时候被游击队杀害了。每个人穿着的毛衣和现在用的比,除了稍稍领子大了些,颜色是灰绿色以外,也没有什么大的差别的。左面士兵的灰单色空降迷彩服使用了空降服用的领章,值得注意的还有两位士兵在皮带下吊着的,带着皮革边饰的一体盖儿式的3连装弹夹包。

こちらのRSI第3空挺大隊“アズッロ”(青空)の兵士はブルーグレーのM41カラーレス服に空軍空挺時代の襟章&腕章(降下章)を着用し、左胸にLW熱帯帽用の左向きの帽章を降下章のごとく着用している。
这位RSI第3空降大队"azurro"(蓝天)的士兵穿着青灰色的M41单色制服,佩着空军空降时代的领章&袖章(降落章),左胸带着的好象是LW热带帽的鹰头朝左的帽徽,用它作为空降兵章。

前写真の人物が夏季用カーキ綿製ユニフォーム上下を着用している。シャツの色からもかなり濃い茶系だった事が想像できます。バスコ(ベレー)帽やベルトも共生地製。
照片里的人物与前一张相同,穿着一套夏季用卡其棉制制服。从衬衫的颜色也可以猜到是相当浓的茶色色系。贝雷帽和皮带也使用了同样布料。

'45年4月アルプス戦線近くのFoglizzoに集まった第3大隊アズッロの1個小隊兵士達。主だった空挺兵士達はイタリア迷彩/裏面白のドイツ軍型3ポケットリバーシブル山岳ヤッケを着用している。この生地は軍服用に生産されたもので手触りも柔らかく、テント生地の流用ではない。ピサの空挺学校博物館でこの実物が見れるが、当時写真からはこの第3大隊以外の使用例は確認できない。使用機関銃もMG42以外に英軍のブレン機銃を捕獲使用している事も写真から伺えます。
'45年4月集中在阿尔卑斯战线附近的Foglizzo的第3营[蓝天]的1个排的士兵们。大部分的空降兵们穿着意大利迷彩或是里面白色的德军型3口袋正反两穿的山岳防风衣。由于这个质地是用于军服生产的,所以手感也很软,并不是挪用了原来用来做帐篷的那种材料。在比萨的空降学校博物馆中能看见这个实物,不过从照片上能够见到的当时穿过这种衣服的只有这个第3营。从照片中也可以看出使用的机枪除了MG42以外,还使用了从英军那儿缴获的布郎机枪。

おそらく第3大隊所属と思われるこの空挺兵士の撮影時期は不明だが、特徴あるRSI空挺専用のベルトバックルが良く確認できる。また、この兵士が着ているLWパイロットジャンパーを模したドイツ軍スプリンターパターン生地のジャンパーも興味深い。襟が後で取られたようでカラーレス型になった所に襟章と袖の空挺章が付けられている。このジャンパーとは逆にイタリア戦線にいたドイツ空挺やパイロット達は、イタリア迷彩でこのタイプのジャンパーを作らせていたのが面白い。
这位恐怕是第3营所属的空降兵,但摄影时期不明,不过有特点的RSI空降专用的皮带带扣显而易见。这个士兵穿的模仿LW飞行员夹克而做的德军春季迷彩外套也很有趣。好象是因为做好以后领子又被拿掉而造成无色的地方上,又特意安上了领章和袖子上的空降章。与这个外套做法正好相反的是,在意大利战线上的德国空降兵和飞行员们,却用意大利迷彩制作这种外套。

'45年初頭、仏国境側に於けるフォルゴーレ空挺連隊の兵士達。全員ドイツ軍の防寒服(左端はウォーターパターン?アノラック、右3名は3ポヶ山岳パーカー上下)を着用している為かろうじてバスコ(ベレー)と同連隊の空挺ベルトバックルで確認できます。この“ショッカー型”ベルトバックルのレプリカ写真は別アルバム『趣味の部屋』にアップしていますので詳細はこちらまで。
'45年初,在法国境内的[闪电]空降联队的士兵们。因为都穿着德军的防寒服(左端为水波图形,带风帽的厚茄克,右边的3个穿着3个口袋的山岳罩衫),只能勉勉强强地从贝雷帽和该联队的空降皮带带扣能够看出来他们是空降兵。因为这个"shokka型"皮带带扣的复制品照片在另一本相册,『爱好的房间』已经提到,所以这儿就不赘述了。

このイタリア空挺兵士は'44年初頭にドイツ空挺の一員としてモンテ?カッシーノ戦線で闘ったと語っていました。この写真の撮影時期は'44年の後半時期だと推測されるが、まったく純正のLW熱帯ジャケットにRSI空挺のカフタイトル“PER L'ONORE D'ITALIA”を巻いている所が非常に興味深い。また、布製空挺章はドイツのフライブルグでの降下訓練に由るものです。それにしてもこのような隠れた兵士が1級鉄十字章を授与されている事は一驚に価いします。
据说这个意大利空降兵在'44年初作为德国空降兵的一员在蒙特卡西诺战线中参与了战斗。这个照片的摄影时期推测是在'44年的下半年,不过完全正规的LW热带茄克却缠上了RSI空降的袖标,"PER L'ONORE D'ITALIA"这一点很值得研究。同时布制空降章来自于在德国费雷堡的降落训练。不过就算这样这位士兵能够被授予1级铁十字章也难得了。

おそらく'45年3月頃撮影のフォルリ突撃第一大隊の将校写真。胸に付けた一級鉄十字章と二級鉄十字章のリボンに注目。フォルリ部隊の将兵は写真のようなデチマ?マス部隊タイプの前合わせボタン露出タイプのカラーレスウール戦闘服をよく着用しています。この将校は更に毛皮をインナーとして内張りしており、これは当時よく見られる個人改造です。赤の長方形に髑髏バッジをつけた独特の同部隊襟章にも注目。この長方形の比率も数種類が確認できます。また、右後方のバスコを被った兵士は前にしかポーチが無い簡易型”サムライ”マガジンベストを着用しています。
这张估计是'45年3月左右摄影的佛利突击第一营的军官照片。胸前戴着的一级铁十字章和二级铁十字章的饰带值得关注。在佛利部队的官兵中经常能看到穿着象照片一样的Decima MAS部队类型的,前后固定钮扣露在外面的单色羊毛战斗服。这个军官甚至将毛皮作为忖里镶在衣服内侧,这是当时很常见的个人改造。还有这种独特的部队领章也值得关注,它是在红色的长方形上安了髑髅徽章。这个长方形的长宽比率也有好几种款式。另外右后方戴着贝雷帽的士兵穿着只有正面的简易型”武士”弹夹背心。

これもおそらく'45年3月頃撮影のフォルリ突撃第一大隊の将兵の勲章授与の模様。フェデリーギ大尉から勲章を授与される若い兵士のポケットフラップ上の剣くわえ髑髏バッジの左に確認できるサルディニア?シールドに見えるバッジに注目。このバッジはそもそもドイツ陸軍90PzDの将兵用に制定された物で、116PzDの有名なグレーハウンドバッジと同様なキャップバッジとして使われたようだが、何故このフォルリの兵士が着用しているかは不明です。
这个也恐怕是'45年3月左右摄影的[闪电]突击第一营的官兵授勋仪式上的情景。请注意正被federigi上尉授予勋章的年轻的士兵的口袋襟翼上的叼剑髑髅徽章的左面,有个看上去象是撒丁尼亚盾的徽章。这个徽章好象原本是由德国陆军90PzD的官兵定制下来的东西,也曾经作为116PzD里有名的格雷伊徽章一样作为帽章使用过,可是为何这个佛利的士兵也戴着它就不是很清楚了。

フォルリ突撃第一大隊は'45年3月から終戦にかけてドイツ陸軍の293ID、278ID、333IDらと共にボローニャ-フェラーラ-ヴィチェンツアと転戦して5月2日に米軍に降伏しています。同部隊は編成上ほとんどドイツ陸軍の一地上部隊として扱われていたようで、装備火器もMG-15機銃地上戦型を中心に一部MG-34を使い、主力小銃もモーゼル98kという7.92mm編成であった。パンツァーファーストの装備率も高い。また個人装備もドイツ軍型でタン色人造革ケース付平スコップなどをほとんどの兵が装備しているのが写真からも伺えます。写真中央に同部隊の二人の儀礼用マスコット少年兵の顔が見えます。
佛利突击第一营从'45年3月到战争结束为止与德国陆军的293ID,278ID,333ID们一起,在博洛尼亚,费拉拉,维琴查等四处转战,在5月2日向美军投降。该部队的编制几乎被当做了德国陆军的一只部队,装备的武器也从MG-15机枪的陆地作战型做为中心,另一部分也使用MG-34,主力步枪也是由毛瑟98k的7.92mm等武器组成。铁拳的装备率也很高。另外从照片上可以看出个人装备中,德军拥有的带着暗红色套子的铁锹他们也基本上都有。从照片中央还可以看见该部队的作为礼仪代表的两个少年兵的脸。

この東部戦線帰りの曹長は当時のマニアだったようで、イタリア純正のM40服を改造した物にローカルメイドの襟章を付け、ボタンはドイツ軍の物に全て取り換えている。また下士官正帽も私製で髑髏の記章は顎に墨入れのしてあるミラノ?ロリオリ社製のタイプです。まさに当時のコスプレーヤーの鑑でしょうか。
这个从东部战线回来的陆军上士是好象当时的军服控,把意大利正规的M40衣服改造了后,又加上了本地定做的领章,钮扣全部换成了德军的。而且军士用正帽也由于是个人定做的,所以髑髅章也是由在照片下面写的,Milano.roriori公司做的。这位的确能称得上当时COS者的偶像了.

'44年初めの頃と思われるSS伍長の写真。'44年夏以降には黒襟章に代わるのですが、この兵士はイタリアSS初期の赤の襟章を着け両面階級章にしています。
这张估计是'44年初时的SS下士的照片。'44年夏天以后虽然已经被替换为黑领章,可是这个士兵还带着意大利SS初期的红的领章和两面军衔。

この下士官達はM41襟無し服や通常の将校服など混在使用しているが、全て赤い襟章を着用している点に注目。右襟はSSルーンではなく、ブランクの様だ。また腕の鷲章も赤ベースと思われる。
这些下士官们穿着没有领子的M41制服和通常的军官服等,不过值得注意的是他们全部使用红色领章。右领子不是SS闪电,而是空白的。还有手臂上的鹰章看上去也象红底的。

この兵士もMVSNで良く見られた一枚つばのウール製ブスチナに金属髑髏を付け、M40野戦服に赤ブランク襟章とSS兵長の階級章付赤襟章を着用している。
这个士兵也戴着在MVSN经常能看见的的羊毛制帽和金属髑髅,穿着M40野战服,配着红色的空白领章(右)和SS上等兵军衔的红色领章(左)。

前写真と同一人物だが、服はM41襟無し空挺型野戦服で同様に赤ベースの襟章を着用。ただ、このカラーレス服はしたポケットにプリーツが入った独特な形状をしている。
野戦帽はイタリアサージ生地で作られたDAK型の帽子にイタリア軍のマッシュルームボタンを2個飾りに付けている。
与前照片为同一个人物,不过衣服是M41型无领空降型野战服,同样是红底的领章。只是这个单色衣服下面的口袋有褶,这个是个独特的设计。
野战帽是用意大利哔叽材料做的DAK型的帽子,装饰着2个意大利军的蘑菇型钮扣。


この射的屋で構える写真は、他でも良く見掛けるので同じ店で撮られた物かも知れない。
この兵長もMVSN型の一枚つばのブスチナ略帽を被っているが、M41襟無し服には黒ベースの記章や肩章を着用している。
这个在射击场摆POSE的照片,因为其他同样的布景的照片看见过很多,说不定是在同一个地方拍的。
这个上等兵也戴着MVSN型的略帽,不过没有领子的M41制服上是黑底的军衔和肩章。


左のSS伍長はドイツ軍の純正M40ウール服(6個ボタンにも見えるのでその場合はM41型)にSSルーンの無いブランクの右襟章を着用。右の兵士は襟無しのM41ウール服に元来は無い肩章を付けて着用している。二人共おそらく襟と肩章のタッセルはイタリア軍の金色の物と思われる。
左面的SS下士穿着德军的正规M40羊毛制服(如果是6个钮扣的话,那就是M41形),带着没有SS闪电的空白右领章。右面的士兵在没有领子的M41羊毛制服上加了一对本来没有的肩章。二人的军衔绣边估计都是是意大利军的金色。

この兵士は通常のイタリア軍M40ウール服を着ているが、襟章に三本の矢にサークルを組み合わせた29SS独自の部隊章を着用している事に注目。これはアンツィオ?ネットゥーノ戦の武功を認められ'44年夏に制定された物だが、部隊全員が付けているものでは無く、アンツィオ?ネットゥーノ戦で闘った古参の兵士達に限られていたようだ。
这个士兵穿着普通的意大利军M40羊毛制服,不过值得注意的是右领章上有以三根箭组成的29SS独有的部队章。这是为了表彰他们在安齐奥-内土诺战的表现而在44年'夏天做出来的东西,而且不是部队全体人员都有,只有参加了安齐奥-内土诺战的老兵们才能佩带。

これも三本の矢の金属章付き襟章を着用したアンツィオ戦のベテラン兵士。
这位也是带着有三根箭金属章的领章的参加了安齐奥战的老兵。

'44年11月、コモ湖南方でイタリアSS擲弾兵旅団を閲兵する独ヴォルフSS大将(右)とRSIグラッツィアーニ元帥(左)。列の中には、二つのロシア戦線従軍章(CSIRクロスとフロントルッソバッジ)を胸に付けた兵士も確認できる。
'44年11月,在科摩湖南面检阅意大利SS掷弹兵旅的德国vorufu SS大将(右面)和RSI的gurattsiani元帅(左面)。在队列的中间可以看见有在胸上安上了两个俄罗斯战线随军章(CSIR十字与furontorusso章)的士兵。

1944年3月、北イタリアで47/32対戦車砲の訓練を行うイタリアSSの対戦車部隊。
兵士達は、ヘルメットに泥を塗り、イタリアM29迷彩ポンチョをウール野戦服の上から着用している。
1944年3月,在北意大利进行47/32反坦克炮训练的意大利SS反坦克部队。
士兵们在头盔上涂着泥,在羊毛野战服上面穿着意大利M29迷彩雨披。


フィレンツェの治安系部隊ブリガータ?ネーラ(黒い旅団)の若い兵士とドイツ警察部隊兵士とのシンボリックな一枚。このBBNNの兵士は部隊独自の迷彩ジャケットに逆三角形のフィレンツェのゆりの花の紋章をあしらった部隊記章を着用している。
佛罗伦萨的治安类部队burigata、—la(黑色旅)的年轻士兵与德国警察部队士兵的象征性的一张合影。这个BBNN的士兵穿着这支部队独有的迷彩茄克,带着逆三角形的,用佛罗伦萨的百合花设计出来的部队章。

典型的なBBNNタイプの横向きデカ髑髏帽章を黒の野戦帽に付けたミラノのブリガータ?ネーラ“アルド?レセッガ”の兵士。黒のジップアップセーターに同部隊の胸章が確認できる。また、左腕に同部隊のシールドを着用しているところを見ると'44年末-'45年にかけての撮影と思われます。ドイツ軍型(ただし尾錠は伊軍型)の独特なレギンスに注目。またドイツ軍の山岳スキーズボンのように見える裾を絞ったシルエットのズボンも興味深い。
戴着标有典型的BBNN类型横向大髑髅帽徽的黑野战帽的,米兰的黑色旅"arudo?resegga"的士兵。在黑毛衣上还能看见该部队的胸章。同时从左臂带着部队的盾章来看的话,估计是'44年末-'45年间的摄影。系着德军型(不过搭扣为意大利军型)的独特裹腿。而且有趣的是,看起来还穿着好象是缩了裤脚的德军山岳滑雪裤般的紧身裤。

まだ顔に幼さの残る若いBrigata Nera(黒い旅団)の二人の兵士。両名共にRSIの官報に記載されていた最終型のグレーグリーンのコートを着て、黒のドイツ軍規格帽型野戦帽にBrigata Nera部隊だけに見られる大型の横向き剣くわえ金属髑髏を着用している。左腕の金属プレート型シールドからジェノヴァの第31黒旅団“Silvio Parodi”の所属と判る。
还稚气未脱的两位黑色旅的年轻士兵。两名都穿着RSI的留有正式记载的最后一种款式的灰绿色大衣,戴着只有在黑色旅部队里才能看见的,大号侧面叼剑金属髑髅的黑色德军制帽式野战帽。从左臂金属片型的盾形章上可以看出是热那亚的第31黑色旅"Silvio Parodi"的士兵。

1944年10月、対パルチザン戦に展開したマントヴァの黒い旅団“マルチェロ?トゥルチェッティ”の兵士達。肩パッドが無く胸ポケットが小振りで四角いGNRタイプの襟無しM41型ウール服を着用し、襟や帽章に独SS部隊の金属髑髏章が使用されている。
右の将校は二重の電光M型のモールドが入った独軍式バックルを着用し、左の兵は独SSバックルを使用している。
また、兵達は迷彩ヘルメットと左右から出し入れ出来るが、前5本のポーチしか付かない簡易型の“サムライ”マガジンベストを装備している点が興味深い。
1944年10月,进行反游击作战中的曼托瓦的黑色旅"maruchero?turuchetti"的士兵们。穿着没有肩垫的,带有小小的四四方方的GNR式胸口袋的,没有领子的M41式羊毛制服,领子和帽徽用的是德国SS部队的金属髑髅章。
右面的军官系着双重的闪电M型德军式带扣,左面的士兵是德国SS带扣。
另外有意思的是士兵们戴着的迷彩头盔,还有挂着的这种虽然从左右都可以插取,可是只能放前面5个弹夹的简易型的"武士"弹夹背心。


ドイツの治安警察の役割を果たしていたRSI警察兵達。サファリアーナ型のウールジャケットに赤の長方形襟章にグラディオ徽章を着用している。グレーグリーンの野戦帽上の徽章は一見ファシスを掴んだ鷲の第29イタリアSS師団の袖章に似ているが別の物。3人が着ているプルオーバーセーターはデチマ?マス部隊兵士がよく着ている物と同型。
起到了德国治安警察作用的RSI警察兵们。safariana型的羊毛茄克上带着佩有guradio徽章的红色长方形领章。灰绿色的野战帽上面的徽章乍一看,与第29SS意大利师的抓住法西斯的鹰的那种袖章很相似,但却是不一样的东西。3人穿的套头式毛衣是与Decima MAS部队士兵经常穿的为同一类型。

右の軍曹はカーキ色の綿生地の夏期用M41型襟無しタイプジャケットに黒シャツとグレーグリーンのウールズボンを着用。左の兵士は通常のM40ジャケットを襟無しタイプに改造して乗馬ズボンと共に着用してる。
左袖にある斜めの2本金線は戦傷章で、2回の負傷を意味する。
右面的中士穿着咔叽色的棉质地的夏季用无领M41型茄克,黑衬衫和灰绿色的羊毛裤。左面的士兵为普通的无领M40茄克和改造过的马裤。
左袖上斜的2根金线为战伤章,意为2次的负伤。


左端のバスコを被った古参兵はアルピニー兵(山岳兵)用の防風ジャケットを着て腰のスケルトンホルスターにリボルバーを下げている。その右の東部戦線従軍章を付けた元アルピニーとおぼしき将校は制服にムーティ部隊の襟章とシールドを左腕に着用しており、その右の兵士は被りのカーキのイタリア熱帯服を着ている。その前にしゃがむ兵士は襟無しのM41ウール服を着て更には熱帯服の右のアルバニア従軍章を付けた将校はイタリア迷彩テント生地から作った部隊メイドの襟無しM41型ジャケットを着るという有り様で、この1枚の写真からも雑多な部隊から編成されたムーティ部隊の性格が良く伺える。この迷彩カラーレスジャケットはよくムーティ部隊で確認されるが、デチマ?マス部隊等でも若干の使用例が見られる。
左端的戴着贝雷帽的老兵穿着arupini兵(山岳兵)用的防风茄克,腰间的武装皮带下挂着左轮手枪。右面的佩着东部战线随军章的象是原山岳兵的军官,制服上有muti部队的领章和左臂的盾章,那个右面的士兵穿着同样的卡其制意大利热带制服。在前面蹲下的士兵穿着没有领子的M41羊毛制服,还有穿着意大利迷彩帐篷质地的无领M41茄克,还在那个热带制服右边佩带了阿尔巴尼亚随军章的军官,这样一个乱七八糟的服装构成正好说明了muti部队由多部队构成的本质。这个迷彩单色茄克在muti部队经常看到,不过在Decima MAS部队等也能看到若干的使用例子。

典型的なGNR型カラーレス野戦服を着てポーズを取るGNR部隊士官候補生達。椅子に座る中央兵士の左腕にある四角に赤の電光M型マーク刺繍の入った士官候補生記章の注目。この学校の連中は割合黒フェズではなく黒バスコ(ベレー)を多く着用している?また右端の兵はキャンバス製のピストルポーチをベルトに付けています。
穿着典型的GNR型单色野战衣服摆着POSE的GNR部队军官候补生们。坐在椅子上的中间的那个左臂带着有四角形的,上有红色闪电M型刺绣的军官候补生纪念章的士兵比较醒目。这个学校的人基本上戴黑色贝雷帽的人比带黑制帽多。还有右端的士兵把布制的手枪套安在了皮带上。

手前の“M”第一大隊“9月9日”の兵士は、当時『サムライ』の愛称で呼ばれたベレッタM38 MAB短機関銃用マガジンベスト(前5連、後ろ7連、腰前グレネードポーチ6)を着用している?おそらく'44年12月-'45年1月に派遣されたドイツ国防軍ブランデンブルグ師団旗下でオストプロイセンにてソ連軍相手に奮戦していた頃のショットと思われる。
跟前的"M"第一大队"9月9日"的士兵,穿着当时被称做『武士』的贝雷塔M38 MAB机关枪用的弹夹背心(前面5个,后面7个,腰前手榴弹套6个)。估计是'44年12月-'45年1月被派遣到德国国防军[勃兰登堡]师旗下,在东普鲁士与苏军激战时候的留影。

センターの二人の兵士は純正MVSNウール野戦服の右胸にドイツ国防軍の鷲の国家章を前合わせに同大隊の部隊記章(筆記体タイプ)を着用している。右側の兵士は戦傷章もドイツ式でバックルはLWのものを使用し、ベルクミュッツェ(山岳帽)にドイツ治安警察部隊帽章とエーデルワイス章を付けている。理由は不明だがこの下士官服の肩章は外されている。'44年秋アオスタ渓谷でのパルチザン掃討作戦での一コマ。
中间的二人穿着正规的MVSN羊毛野战服,在右胸上有德国国防军的鹰章和自己大队的部队章(笔记体类型)。右侧的士兵的战伤章使用的是德国式的,带扣也是使用LW的,在山岳帽上有德国治安警察部队帽徽和雪绒花章。不知道为什么这个下士官衣服的肩章被取下了。这是在'44年秋天在奥斯塔溪谷的反游击扫荡时的留影。

'45年3月ヴェネチア?ジューリアにて。右の兵士の部隊章の文字は金糸の刺繍タイプで中央の兵士は白糸タイプと確認できます。左のイタリア軍ネクタイをしめたSS下士官はRFSSでしょうか。同部隊章のレプリカは別アルバム『趣味の部屋』に写真を掲載しています。
'45年3月在威尼斯.朱利亚的留影。能看到右面士兵的部队章文字是以金线刺绣的,而中央的士兵则是白线类型。左面的系了意大利军领带的SS下士官难道是RFSS吗?这个部队章的复制品在另一册『爱好的房间』中也刊载了照片。

GNRの特殊部隊として編成されたマッツァリーニ空挺部隊兵士のクリアな写真。フォルゴーレ空挺と違いGNRの所属なので、襟章にはグラディオの換わりに電光Mの金属章が光っています。また、黒バスコや黒シャツ着用もGNR空挺の特徴。このイタリアサージのジャケットも典型的なGNRタイプ。
作为GNR的特种部队而组建的马扎里尼空降部队士兵的清楚照片。因为与[闪电]联队的空降兵不是同一GNR的编制,所以在领章上不是guradio,而是闪电M的金属章。同时黑贝雷帽和黑衬衫也是GNR空降兵的特征。这个意大利哔叽的茄克也是典型的GNR类型。

このマッツァリ-ニ空挺下士官は士官候補生で襟章周りの金線がそれを表しています。このウール製GNR型ジャケット右胸に付けている襟用赤Mバッチは彼が元モデナのGNR士官学校の出身である事を示しています。またGNR空挺に多く見られる左ポケット上の金属空挺章に注目。
这个马扎里尼空降士官是个军官候补生,他领章周围的金线就表明这一点。在羊毛制GNR型茄克的右胸弄上了原来用作领章的红色M章,表示着他是从原来在莫迪纳的GNR军官学校的毕业的。还有在GNR空降部队里经常看见的,左口袋上的金属空降章。

1944年3月、ユーゴ国境でチトーパルチザンへの警備に就く、国土防衛義勇軍(Milizia Difesa Territoriale)第5連隊の若い兵士達。
左の独軍手榴弾をベルトに挿んだ兵士は、このアルバムのFolgore-1、2、3の空挺兵と同一人物で、この後ベルサリエリ義勇部隊(Bersagliere-3写真参照)に入隊して最終的に空挺部隊に移ったのである。
1944年3月,为了警戒在南斯拉夫国境上铁托游击队的行动,国土防卫义勇军(Milizia Difesa Territoriale)第5联队的年轻的士兵们。
在左面的将德军手榴弹夹了在皮带间的士兵,与这个相片簿的1,2,3中空降兵为同一个人物,之后加入精锐义勇队(参考Bersagliere-3照片)最终转到空降部队的。


'44年ヴェネチア?ジューリアでの第一大隊“ベニト?ムッソリーニ”(Btg.Benito Mussolini)の兵士達の閲兵シーン。中央の兵士はアルピーニ兵用ウインドジャケットの襟にマルーン色の2本フィアンメ(襟章)とドイツ戦車兵用タコ髑髏の記章を着用しています。右側の元11軍団所属の兵士は、MVSNからの編入のようで襟には黒フィアンメとファシスが残っている。
'44年在威尼斯.朱利亚的第一营"贝尼托.墨索里尼"(Btg.Benito Mussolini)的阅兵典礼。中央的士兵穿着山岳兵用茄克,领子上有着栗色的2个领章和德国战车兵用的髑髅章。右侧的原11军团所属的士兵,好象是从MVSN的转过来的,领子还留着黑领章和法西斯章。

1944年2月25日の日付けが書かれたベニト?ムッソリーニ大隊(Btg.B. Mussolini)のベルサリエーレ兵士のプロパガンダ写真。ブレダM37機関銃を構える兵士のヘルメットのリバーシブルSSルーン(黒字に白)ステンシルに注目。これは初期のイタリア人武装SS部隊の編成を同大隊を中核にして計画していた為で、第29SS師団が別に発足後も軍装として名残りが残っていた。後ろの兵士が被るのは儀礼用黒帽でピゥーメ(羽根)を付けたその姿は現在でも軍事パレードで健在である。
照片上写着1944年2月25日,墨索里尼营的精锐士兵的宣传照片。请注意端着贝雷塔M37机枪的士兵的头盔上的SS闪电标记。这是因为组建初期,这个大队想把以意大利武装SS的编制做为部队的核心,所以SS29师另外组建后,还保留着他们的军装传统。后面的士兵戴上礼服用的黑帽还插了piume(羽毛),这个形象直到现在在军事典礼中也仍然存在。

1944年3月、ゴリツィア(スロヴェニア国境)付近で対チトーパルチザン戦を展開中のベニト?ムッソリーニ大隊(Btg.B. Mussolini)。石垣の左奥の兵士二人のヘルメットにも白黒逆転SSルーンのステンシルが確認出来る。手前のブレダM35対空20mm機関砲の前でベレッタM38を構える兵士は、その後空挺を志願してネンボゥ大隊に参加。ここのアルバムのFolgore-1、2、3の空挺兵と同一人物である。
1944年3月,在戈里奇亚(斯洛文尼亚国境)附近对铁托游击队战中的墨索里尼营。石垒左面里头的两个士兵的头盔上能看见黑白相反的SS闪电标记。跟前的贝雷塔M35对空20mm机关炮面前架着贝雷塔M38的士兵,在这之后报名进入空降部队,进入了[乌云]营。是这个相片簿的Folgore-1,2,3中的空降兵为同一个人物。

ベニト?ムッソリーニ大隊(Btg.B. Mussolini)は、第8ベルサリエリ義勇連隊ルチアーノ?マナーラに所属していたが、他の2個大隊より先の'43年10月にはヴェローナで編成されていた。
そのため、初期にはSSルーンをヘルメットに付けたり、襟章として髑髏章を着用したり独特の軍装であったが、ヘルメットのステンシルも特徴的だった。
つまり、従来の連隊番号を入れる円内に左向きの髑髏をステンシルで入れたのであった。これもベニト?ムッソリーニ大隊独自の表記と言える。
墨索里尼营虽然也属于第8精锐义勇联队ruchiano?mana-la,不过比起其他的2个营,他们早在43年10月就在维罗纳组建了。
为此,初期的军装很独特,比如在头盔加上SS闪电,或者把髑髅章作为领章等,还有头盔的标记也很有特点。
总之,把朝左的髑髅作为标记,画在了其他部队用做记录联队号码的圆圈内。这个也可以说是墨索里尼营独自的标记。


'44年ユーゴスラヴィア、マメッリ大隊(Btg.Goffredo Mameli)の兵士達。一番右の兵士は、ドイツ軍純正のM43カイルホーゼ型ズボンを着用している。また、他の兵士達と同様に着ている戦地メイドの伊テント潰しのジャケット(しかも裏返して迷彩の薄い側を使用して縫製)に注目。
'44年的南斯拉夫,戈弗雷多马梅利(Btg.Goffredo Mameli)营的士兵们。最右面的士兵穿着德军正规的M43型裤子。同时其他的士兵们都同样地穿着战地赶制的,原本用来作意大利帐篷的材料改制的茄克(而且是使用帐篷翻过来后用迷彩色薄的那一面缝制的)。

'44年秋ユーゴスラヴィアにて対チトーパルチザン戦を展開中のベルサリエリの兵士と独軍山岳兵士とのコラボレートシーン。このベルサリエリ兵士の襟には何故か'43年休戦以前のサヴォイアの星章が付けられたままになっています。
'44年秋天在南斯拉夫对铁托游击队战中的精锐部队和德军山岳士兵的合影。这个精锐部队的士兵不知道为什么领子还留着43年停战以前的萨沃亚的星徽。

'44年暮れから'45年にかけてスロヴェニア国境にて対チトー山岳戦を展開するベルサリエリの兵士と独軍山岳兵士達。〔中央二人と奥に二人)このようにユーゴでのRSIベルサリエリ兵士達は独軍山岳部隊と行動を共にすることが多かった。
从'44年末到'45年在斯洛文尼亚国境对铁托山岳战中的精锐部队的士兵和德军山岳兵们〔中央二人和里头二人)。象这样在南斯拉夫的RSI,精锐部队士兵们与德军山岳部队在一起行动的时候很多。

デチマ?マス部隊フルミネ大隊の第3中隊は、フランス国内のイタリア系移民から募集され、直ぐに仏ボルドーの潜水艦基地で訓練を受けた。
その際、同基地を警備していた海軍陸戦サン?マルコ部隊のグレーグリーンセーラー服を支給された。
グレーグリーン水兵帽に巻かれたサン?マルコ部隊の記章リボンに注目。
Decima MAS部队[雷电]营的第3连,是从法国国内的意大利移民中召集起来的,然后马上在法国波尔多的潜水艇基地接受了训练。
那个时候,发给在同基地做警备工作的海军陆战队,圣。马可部队穿的是灰绿色的水兵服。
比较特别的是围在灰绿色的水兵帽上的圣?马可部队的标识飘带。


デチマ?マス部隊独特の迷彩スモック上下の良く判る一枚。記章類も全て取り付けて迷彩ファティーグとして戦闘時に着用しています。左胸のポケット上にフルミネ大隊第3中隊“フランス人義勇中隊”の六角形の部隊章が見受けられる。その下の髑髏の記章はPXで購入したものと本人より聞く。
これは前の水兵服写真と同一人物で'44年10月アルバ作戦時頃の撮影。半年の違いで顔だちがまるで違っているのが、歴戦の激しさを物語っている。
可以很清楚地分辩出Decima MAS部队独特迷彩制服的一张照片。标识类也很齐全,它作为迷彩战斗服在战斗的时候穿着。在左胸的口袋上能看见[雷电]营第3"法国人义勇连"的六角形的部队章。那个下面的髑髅章据本人说是从PX买来的东西。
这个人是与前面穿水兵服照片里的人为同一个。
44年10月阿鲁巴作战时的照片。虽然与上一张时间只差了半年,但容貌完全不同,完全可以说明久经沙场的激烈状况。


前述のMAS-2の兵士の別写真。彼らイタリア系フランス人達は祖国の急を知り義勇兵としてRSIに参加、フルミネ大隊では終戦までスロヴェニア国境で対チトーパルチザン戦を闘い抜いた。一部はイタリアSSにも参加しています。右の写真ではイタリア迷彩生地メイドの43型野戦帽(前ドット1個合わせ)を着用している。
前面提到的MAS-2士兵的另外一张照片。他们这些法国籍意大利人为了祖国,作为义勇兵参加了RSI,[雷电]营直到战争结束都一直在斯洛文尼亚国境与铁托游击队作战。其中一部分参加了意大利SS。右面照片中的士兵戴了意大利迷彩质地的43形野战帽(前面有1个扣子)。

引き続き同一人物写真。迷彩服の背中のトンビ状スカラップや肩の別布の形状が判る。
仍旧是同一个人的照片。可以看出迷彩服背上的海鸟状披肩。

同じくアルバ作戦時のフルミネ大隊兵士。迷彩ズボンは裾に紐が通っていてブーツの上で絞ってから垂らす構造になっている。
同样是在阿鲁巴作战时的[雷电]营的士兵。迷彩裤子的裤腿通着绳子,它的穿法是先在靴子上绑好后再垂下来。

'44年10月ピエモンテ山岳地帯で行われた大規模な対パルチザン掃討作戦アルバ作戦に出動するフルミネ大隊の兵士達と車輛群。同大隊はモ-タライズ化が進んでおり、車列奥には一品物の大型装甲トラックも確認できる。兵士達が被る迷彩ペイントが施されたヘルメットも良く判る。
'44年10月在皮埃蒙特山岳地带为了进行大规模反游击扫荡战(阿鲁巴作战)而出动的[雷电]营的士兵们和车队。该大队已经开始摩托化装备,在车队后面能够看见同样的大型装甲卡车。可以很清楚的看见士兵们戴上了涂着迷彩油漆的头盔。

'44年7月ヴェネチアから移動中のデチマ?マス部隊フルミネ(雷電)大隊第3中隊の兵士達。夏服としてカーキのサファリアーナ熱帯服上下にバスコ(ベレー)もカーキの綿製を着用しています。'43年以前のサン?マルコ海兵連隊で使用していた一次戦の英軍タイプにも似た綿装備に注目。
'44年7月从威尼斯过来的Decima MAS部队雷电营3连的士兵们。穿着作为夏季制服的卡其色的一套safariana热带服,连贝雷帽也是卡其色的棉布制帽子。这是与43年以前的圣?马可海军陆战队使用过的,第一次世界大战时英军类型相似的棉布制服。

典型的なデチマ?マス海兵部隊タイプのグレーグリーンのカラーレス冬服(ウール)を着たサッジタリオ(射手座)大隊機関銃中隊の兵士達。右の兵士は左胸に同大隊の部隊章を着用しています。
穿了典型的Decima MAS海军陆战队型灰绿色的单色冬装(羊毛)的sajjitario(射手座)营机枪连的士兵们。右面的士兵的左胸有这个营的部队章。

'44年4月ラ?スペッツィア軍港バルトロメオ兵舎にて出陣式におけるデチマ?マス部隊ルポ(狼)大隊('44年1月15日編成)の兵士達。全員ベルトの左前にグラッディオと呼ばれたバトルナイフを身に付けているのが見える。
'44年4月在拉斯佩齐亚军港巴尔托洛梅奥军营的出征仪式上的,Decima MAS部队rubo(狼)营(44年1月15日组成)的士兵们。全体人员在皮带的左前方挂着被称作guraddio的战斗刀。

同出陣式にて三角旗の大隊旗を掲げるマスコット兵士。RSIの各部隊にはこのような少年兵が2、3名ほど所属してセレモニーなどで姿を見せていますが、基本的には前線には行かなかったようです。3名とも左胸上に狼の横顔が入った円形の大隊記章を着用しています。
在同一出征式上举着三角形的营旗的礼仪兵。这样的少年兵每个RSI的部队都有2,3名,在典礼等场合时能看见他们,不过好象基本没去前线。3个人都在左胸上戴着有张狼的侧脸的圆形部队章。

'45年初頭のセニオ戦線で撃破した英軍のM5軽戦車の前でポーズを取るルポ大隊の兵士。同大隊は'44年3月にラ?スペッツィアで編成後にピサ近郊でヘルマンゲ-リング空軍装甲師団の教育中隊によりドイツ式の教練を受け、'44年12月から'45年3月までセニオ川の戦線で奮戦して英/カナダ軍の攻撃を防いでいる。
45年初在西尼欧战线上,在被干掉了的英军M5轻坦克前摆POSE的“狼”营的士兵。这个营44年3月在拉斯佩齐亚组成后在比萨近郊,格林空军装甲师的教育中队中接受德国式的训练、'从44年12月到'45年3月一直在西尼欧河战线上奋力抵御着英国/加拿大军的攻击。

撮影日時は不明ですが、NP(潜水&降下)大隊の野戦時の一シーン。後ろの兵士達はパンツァーファーストを持ち“サムライ”マガジンベストを着用しています。一番奥右と右から2番目の兵士はイタリア空挺迷彩スモックを着用し、右から2番目の兵士はイタリア空挺メットも被っているのが確認できる。一番手前の兵士はアルミのLWベルトバックルをしています。
摄影日期和时间不明,不过应该是NP(潜水&空降)营在野战时的景色。后面的士兵们拿着铁拳,穿着"武士"弹夹背心。最右后方和从右数第2个士兵穿着意大利空降迷彩服,右边第2个士兵还戴着意大利空降头盔。最前面的士兵系着铝的LW皮带带扣。

このNP大隊の古参の少尉は、かつてのサンマルコ連隊のP空挺大隊の出身であろうか、まだ純正のイタリア空挺ヘルメットを着用しています。NP大隊は一応空挺作戦も行えるという建て前からか、デチマ?マス師団の中でも写真のようにサムライ?マガジンベストの支給率が高かった様。左奥の兵士の通常M33ヘルメットにはドイツ軍のような金属チキンワイヤーネットが迷彩用に巻かれているのに注目。
这个NP营的身经百战的少尉,估计是从以前的圣.马克联队的P空降营出来的。还戴着正规的意大利空降头盔。也许NP营在编制上也算是一支能够进行空降作战的队伍,所以Decima MAS部队的尤其象照片里一样,“武士”弹夹背心的装备率很高。左后方的士兵在通常的M33头盔上缠上了象德军一样的金属线网,用来当作迷彩。

1944年頃のデチマ?マス部隊NP(潜水空挺)大隊兵士達。この大隊はサンマルコ海兵連隊の空挺大隊出身者によって編成されたため、空挺装備がいくつか使われている。この写真の兵士達も純正のイタリア空挺迷彩スモックを着用した上に王冠を取り除いた共和国タイプの錨のマークを描いた通常のM33ヘルメットを被っている。左の兵士が空挺スモックスタイルながら巻き脚絆をしているのが面白い。脚絆の先端を靴の内側に入れて長めのソックスを上に折り返すのはイタリア軍のやり方。また左の兵士は3連マガジンパウチが2セット付いたベレッタM38短機関銃のガンケースを腰に巻き付けている。
1944年时侯的Decima MAS部队NP(潜水空降)营的士兵们。这个大队因为是由圣.马克海军陆战队的空降营出身的人组成的,所以使用着好几个空降兵的装备。这张照片里的士兵们不仅穿着正规的意大利空降迷彩服,而且还戴着除去了王冠,取而代之的是有着共和国型的锚形记号的通常的M33头盔。有意思的是左面的士兵虽然穿着空降服,却穿着绑腿。把绑腿前端伸进鞋子内侧,把稍长的袜子翻在外面是意大利军独特的做法。他还在腰间缠上附带着2组3连装弹夹的M38机关枪的枪套。

ブレダM37重機関銃の訓練を行うNP大隊兵士達。左側の兵が迷彩空挺スモックの上からベレッタM38短機関銃のガンケースを腹部に巻いており、裏側のディティールが良く判る。斜革のように右肩に回している革は元来このガンケースのスリングだったもの。この銃嚢兼マガジンポーチは1943年以前では伊空軍空挺で使用が確認出来るが、RSI時代ではほとんど空挺部隊では見られず、替わりにデチマ?マス師団のバルバリゴ大隊やNP大隊等一部の部隊で組織的な使用が確認出来る。
正在进行贝泪塔M37重机枪训练的NP营士兵们。左侧的士兵从迷彩空降服上面将贝雷塔M38机关枪的枪套缠在腹部,可以很清楚的看见背带。象斜皮带一样从右肩转过来的皮带一直是这个枪套的象征。这个枪套兼弹夹在1943年以前在意大利空降部队中被使用过,不过RSI时代几乎在空降部队已经看不见了。相反可以看到在Decima MAS部队的巴尔巴里戈营和NP营等一部分的部队中还在系统的使用着。

1944年初夏、ドイツ国内のLW基地で秘密降下訓練を積んだ後、イタリア本国に帰還したNP大隊兵士達。この後、戦線後方撹乱/サボタージュ目的の降下作戦に従事した。
胸のNP大隊金属章とベレッタ短機関銃の3連マガジンポーチに注目。このタイプは、RSI空挺部隊でも使用された。
1944年初夏,在德国境内的LW基地秘密地接受了空降训练以后,返回意大利本土的NP营的士兵们。之后为了起到对战线后方的挠乱/麻痹目的而开始了空降作战。
请注意胸前的NP营金属章和贝雷塔机关枪的3连弹夹包。这个类型在RSI空降部队中也使用过。


数在るデチマ?マス師団の戦闘大隊の中でもユニークな山岳の爆破工兵(ガスタトリ)大隊であるバランガ(雪崩)大隊兵士達。アルピニ部隊であるためヘルメットにはペンネ(羽)とナッピーネ(ポンポン)が付けられている。右のアルピニハットを被った将校が左胸に同大隊の金属部隊章を付けています。また周りの兵士達は、爆破工兵用の独特なバンダリアを着用している点に注目。
作为少数的在Decima MAS师的战斗连中形象尤其独特的是,山岳爆破工兵营,baranga(雪崩)营的士兵们。因为他们是山岳部队,所以头盔上有着羽毛和绒球。右面的戴着山岳帽的军官的左胸上,别着该大队的金属部队章。另外周围的士兵们,还佩着爆破工兵独特的背带。

このL6/40型軽戦車は、おそらく'44末から'45年にかけてのセニオ戦線でのデチマ?マス師団のルポ(狼)大隊の所属車輌と考えられる。また砲塔上の海兵はデチマ?マス部隊特有の迷彩スモックに五角形の部隊襟章を着用している
这种L6/40形轻坦克,估计是从44年末到45年在西尼奥战线的Decima MAS师的(狼)营的所属车辆。炮塔上的海军士兵穿着Decima MAS部队特有的迷彩服,带着五角形的部队领章。

RSIではドイツ軍の徴発を免れたトラックやバスに装甲板を張り付けた急造装甲車がしばしば見られる。この大型装甲車はデチマ?マス師団フルミネ大隊の唯一の装甲戦力でおそらくフィアット製トラックの改造と思われる。上下共に1944年10月28日トリノのカステーロ広場とローマ通りでの撮影。上の整列写真では20mmゾロターンS18/1000対戦車ライフルの姿が見える。
在RSI中象这样用一些勉强逃过德军征用的卡车和巴士,贴上了装甲板后而赶造的装甲车的情况屡见不鲜。这个大型装甲车是Decima MAS师[雷电]营的唯一具有装甲作战能力的武器,估计是从菲亚特卡车改造过来的。上面和下面的照片都是1944年10月28日在都灵的卡斯特罗广场和罗马街上的摄影。上面的列队照片中还有20mm的苏罗通S18/1000反坦克步枪的出现。

前写真装甲車の側面図。描き起こされたこの図からは3色迷彩やタイヤハウジングにまで張られた装甲板の様子が伺える。固定砲塔と正面に搭載された機銃はブレダM37重機関銃。
前照片中装甲车的侧面图。从这张描出来的图中可以看出车上的3色迷彩和轮胎外围都被贴上了装甲板。固定炮塔和正面搭载的的机枪为贝雷塔M37重机枪。

おそらく師団司令部付きの連絡車両だと思われるが、このようなスポーツカーを使用しているのは何ともイタリアらしい。ナンバープレートのXa MASの識別標に注目。
估计这是师团司令部直属的联络车辆,不过把这样的跑车作为联络车辆真不愧是意大利人的风格。汽车牌照上的Xa MAS的识别标志也很有趣。

アルバ作戦でのフールミネ大隊の輸送トラック。側面には志気高揚を目的とした同部隊のスローガン入のポスターが貼ってある。モットーとして“SCATTO TRAVOLGO VINCO”「飛び出す、なぎ倒す、勝つ」の3つの動詞が書かれている。
在阿鲁巴作战中的雷电营的运输卡车。侧面贴着为了提高斗志用的该部队的标语海报。上写着作为部队精神的"SCATTO TRAVOLGO VINCO"「冲击,击倒,胜利」这3个动词。

GNR系レオネッサ装甲大隊所属のM13/40中戦車。おそらく'44年初夏頃のミラノ?ドゥーモ広場前リナシェンテデパート横にてパレード中の一コマ。
GNR编制中的(狮)装甲营所属的M13/40中坦克。估计是44年初夏左右在米兰大教堂广场前的瑞那谢特百货商店侧面游行中的一景。

レオネッサ大隊の搭乗員のユニフォームは数種類確認できるが、この写真のタイプは完全にドイツ?パンツァージャケットを模したものです。ボタンがイタリア軍のベーク製であることと角形肩章が縫い込み式であることと袖のカフスが割れない等相違があります。
(狮)营的乘员制服出现过好几种,不过照片里的类型是完全模仿德国装甲兵茄克的。不同的是钮扣为意大利军式样,还有方形肩章为固定式,袖子的袖口没有缺口等。

SPA AB43 4輪装甲車の上でツナギ姿で立つ搭乗員。胸には黒バスコ(ベレー)と同じ髑髏のバッジを付けている。砲塔上の同大隊のGNRと赤M&ファシスマークに注目。
站在SPA AB434轮式装甲车上穿着连裤装的坦克组员。在胸前佩着与黑色贝雷帽同样的髑髅章。炮塔上有该大队的GNR记号,红色M与法西斯记号。

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