〔子忍びの森〕まゝはゝなりし人、くだりしくにの名を宮にもいはるゝに、こと人かよはしてのちも、猶その名をいはるときゝて、おやのいまはあいなきよし、いひやらむとあるに、 あさくらやいまは雲井にきく物を猶木のまろがなのりをやする かやうに、そこはかなきことを 思つゞくくるをやくにて、物まうでをわづかにしても、はかばかしく、人のやうならむともねむぜられず、このころの世の人は十七八よりこそ経よみ、をこなひもすれ、さること思かけられず。からうじて思よることは、いみじくやむごとなく、かたちありさま、物がたりにあるひかる源氏などのやうにおはせむ人を、年にひとたびにてもかよはしたてまつりて、うき舟の女君のやうに、山ざとにかくしすへられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御ふみなどを、時々まち見などこそせめとばかり思つゞけ、あらまし事にもおぼえけり。 おやなりなば、いみじうやむごとなくわが身もなりなむなど、たゞゆくゑなき事をうち思すぐすに、おや、からうじて、はるかにとをきあづまになりて、「年ごろは、いつしか思やうにちかき所になりたらば、まづむねあく許かしづきたてて、ゐてくだりて、海山のけしきも見せ、それをばさる物にて、わが身よりもたかうもてなしかしづきて見むとこそおもひつれ、我も人もすくせのつたなかりければ、ありありてかくはるかなるくにゝなりにたり。おさなかりし時、あづまのくににゐてくだりてだに、心地もいさゝかあしければ、これをや、このくにゝ見すてて、まどはむとすらむと思ふ。人のくにのおそろしきにつけても、わが身ひとつならば、やすらかならましを、ところせうひきぐして、いはまほしきこともえいはず、せまほしきこともえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心をくだきしに、いまはまいておとなになりにたるを、ゐてくだりて、わがいのちもしらず、京のうちにてさすらへむはれいのこと、あづまのくに、ゐなかびとになりてまどはむ、いみじかるべし。京とても、たのもしうむかへとりてむと思ふるい、しぞくもなし。さりとて、わづかになりたるくにをじゝ申すべきにもあらねば、京にとゞめて、ながきわかれにてやみぬべき也。京にも、さるべきさまにもてなしてとゞめむとは思よる事にもあらず」と、よるひるなげかるゝをきく心地、花もみぢのおもひもみなわすれてかなしく、いみじく思なげかるれど、いかゞはせむ。 七月十三日にくだる。五日かねては見むも中々なべければ、内にもいらず。まいてその日はたちさはぎて、時なりぬれば、いまはとてすだれをひきあげて、うち見あはせてなみだをほろほろとおとして、やがていでぬるを見をくる心地、めもくれまどひて、やがてふされぬるに、とまるをのこのをくりしてかへるに、ふところがみに、 おもふ事心にかなふ身なりせば秋のわかれをふかくしらまし とばかりかかれたるをも、え見やられず、事よろしき時こそこしおれかゝりたる事も思つゞけけれ、ともかくもいふべき方もおぼえぬまゝに、 かけてこそおもはざりしかこの世にてしばしもきみにわかるべしとは とやかかれにけむ。 いとゞ人めも見えず、さびしく心ぼそくうちながめつゝ、いづこばかりと、あけくれ思やる。道のほどもしりにしかば、はるかにこひしく心ぼそきことかぎりなし。あくるよりくるゝまで、東の山ぎはをながめてすぐす。 八月許にうづまさにこもるに、一条よりまうづる道に、おとこぐるまふたつばかりひきたてて、物へゆくに、もろともにくべき人まつなるべし。すぎてゆくに、ずいじんだつものをゝこせて、 花見にゆくときみを見るかな といはせたれば、かゝるほどの事はいらへぬもびんなしなどあれば、 千ぐさなる心ならひに秋のゝの とばかりいはせていきすぎぬ。七日さぶらふほども、たゞあづまぢのみ思ひやられてよしなし。「こと、からうじてはなれて、たひらかにあひ見せ給へ」と申すは、仏もあはれとききいれさせ給けむかし。 冬になりて、ひぐらしあめふりくらいたる夜、くもかへる風はげしううちふきて、そらはれて月いみじうあかうなりて、のきちかきおぎのいみじく風にふかれて、くだけまどふが、いとあはれにて、 秋をいかに思いづらむ冬ふかみあらしにまどふおぎのかれはは あづまより人きたり。「神拜といふわざしてくにの内ありきしに、水おかしくながれたる野の、はるばるとあるに、木むらのある、おかしき所かな、見せでと、まづ思いでて、こゝはいづことかいふとゝへば、こしのびのもりとなむ申すとこたへたりしが、身によそへられて、いみじくかなしかりしかば、むまよりおりて、そこにふた時なむながめられし。 とゞめをきてわがごと物や思ひけむ見るにかなしきこしのびのもり となむおぼえし」とあるを、見る心地、いへばさらなり。返ごとに、 こしのびをきくにつけてもとゞめをきしちゝぶの山のつらきあづまぢ
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