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奥の細道(节选)

 汐钰文艺范 2014-08-30

奥の細道

一 漂泊の思ひ

 月日(つきひ)は百代(はくだい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年も又旅人也(たびびとなり)。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人(こじん)も多く旅に死(し)せるあり。予(よ)もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(かうしゃう)の破屋(はをく)に蜘(くも)の古巣(ふるす)をはらひて、やや年も暮(くれ)、春立(た)てる霞(かすみ)の空に白川(しらかわ)の関(せき)こえんと、そぞろ神(がみ)の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて、取(とる)もの手につかず。もも引(ひき)の破(やぶれ)をつづり、笠(かさ)の緒付(をつけ)かえて、三里(さんり)に炙(きう)すうるより、松島の月先(まづ)心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風(きんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸(と)も住替(すみかは)る代(よ)ぞひなの家(いへ)

 面八句(おもてはっく)を庵(いほり)の柱に懸置(かけおく)。

口語訳月日は永遠に旅を続ける旅人(のようなもの)であり、(毎年)去っては来たり、来たっては去ってゆく年も、また旅人(のようなもの)である。舟の上に託して一生を過ごして(ている船頭(せんどう)や)馬のくつわを取って老年を迎える者(馬子(まご))は、毎日毎日が旅であって、(いわば)旅を自分の住む場所としているのである。(風雅(ふうが)に生涯を過した)古人も、旅中で死んだ者が数多くいる。私もいつの年からであったか、ちぎれ雲が風に(吹かれて大空を漂うように、あの雲を見ると旅心を)そそられて、あちこちさまよい歩きたい気持ちがしてならず、海べ(の地方)をさすらい歩き、去年の秋、隅田川(すみだがわ)のほとりのあばら屋に(もどり)、くもの巣をはらって(しばらく住んでいるうちに)、やがてその年も暮れ、春になって霞が立ち込める空を見るにつけても、白河の関を越えてみようと、人の心をそわそわさせる神が身にとりついたように心を狂おしくさせ、(旅の神の)道祖神に招かれて(いるような気がして)取るものも手に付かない。(そこで)ももひきの破れをつくろい、笠のひもをつけかえ、三里に炙をすえると、(もう)松島の月が(どんなであろうと)まず気にかかり、(これまで)住んでいた家は人に譲り、杉風の別宅に移る際に、

 草の戸も……(このわびしい草庵(そうあん)も、人が住み替える時節がきた。折から雛祭りの頃とて自分の居た時とは違って、華やかな雛人形なども飾られる家となることだろう。)

 (とよみ、それを発句(ほっく)とする連句の)面八句を(懐紙(かいし)にしるし)、庵の柱にかけておいた。

中国語日月乃百代之过客,周而复始之岁月亦为旅人也。浮舟生涯、牵马终老,积日羁旅,漂泊为家。古人多死于旅次,余亦不知自何年何月,心如轻风飘荡之片云,诱发行旅之情思而不能自己。乃流连于海滨,去秋甫回江上陋屋,扫除积尘蛛网。未久岁暮,新春跌至。每望蔼霞弥天,即思翻越白川关隘,心迷于步行神,痴魔狂乱;情诱于道祖神,心慌意乱。乃补缀紧腿裤,新换斗笠带,针灸足三里,心驰神往于松岛之月。遂将住处让与他人,移居杉风别墅。

    草庵已换主,女儿节里摆偶人,欢乐满牖户。作表八句悬于草庵柱上。

二、旅立ち

 弥生(やよひ)も末の七日(なぬか)、明(あけ)ぼのの空朧朧(ろうろう)として、月は在明(ありあけ)にて光おさまれる物(もの)から、不二(ふじ)の峰(みね)幽(かすか)にみえて、上野·谷中(やなか)の花の梢(こずえ)、又(また)いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは良い宵(よひ)よりつどひて、船に(のり)て送る。千(せん)じゅと云(いふ)所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)のちまたに離別(りべつ)の涙をそそぐ。

 行春(ゆくはる)や鳥鳴魚(とりなきうを)の目は涙

 是(これ)を矢立(やたて)の初(はじめ)として行道(ゆくみち)なをすすまず。

 人々は途中に立(たち)ならびて、後(うしろ)かげのみゆる迄(まで)はと見送(みおくる)なるべし。

口語訳陰暦三月も下旬の二十七日、明けがたの空は、おぼろにかすんで、月は有明の月で光は薄らいでいるものの、(遠く)富士の峰がかすかに見え、(近くは)上野や谷中の桜のこずえが(見えるが、その眺めも)またいつの日に見ることができようかと、心細い気がする。親しい人たちは残らず前の晩から集まって、(けさは一緒に)舟に仱盲埔娝亭盲皮欷搿Gё·趣いλ侵郅樯悉毪取ⅲàい瑜い瑁┣巴疽¥事盲顺訾毪韦坤趣いΩ锌(かんがい)が胸いっぱいになり、(どうせこの世は夢·幻のようなものと思いつつも、いざ千住の別れ道に立って別れようとすると、その)幻のちまたに、別れの涙を流すことであった。

 行く春や……(折から春も過ぎ去ろうとしている。それを惜しんで鳥は悲しげに啼き、魚の目は涙でうるんでいることだ。)

 この句を旅の記の書き始めとして、(旅路(たびじ)に出たが、名残(なご)りが惜まれて)やはり道がはかどらない。人々は道なかに立ち並んで、(私たち二人の)うしろ姿の見える限りはと思って、見送っているのであろう。

中国语启程:阴历三月二十七日,晓天朦胧,残月余辉,富士山峰隐约可见。念及此行不知何时重睹上野、谷中之垂梢樱花,不禁黯然神伤。挚友皆于前夕会聚,且登舟相送至千住上岸,此去前途三千里,思之抑郁凄楚,且向虚幻之世一洒离别之泪。

    匆匆春将归,

    鸟啼鱼落泪。

    权以此句为纪行之首句,依然趑趄不前。众人伫列路上,似欲相送至不见余之身影。

九、雲岩寺

 当国雲岩寺のおくに仏頂和尚山居跡(ぶつちゃうをしゃうさんきょのあと)あり。

  堅横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いほ)

   むすぶもくやし雨なかりせば

 と松(まつ)の炭(すみ)して、岩(いわ)に書付侍(かきつけはべ)りと、いつぞや聞え給(たま)ふ。其跡(そのあと)みんと、雲岩寺(うんがんじ)に杖(つえ)を曳(ひけ)ば、人々(ひとびと)すすんで共(とも)にいざなひ、若(わか)き人(ひと)おほく道(みち)のほど打さはぎて、おぼえず、彼(かの)麓(ふもと)に至(いた)る。山はおくあるけしきにて、谷道遥(たにみちはるか)に、松杉⑻(こけ)しただりて、卯月(うづき)の天、今猶(なほ)寒し。十景尽(つく)る所、橋をわたつて山門に入(いる)。

 さて、かの跡はいづくのほどにやと後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上(せきじゃう)の小庵(せうあん)、岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師(めうぜんじ)の死関(しくわん)、法雲(ほふうん)法師の石室をみるがごとし。

 木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち)。

 と、とりあへぬ一句(いっく)を柱に残侍(のこしはべ)りし。

口語訳この(下野(しもつけ)国の)雲岩寺の奥に仏頂和尚の山ごもりの跡がある。「縦横の……(縦横が五尺にも足りないこんなそまつな庵(いおり)を作って住んでいるのもくやしいことだ。雨さえ降らなかったなら、庵など作らずに一所不住でいられるものを。)と、たいまつの炭で(庵のほとりの)岩に書きつきました」と、いつであったか(和尚が)わたしにおっしゃた。その跡を見ようと、雲岩寺に行こうとすると、人々も進んで互いに誘い合わせ、(その中には)若い人が多く、道中にぎやかに騒いで(行くうちに)、いつの間にか(その山寺の)ふもとに着いた。山は奥ぶかい様子で、谷ぞいの道が遥かに(つづき、そこに)松や杉がうっそうと(茂り)、緑の苔(のしずく)もしたたり落ちて、陰暦四月の時節(だというのに)、今なお寒寒としている。(今日境内の)十景の終わりになった所で、橋を渡って寺の山門に入る。

 さて、あの(山ごもりの)跡はどの辺であろうかと、後方の山によじ登ると、石の上に小さな庵が岩窟に寄せかけて作ってある。(話に聞いている)妙禅寺の死関や、法雲法師の石室を見るような気がする。

 啄木も……(森々と生い茂った夏木立の静寂の中で、どこからか啄木の木をつつく音がある。あの木啄もこの庵だけはつつき破らないと見えて、こうしてのこっていることだ。)と、とりあえず作った一句をその庵の柱に残しておきました。

中国语云岩寺:下野国云岸寺后面有佛顶和尚山居遗迹。闻先师言,先师居山中时,曾以松木炭书一道歌于岩石之上。

    蛰居此草庵,

    横竖未盈五尺长,

    倘若不下雨,

    不要此庵又何妨。

    余欲观其遗迹,拄杖前往云岩寺,众人呼朋唤侣,相诱同行,多为年轻人,一路谈笑风生,十分热闹,不觉来到云岩寺山麓。山谷幽深,谷道逶迤。松杉茂密幽暗,青苔清水滴落。虽为四月天气,犹觉寒冷。看尽十景,过桥入山门。

    山居遗迹究竟在于何处?攀后山,见石上建有小庵,背靠石窟,眼前如见妙禅师之死关、法云法师之石室。

    声声啄木鸟,

    惟有此庵啄不破,

    盛夏树妖娆。

    即兴一句,钉于柱上而去。

二八、平泉

 三代の栄耀一睡(えいえういっすい)の中(うち)にして、大門(だいもん)の跡は一里こなたに有(あり)。秀衡(ひでひら)が跡は田野(でんや)に成(なり)て、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。先(まづ)、高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河也(たいがなり)。衣川(ころもがは)は、和泉(いづみ)が城(じゃう)をめぐりて、高館の下(もと)にて大河に落入(おちいる)。泰衡等(やすひらら)が旧跡は、衣(ころも)が関(せき)を隔(へだて)て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。さても義臣すぐつて此城(このじやう)にこもり、功名(こうみやう)一時の叢(くさむら)となる。国破れて山河(さんが)あり、城春(じやうはる)にして草青(くさあお)みたりと、笠打敷(かさうちしき)て、時のうつるまで涙を落し侍(はべ)りぬ。

 夏草(なつくさ)や兵(つはもの)どもが夢の跡

 卯(う)の花に兼房(かねふさ)みゆる白毛(しらが)かな     曾 良

 予(かね)て耳驚(おどろか)したる二堂開帳(かいちやう)す。経堂(きやうどう)は三将の像をのこし、光堂(ひかりだう)は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊の仏(ほとけ)を安置す。七宝散(しつぽうちり)うせて、珠(たま)の扉風(とびらかぜ)にやぶれ、金(こかね)の柱霜雪(さうせつ)に朽(くち)て、既(すでに)頽廃(たいはい)空虚の叢(くさむら)と成(なる)べきを、四面新(あらた)に囲(かこみ)て、甍(いらか)を覆(おほう)て風雨を凌(しの)ぐ。暫時(しばらく)千歳(くちとせ)の記念(かたみ)とはなれり。

 五月雨(さみだれ)の降(ふり)のこしてや光堂(ひかりだう)

口語訳(藤原)三代の栄華も、一睡の夢の間(にはかなく消え去るもの)であって、(昔の)表門の跡は一里ほど手前に残っている。秀衡の(館の)跡は田や野原となってしまって、金鶏山ばかりが(昔の)形をとどめている。まず高館にのぼると、(目の前を流れる)北上川は、(遠く)南部地方から流れて来る大河である(のが見はるかされる)。衣川は和泉が城をとりまくように流れ、(この)高館の下で北上川に流れ込んでいる。泰衡等の(いた屋敷の)古い跡は、衣が関を前に置いて、南部方面からの入口をしっかりと固め、蝦夷(の侵入)を防いだものと見てとれる。それにしても、えりすぐった忠義の武士たちが、(この高館に)たてこもり、(奮戦したのだが、その)手柄もただ一時の(夢と消えて、今では一面の)叢となってしまっている。「国は荒廃しても山河だけは昔に変らず残り、廃虚となった城にも春がくると、草木だけは昔通りに青々としている」と(いう杜甫の詩を想いだして)、笠を横に置いて腰をおろし、時のたつのも忘れて、(懐旧の)涙を流したことであった。

 夏草や……(この高館は今夏草が茫々と生い茂っているが、ここは昔、義経の一党や藤原氏の一族が、功名と栄華を夢みた跡なのだ。)

 卯の花に……(夏草の中に咲き乱れている卯の花を見ていると、白髪を振り乱して奮戦して増尾十郎兼房の姿が目の前に浮んで来るような気がするよ。)

前から話にきいて驚いていた二堂が開帳された。経堂は(藤原)三代の将軍の像を残しており、光堂はそれら三代の棺を納め、弥陀三尊の像を安置している。七宝も(今では)散り失せ、珠玉を飾った扉は風に(曝(さら)され)破れ、金箔を押した柱は霜や雪で朽廃して、今はもうくずれ廃(すた)れて何もない叢となってしまうはずだったのに、堂の四面を新しく囲み、上から屋根瓦を葺(ふ)いて、風雨を防いでいる。(こうして)しばらくの間は、遠い昔をしのぶ記念物とはなっているのである。

五月雨の……(この光堂は昔の姿をとどめて燦然(さんぜん)と輝いているが、ながい年月の間、五月雨もさすがにこの堂だけは降り残したからでもあろうか。)

中国语平泉:三代荣华一梦中,大门遗迹在一里之外。秀衡之遗迹已成田野,惟金鸡山犹存。先登高馆,北上川收入眼底,乃流自南部之大河。衣川环绕和泉城,于高馆下注入大河。泰衡等之遗迹在衣关之外,似镇固南部门户以防夷。择忠臣义士,据守此城,思功名显赫,过眼烟云。国破山河在,城春草木青。不禁铺笠而坐,怀古落泪,不知时光流逝。

    夏天草凄凉,

    功名昨日古战场,

    一枕梦黄梁。

    遍地溲疏花,

    若见兼房苍白发。

    久闻二堂揭帐拜佛之盛事,经堂共有三将之像。光堂放有三代之棺,摆置三尊佛像。七宝散失,珠门因风雨而损坏,金柱因霜雪而腐朽,既已支离破碎,野草荒芜,却仍四面为垣,覆盖屋顶,以御风雨,且作千年之纪念也。

    梅雨未曾撒光堂,

    今日犹辉煌。

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