〔東山なる所〕四月つごもりがた、さるべきゆへありて、東山なるところへうつろふ。みちのほど、田の、なはしろ水まかせたるも、うへたるも、なにとなくあおみ、おかしう見えわたりたる。山のかげくらう、まへちかう見えて、心ぼそくあはれなるゆふぐれ、くひないみじくなく。 たゝくともたれかくひなのくれぬるに山ぢをふかくたづねてはこむ 霊山ちかき所なれば、まうでておがみたてまつるに、いとくるしければ、山でらなるいし井によりて、手にむすびつゝのみて、「この水のあかずおぼゆるかな」といふ人のあるに、 おく山のいしまの水をむすびあげてあかぬものとはいまのみやしる といひたれば、水のむ人、 山の井のしづくににごる水よりもこは猶あかぬ心地こそすれ かへりて、ゆふ日けざやかにさしたるに、宮この方ものこりなく見やらるゝに、このしづくににごる人は、京にかへるとて、心くるしげに思て、またつとめて、 山のはにいり日のかげはいりはてて心ぼそくぞながめやられし 念佛するそうのあか月にぬかづくをとのたうとくきこゆれば、とをゝしあけたれば、ほのぼのとあけゆく山ぎわ、こぐらきこずゑどもきりわたりて、花もみぢのさかりよりも、なにとなく、しげりわたれるそらのけしき、くもらはしくおかしきに、ほとゝぎすさへ、いとちかきこずゑにあまたたびないたり。 たれにみせたれにきかせむ山ざとのこのあかつきもおちかへるねも このつごもりの日、たにの方なる木のうへに、ほとゝぎす、かしがましくないたり。 みやこにはまつらむ物を郭公けふ日ねもすになきくらすかな などのみ、ながめつゝ、もろともにある人、「たゞいま京にもききたらむ人あらむや。かくてながむらむと思をこする人あらむや」などいひて、 山ふかくたれか思はをこすべき月見る人はおほからめども といへば、 ふかき夜に月見るおりはしらねどもまづ山ざとぞ思やらるゝ あか月になりやしぬらむと思ほどに、山の方より人あまたくるをとす。おどろきて見やりたれば、しかのえんのもとまできて、うちないたる、ちかうてはなつかしからぬものゝこゑなり。 秋の夜のつまこひかぬるしかのねはとを山にこそきくべかりけれ しりたる人のちかきほどにきてかへりぬときくに、 まだひとめしらぬ山辺の松風もをとしてかへるものとこそきけ 八月になりて、廿よ日のあかつきがたの月、いみじくあはれに山の方はこぐらく、たきのをともにる物なくのみながめられて、 思しる人に見せばや山ざとの秋のよふかきありあけの月 亰にかへりいづるに、わたりし時は水ばかり見えし田どもも、みなかりはてゝけり。 なはしろの水かげ許見えし田のかりはつるまでながゐしにけり 十月つごもりがたに、あからさまにきて見れば、こぐらうしげれりしこのはどものこりなくちりみだれて、いみじくあはれげに見えわたりて、心ちよげにさゝらぎながれし水もこのはにうづもれて、あとばかり見ゆ。 水さへぞすみたえにけるこのはちるあらしの山の心ぼそさに そこなる尼に、「春までいのちあらばかならずこむ。花ざかりはまづつげよ」などいひてかへりにしを、年かへりて三月十餘日になるまでをともせねば、 ちぎりをきし花のさかりをつげぬ哉春やまだこぬ花やにほはぬ たびなる所にきて、月のころ、竹のもとちかくて、風のをとにめのみさめて、うちとけてねられぬころ、 竹の葉のそよぐ夜ごとにねざめしてなにともなきに物ぞかなしき 秋ごろ、そこをたちて、ほかへうつろひて、そのあるじに、
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