海道記一 序 白川のわたり、中山の麓に、閑素幽 しかるあひだ、逝く水はやく流れて生涯は崩れなんとす、とどめんとすれどもとどまらず、五旬の齡の流車、坂にくだる。朝に馳せ暮に馳す、月日の廻りの駿駒、隙を過ぐ。鏡の影に向ひゐて知らぬ翁に耻ぢ、けぬきを取りて白絲にあはれむ。これによりて頭上には、頻りにおどろかす老を告ぐる鶴、鬢のほとりには、早く落ちぬ霜を厭ふ華。鶴に驚き霜を厭ふ志たちまちにもよほして、僧を學び佛に歸する念やうやくに起る。名利は身に棄てつ、稠林に花ちりなば覺樹の木の實は熟するを期すべし。薜羅は肩に結べり、法衣、色染みなば衣裏の珠は悟ることを得つべし。旦暮の露の身は、山の蔭、草おくところあれども、朝の霞は、望たえて天を仰ぐに空し。世を厭ふ道は貧しき道より出でたれども、佛を念ずる思ひは遺怠とおこたる。四聖の無爲を契りしも一聖なほ頭陀の路にとどまりき。ひとへに己が有爲を厭ふ、貧しき己、いよいよ坐禪の窓にいそがはし。然して曾 せきが酒も人を醉せて由なし、子牢が顆は心に貯ひて身を樂とせり。鵞眼なけれども天命の道に杖つきて歩をたすく、 しやう牙かけたれども地恩の水に口すすぎて渇をうるほす。空腹一杯の粥、飢ゑてすすれば餘りの味あり。薄紙百綴の衿、寒に着たれば肌を温むるに足れり。檜の木笠をかぶりて裝ひとす、出家の身。藁履を踏んで駕とす、遁世の道。 そもそも相模の國鎌倉郡は下界の麁澁苑、天朝の築鹽州なり。武將の林をなす、萬榮の花よろづにひらけ、勇士の道に榮ゆ、百歩の柳ももたびあたる。弓は曉の月に似たり、一張そばだちて胸を照し、劔は秋の霜の如し、三尺たれて腰すずし。勝鬪の一陣には爪を楯にして寇をここに伏す。猛豪の三兵は手にしたがへて互に雄稱す。干戈、威、いつくしくして梟鳥敢へてかけらず、誅戮、罪、きびしくして虎狼ながく絶えたり。この故に、一朝の春の梢は東風にあふがれて惠をまし、四海の潮の音は東日に照されて波をすませり。貴賤臣妾の往還する多くの驛の道、隣をしめ、朝儀國務の理亂は、萬緒の機、かたかたに織りなす。羊質、耳のほかに聞きをなして多歳をわたれり、舌の端に唇をして幾日をか送るや。心船いつはりの爲に漕ぐ、いまだ海道萬里の波に棹ささず。意馬あらましに馳す、關山千程の雲に鞭うたず。今すなはち芳縁に乘りて俄かに獨身の遠行を企つ。 貞應二年卯月の上旬、五更に都を出でて一朝に旅に立つ。昨日は住みわびて厭ひし宿なれど、今日はたちわかるれば、なごりをしくおぼえて暫くやすらへども、鐘の聲、明けゆけば、あへずして出でぬ。 粟田口の堀道を南にかいたをりて、逢坂山にかかれば九重の寶塔は北の方に隱れぬ。松坂を下りに松をともして過ぎゆけば、四宮河原のわたりは、しののめに通りぬ。小關を打越えて大津の浦をさして行く。關寺の門を左に顧みれば、金剛力士忿怒のいかり眼を驚かし、勢多の橋を東に渡れば、白浪みなぎり落ちて、 [1]流べんの流れ、身をひやす。湖上に船を望めば、心、興に乘り、野庭に馬をいさめて、手、鞭をかなず。 やうやくに行くほどに都も遙かに隔りぬ。前途、林幽かなり、わづかに薺梢に見る。後路、山さかりて、ただ白雲跡をうづむ。既にして斜陽影くれて暗雨しきりに笠にかかる。袖をしぼりて初めて旅のあはれを知りぬ。その間、山館に臥して露より出で、曉の望、蕭蕭たり。水澤に宿して風より立つ、夕の懷、悠々たり。松あり又松あり、煙は高卑千巖の道を埋み、水に臨みて又水に臨む、波は淺深長堤の汀に疊む。濱名の橋の橋のもとには、思ふ事を誓ひて志をのべ、清見が關の關屋には、飽かぬなごりをとどめて歩みを運ぶ。富士の高峯に煙を望めば、臘雪宿して雲ひとり咽び、宇都の山路に蔦をたづぬれば、昔のあと夢にして、風の音おどろかす。木々の下には、下ごとに翠帳をたれて行客の苦みをいこへ、夜々の泊には泊ごとに菰枕を結びて旅人の眠りをたすく。行々として重ねて行々たり、山水野塘の興、壯觀をまし、暦々として更に暦々たり、海村林邑の感、いやめづらかなり。 この道は、もし四道の間に逸興のすぐれたるか、はた又、孤身が斗藪の今の旅始なればか。過ぎ馴れたる舊客なほ眺めをなほざりにせず、况んや一往の新賓なれば感思おさへがたし。感思の中に愁傷の交はることあり、母儀の老いて又幼き、都にとどめて不定の再覲を契りおく。無状かな、愚子が體たらく、浮雲に身を乘せて旅の天に迷ひ、朝露を命にて風のたよりにただよふ。道を同じうする者は、みな我を知らざる客なり、語を親眤に契りて、いづちか別れなんとする。長途につかれて十日餘り、窮屈しきりに身を責む。湯井の濱に至りて一時半偃息、しばらく心をゆるぶ。時に萍實西に沈む、舊里を忍びて後會を期し、桂華東に開く、外郷に向つて中懷をなやます。よつて三十一字をつづりて千思萬憶、旅の志をのべつ。これはこれ、文をもつてさきとせず、歌をもつてもととせず、ただ境にひかれて物のあはれを記するのみなり。外見の處にそのあざけりをゆるせ。 二 京より大岳四月四日、曉、都を出づ。朝より雨にあひて勢田の橋のこなたに暫くとどまりて、あさましくて行く。今日明日とも知らぬ老人を獨り思ひおきてゆけば、 思ひおく人にあふみの契あらば 橋のわたりより雨まさりて、野徑の道芝、露ことに深し。八町畷をすぐれば行人互に身をそばめ、一邑の里を通れば亭犬しきりに形を吠ゆ。今日しも習はぬ旅の空に雨さへいたく降りて、いつしか心のうちもかきくもるやうにおぼえて、 ぬるべきものと雨はふりきぬ 田中うちすぎ民宅うちすぎて遙々とゆけば、農夫ならび立ちて荒田を打つ聲、行雁の鳴きわたるが如し。(田を打つ時はならび立ちて同じく鋤をあげて歌をうたひてうつなり)卑女うちむれて前田にゑぐ摘む、思はぬしづくに袖をぬらす。そともの小川には河添柳に風たちて鷺の蓑毛うちなびき、竹の編戸の垣根には卯の花さきすさみて山ほととぎす忍びなく。かくて三上の嶽を眺めて八洲川を渡る。 世わたるばかり苦しきやある 若椙といふ處をすぎて横田山を通る。この山は白楡の影にあらはれて緑林の人をしきる處ときこゆれば、益なくおぼえていそぎ過ぐ。 みどりの林かげにかくれて 夜景に大岳といふ處に泊る。年ごろうちかなはぬ有樣に思ひとりて髮をおろしたれば、いつしかかかる旅寢するもあはれにて、かの廬山草庵の夜雨は、情ある事を樂天の詩に感じ、この大岳の柴の夜雨には、心なき事を貧道が歌に耻づ。 墨染のころもかたしき旅寢しつ いつしか家を出づるしるしに 三 大岳より鈴鹿 五日、大岳を立ちて遙かに行けば、内の白川、外の白川といふ處をすぎて鈴鹿山にかかる。山中よりは伊勢の國に移りぬ。重山、雲さかしく、越ゆれば即ち千丈の屏風いよいよしげく、峯には松風かたかたに調べて 鈴鹿川ふるさと遠く行く水に 薄暮に鈴鹿の關屋にとまる。上弦の月、峯にかかり、虚弓いたづらに歸雁の路に殘る。下流の水、谷に落つ、奔箭すみやかにして虎に似たる石にあたる。ここに旅驛やうやくに夜をかさねて、枕を宿縁の草に結び、雲衣、曉さむし、蓆を岩根の苔にしく。松は君子の徳を垂れて天の如く覆へども、竹は吾友の號あれば陰に臥して夜を明かす。 夢路のすゑに都をぞとふ 四 鈴鹿より市腋 六日、孟嘗君が五馬の客にあらざれば、函谷の [2] 鷄の後、夜を明かして立つ。山中なかば過ぎてやうやう下れば、巖扉削りなせり、仁者のすみか靜かにして樂しみ、澗水掘り流す、知者のみぎり動けども豐かなり。かくて邑里に出でて田中の畔ほ通れば、左に見、右に見る、立田眇々たり。或は耕し、或は耕さず、水苗處々。しかのみならず、池溝かたかたに掘りて、水をおのがひきひきに論じ、畦畝あぜを並べて苗を我がとりどりに植ゑたり。民烟の煙は父君心體の恩火よりにぎはひ、王道の徳は子民稼稷の土器より開けたり。水龍はもとより稻穀を護りて夏の雨を降し、電光はかねてより九穗を孕みて三秋を待つ。東作の業、力を勵ます、西收の税、たのもしく見ゆ。劉寛が刑を忘れたり、 苗代の水にうつりて見ゆるかな 日かずふるままに故郷も戀しく、たちかへり過ぎぬる跡を見れば、何れか山、何れか水、雲よりほかに見ゆるものなし。朝に出で暮に入る、東西を日の光に辨ふといへども、暮るれば泊り明くれば立つ、晝夜を露命に論ぜんことは離し。おのづから歩を拾ひて萬歩に運べば、遠近かぎりありて往還期しつべし。ただ憐れむ、遙かに都鄙の中路に出でて前後の念に勞することを。 都の空をうづむしらくも 夜陰に市腋といふ處に泊る。前を見おろせば、海さし入りて、河伯の民、潮にやしなはれ、後に見あぐれば、峯そばだちて、山祇の髮、風にくしけづる。磐をうつ夜の浪は千光の火を出だし(入海の潮は夜水をうてば火の散る樣にひかるなり)かがなく [3] むささびは孤枕の夢を破る。ここに泊りて心はひとり澄めども、明けゆけば友にひかれて打出でぬ。 松が根の岩しく磯の浪枕 ふしなれてもや袖にかからん 五 市腋より萱津七日、市腋をたちて津島のわたりといふ處、舟にて下れば、蘆の若葉、青みわたりて、つながぬ駒も立ちはなれず。菱の浮葉に浪はかくれども、つれなき蛙はさわぐけもなし。取りこす棹のしづく、袖にかかりたれば、 さして物を思ふとなしにみなれざを 渡りはつれば尾張の國に移りぬ。片岡には朝日の影うちにさして燒野の草に雉なきあがり、小篠が原に駒あれて、なづみし景色、ひきかへて見ゆ。見ればまた園の中に桑あり、桑の下に宅あり、宅には蓬頭なる女、蠶簀に向ひて蠶養をいとなみ、園には潦倒たる翁、鋤をついて農業をつとむ。おほかた禿なる小童部といへども、手を習ふ心なく、ただ足をひぢりこにする思のみあり。わかくよりして業をならふ有樣、あはれにこそおぼゆれ。げに父兄の教へ、つつしまざれども、至孝の志、おのづからあひなるものか。 いとけなき子も足ひぢにけり 幽月、影あらはれて旅店に人定まりぬれば、草の枕をしめて萱津の宿に泊りぬ。 六 萱津より矢矧八日、萱津を立ちて鳴海の浦に來ぬ。熱田の宮の御前を過ぐれば、示現利生の垂跡に跪いて一心再拜の謹啓に頭をかたぶく。しばらく鳥居に向ひて阿字門を觀ずれば、權現のみぎり、ひそかに寂光の都にうつる。それ土木霜舊りて、瓦の上の松風、天に吹くといへども、靈驗日に新たにして、人中の心華、春の如く開く。しかのみならず、林梢の枝を垂るる、幡蓋を社棟の上におほひ、金玉の檐に [4] たううつ、金色を神殿の面にみがく。かの和光同塵の縁は今日結びて悦びを含むといへども、八相成道の終りは來際を限るに期なきことを悲しむ。羊質未參の後悔に向前の恨みあり、後參の未來に向方のたのみなし。願はくは今日の拜參をもつて必ず當生の良縁とせむ。路次の便詣なりといふ事なかれ、これ機感の相叶ふ時なり。光を交ふるは冥を導く誓なり。明神さだめてその名におへ給はば、長夜の明曉は神にたのみあるものをや。 光とづる夜の天の戸はやあけよ 朝日こひしき四方の空みん この浦を遙かにすぐれば、朝には入潮にて [5]魚にあらずば泳ぐべからず。晝は潮干瀉、馬を早めて急ぎ行く。酉天は溟海、漫々として雲水蒼々たり。中上には一葉の舟かすかに飛びて白日の空にのぼる。かの しん男の舟のうちにしてなどや老いにけん、蓬莱島は見ずとも、不死の藥は取らずとも、波上の遊興は、一生の歡會、これ延年の術にあらずや。 老いせじと心を常にやる人ぞ なほこの干瀉を行けば、小蟹ども、おのが穴々より出でてうごめき遊ぶ。人馬の足にあわてて、横に跳り平に走りて、おのが穴々へ逃げ入るを見れば、足の下にふまれて死ぬべきは、外なる穴へ走り行きて命を生き、外におそれなきは、足の下なる穴へ走り來て、ふまれて死にぬ。憐むべし、煩惱は家の犬のみならず、愛着は濱の蟹も深きことを。これを見て、はかなく思ふ我等は、かしこしや否や、生死の家に着する心は、蟹にもまさりて、はかなきものか。 誰もいかにみるめあはれとよる波の 山かさなり又かさなりぬ、河へだたりて又へだたりぬ。ひとり舊里を別れて遙かに新路に赴く、知らず、いづれの日か故郷に歸らむ。影を並べて行く道づれは多くあれども、志は必ずしも同じからねば、心に違する氣色は、友をそむくに似たれども、境にふるる物のあはれは、心なき身にもさすがに覺えて、屈原が澤にさまよひて漁夫があざけりに耻ぢ、楊岐が路に泣きて騷人の恨みをいだきけんも、身の譬にはあらねども、逆旅にして友なきあはれには、なにとなく心細きそらに思ひしられて、 やすき草葉もあらし吹きつつ 潮見坂といふ處をのぼれば、呉山の長坂にあらずとも、周行の短息はたへず。歩を通して長き道にすすめば、宮道、二村の山中を遙かにすぐ。山はいづれも山なれども、優興はこの山に秀いで、松はいづれも松なれども、木立はこの松にとどまれり。翠を含む風の音に雨を聞くといへども、雲に舞ふ鶴の聲、晴れの空を知る。松性々々、汝は千年の操あれば面がはりせじ、再征々々、我は一時の命なれば後見を期し難し。 やまぬなごりの松の下道 山中に堺川あり、身は河上に浮びてひとり渡れども、影は水底に沈みて我と二人ゆく。 かくて參河の國に至りぬ。雉鯉鮒が馬場をすぎて數里の野原を分くれば、一兩の橋を名づけて八橋といふ。砂に眠る鴛鴦は夏を辭して去り、水に立てる杜若は時を迎へて開きたり。花は昔の花、色も變らず咲きぬらし、橋も同じ橋なれども、いくたび造りかへつらむ。相如、世を恨みしは、肥馬に乘りて昇仙に歸り、幽士、身を捨つる、窮鳥に類してこの橋を渡る。八橋よ八橋、くもでに物思ふ人は昔も過ぎきや、橋柱よ橋柱、おのれも朽ちぬるか、空しく朽ちぬる者は今も又すぎぬ。 心ゆきてもたちかへらばや この橋の上に、思ふことをちかひて打渡れば、何となく心もゆくやうにおぼえて、遙かにすぐれば、宮橋といふ處あり、數双の渡し板は朽ちて跡なし、八本の柱は殘りて溝にあり。心中に昔を尋ねて、言の葉に今をしるす。 くちて幾世かたえわたりぬる 今日の泊をきけば、前程なほ遠しといへども、暮の空を望めば、斜脚すでに酉金に近づく。日の入るほどに、矢矧の宿におちつきぬ。 七 矢矧より豐河九日、矢矧を立ちて赤坂の宿をすぐ。昔この宿の遊君、花齡、春こまやかに、蘭質、秋かうばしき者あり。顏を藩安仁が弟妹にかりて、契を參州吏の妻妾に結べり。妾は良人に先だちて世を早うし、良人は妾におくれて家を出づ。知らず、利生菩薩の化現して夫を導けるか、また知らず、圓通大師の發心して妾を救へるか。互の善知識、大いなる因縁あり。かの舊室妬が呪咀に、拜舞、惡怨、かへりて善教の禮をなし、異域朝の輕 [6] せんに、鼻酸、持鉢、たちまちに智行の徳に飛ぶ。巨唐に名をあげ、本朝に譽れをとどむるは、上人實に貴し。誰かいはん、初發心の道に入るひじりなりとは。これ則ち本來の佛の、世に出でて、人を化するにあらずや。行く行く昔を談じて、猶々今にあはれむ。 いかにしてうつつの道を契らまし かくて本野が原を過ぐれば、ものうかりし蕨は、春の心おいかはりて人も折らず、手をおのれがほどろと開け、草わかき萩の枝は、秋の色うとけれども、分けゆく駒は鹿毛に見ゆ。時に日 [7]烏、山にかくれて、月、星躔にあらはなれども、明曉を早めて豐河の宿に泊りぬ。深夜に立出でて見れば、この川は流ひろく、水深くして、まことに豐かなる渡りなり。川の石瀬に落つる波の音は、月の光に越えたり。河邊にすぐる風のひびきは、夜の色さやけく、まだ見ぬひなのすみかには、月よりほかに眺めなれたるものなし。 なれにし月のかげはさしくる 八 豐河より橋本十日、豐河を立ちて、野くれ里くれ遙々とすぐる峯野の原といふ處あり。日は野草の露より出でて若木の枝に昇らず。雲は嶺松の風に晴れて山の色、天と一つに染めたり。遠望の感、心情つなぎがたし。 山のはは露より底にうづもれて やがて高志山にかかりぬ。岩角をふみて火敲坂を打過ぐれば、燒野が原に草の葉萠えいでて、梢の色、煙をあぐ。この林地を遙かに行けば、山中に境川あり。これより遠江の國にうつりぬ。 のぼらん旅のあづまぢの山 この山の腰を南に下りて遙かに見くだせば、青海浪々として白雲沈々たり。海上の眺望はここに勝れたり。やうやうに山脚に下れば匿空のごとくに堀り入りたる谷に道あり。身をそばめ聲を呑んで下る。上りはつれば、北は韓康獨り徃くのすみか、花の色、夏の望に貧しく、南は范蠡扁舟の泊り、浪の聲、夕べの聞きに樂しむ。鹽屋には薄き煙、靡然となびきて、中天の雲、片々たり。濱 りうにはあふるる潮涓焉とたまりて、數條の畝、 せき々たり。浪によるみるめは心なけれども黒白をわきまへ、白洲に立てる鷺は心あれども、毛、いさごにまどへり。優興にとどめられて暫く立てれば、この浦の景趣は、ひそかに行人の心をかどふ。 ゆきすぐる袖も鹽屋の夕煙 夕陽の景の中に橋本の宿に泊る。鼈海、南にたたへて遊興を漕ぎゆく舟に乘せ、驛路、東に通ぜり、譽號を濱名の橋に聞く。時に日車西に馳せて牛漢漸くあらはれ、月輪、嶺にめぐりて、兎景、初めて幽かなり。浦に吹く松の風は、臥しも習はぬ旅の身にしみ、巖を洗ふ波の音は、聞きも馴れぬ老の耳にたつ。初更の間は、日ごろの苦しみに七編のこものむしろに夢みるといへども、深漏は、今宵の泊の珍らしきに目さめて、數双の松の下に立てり。磯もとどろによる波は、水口かまびすしくののしれども、晴れくもりゆく月は、雲の薄衣をきて忍びやかにすぐ。釣魚の火の影は、波の底に入りて魚の肝をこがし、夜舟の棹の歌は、枕の上に音づれて客の寢ざめにともなふ。夜もすでに明けゆけば、星の光は隱れて、宿立つ人の袖は、よそなる音に呼ばはれて、しらぬ友にうちつれて出づ。暫く舊橋に立ちとどまりて、珍らしき渡りを興ずれば、橋の下にさしのぼる潮は、歸らぬ水をかへして上さまに流れ、松を拂ふ風の足は、頭を越えてとがむれども聞かず。大方、羇中の贈り物はここに儲けたり。 なほ過ぎかねつ松のむらだち のこして立ちぬ松の浦風 九 橋本より池田十一日、橋本を立ちて、橋のわたりより行く行く顧りみれば、跡に白き波の聲は、過ぐるなごりを呼びかへし、路に青き松の枝は、歩むもすそを引きとどむ。北にかへりみれば、湖上遙かに浮んで、波の皺、水の顏に老いたり。西に望めば、潮海ひろくはびこりて、雲の浮橋、風のたくみに渡す。水上の景色は、彼もこれも同じけれども、湖海の淡鹹は、氣味これ異なり。 みぞの上には、波に羽うつみさご、凉しき水をあふぎ、船の中には、唐櫓おす聲、秋の雁をながめて夏のそらに行くもあり。興望は旅中にあれば、感腸しきりにめぐりて、思ひ、やみがたし。 この處を打過ぎて濱松の浦に來ぬ。長汀、砂ふかくして、行けば歸るが如し。萬株、松しげくして、風波、聲を爭ふ。見れば又、洲島、潮を呑む、呑めば即ち曲浦の曲より吐き出し、濱 い、珠をゆる、ゆれば則ち疊巖の疊に碎き敷く。優なるかな、體なるかな、忘れがたく忍びがたし。命あらば、いかでか再び來りてこの浦を見む。 波は濱松には風のうらうへに 立ちとまれとや吹きしきるらん 林の風に送られて廻澤の宿をすぎ、遙かに見わたして行けば、岡邊には森あり、野原には津あり。岸に立てる木は枝を上にさして正しく生ひたれども、水にうつる影は梢をさかさまにして互に相違せり。水と木とは相生、中よしと聞けども、映る影は向背して見ゆ。時すでにたそがれになれば、夜の宿をとひて池田の宿に泊る。 一〇 池田より菊川十二日、池田を立ちて、くらぐら行けば、林野は皆同樣なれども、ところどころ道ことなれば、見るに從ひてめづらしく、天中川を渡れば、大河にて水の面三町あれば舟にて渡る。水早く、波さかしくて、棹もえさし得ねば、大きなるえぶりを以て横さまに水をかきて渡る。かの王覇が忠にあらざれば、呼他河、氷むすぶべきにあらず、張博望が牛漢の波にさかのぼりけん浮木の船、かくやと覺えて、 よしさらば身を浮木にて渡りなん 上野の原を一里ばかり過ぐれば、千草萬草、露の色なほ殘り、野煙風音また弱し。あはれ同じくは、これ秋の旅にてあれな。 秋にさきだつ野邊のおもかげ 山口といふ今宿をすぐれば、路は舊によりて通ぜり。野原を跡にし、里村を先にし、うちかへうちかへ過ぎゆけば、事任といふ社に參詣す。本地をば我しらず、佛陀にぞいますらん、薩 [8] たにもいますらん、中丹をば神必ず憐れみ給ふべし。今身もおだやかに、後身もおだやかに、杉の群立は三輪の山にあらずとも、戀しくは訪ひても參らん、願はくはただ畢竟空寂の法味を納受して、眞實不虚の感應を垂れ給へ。 思ふことのままに叶へよ杉立てる 社のうしろの小河を渡れば、小夜の中山にかかる。この山口を暫くのぼれば、左も深き谷、右も深き谷、一峯に長き路は堤の上に似たり。兩谷の梢を目の下に見て、群鳥の囀りを足の下に聞く。谷の兩片はまだ山高し。この間を過ぐれば中山とは見えたり。山は昔の山、九折の道、舊きが如し。梢は新たなる梢、千條の緑、皆淺し。この處は、その名殊に聞えつる處なれば、一時の程に、ももたび立留まつて打眺め行けば、秦蓋の雨の音は、ぬれずして耳を洗ひ、商絃の風のひびきは、色あらずして身にしむ。 越えてなごりぞ苦しかりける 時に鴇馬蹄つかれて日 彼の南陽縣の菊水、下流を汲んで齡を延ぶ、此の東海道の菊河、西涯に宿りて命を全くせんことを。 まことにあはれにこそ覺ゆれ。その身、累葉のかしこき枝に生れ、その官は黄門の高き階に昇る。雲上の月の前には、玉の冠、光を交へ、仙洞の花の下には、錦の袖、色を爭ふ。才、身に足り、榮、分に餘りて、時の花と匂ひしかば、人それをかざして、近きも從ひ遠きも靡き、かかるうき目をみんとは思ひやはよるべき。さてもあさましや承久三年六月中旬、天下、風あれて、海内、波さかへりき。鬪亂の亂將は花域より飛びて合戰の戰士は夷國より戰ふ。暴雷、雲を響かして、日月、光を覆はれ、軍虜、地を動かして、弓劔、威を振ふ。その間、萬歳の山の聲、風忘れて枝を鳴らし、一清の河の色、波あやまつて濁りを立つ。茨山汾水の源流、高く流れて、遙かに西海の西に下り、卿相羽林の花の族、落ちて遠く束關の東に散りぬ。これのみにあらず、別離宮の月光、ところどころにうつりぬ。雲井を隔てて旅の空に住み、鷄籠山の竹聲、かたがたに憂へたり。風、便りを絶えて外土にさまよふ。夢かうつつか、昔も未だ聞かず。錦帳玉 [9] たうの床は主を失ひて武客の宿となり、麗水蜀川の貢は、數を盡して邊民の財となりき。夜晝に戯れて衿を重ねし鴛鴦は、千歳比翼の契、生きながら絶え、朝夕に敬ひて袖を收めし童僕も、多年知恩の志、思ひながら忘れぬ。げに會者定離の習ひ、目の前に見ゆ。刹利も首陀も變らぬ奈落の底の有樣、今は哀れにこそ覺ゆれ。今は歎くとも助くべき人もなし。涙を先だてて心よわく打出でぬ。その身に從ふ者は甲冑のつはもの、心を一騎の客にかく。その目に立つ者は劔戟の刄、魂を寸神の胸に消す。せめて命の惜しさに、かく書きつけられけむこそ、するすみならぬ袖の上もあらはれぬべく覺ゆれ。 心あらばさぞなあはれとみづくきの あとかきわくる宿の旅人 一一 菊川より手越妙井の渡りといふ處の野原をすぐ。仲呂の節に當りて、小暑の氣、やうやう催せども、未だ納涼の心ならねば手にはむすばず。 夏ふかき清水なりせば駒とめて 播豆藏の宿をすぎて大井川を渡る。この川は中に渡り多く、水またさかし。流を越え島を隔てて、瀬々、かたがたに分れたり。この道を二三里ゆけば、四望かすかにして遠情おさへがたし。時に水風例よりもたけりて、白砂、霧の如くに立つ。笠を傾けて駿河の國に移りぬ。前島をすぐるに波は立たねど、藤枝の市を通れば花は咲きかかりたり。 みな藤枝の花にかへつつ 岡部の里をすぎて遙かに行けば宇津の山にかかる。この山は、山の中に愛するたくみの削りなせる山なり。碧岩の下には砂長うして巖を立て、翠嶺の上には葉落ちてつちくれをつく。肢を背に負ひ、面を胸に抱きて漸くに登れば、汗、肩袒の膚に流れて、單衣おもしといへども、懷中の扇を手に動かして微風の扶持可なり。かくて森々たる林を分けて、峨々たる峯を越ゆれば、貴名の譽れはこの山に高し。おほかた遠近の木立に心もわけられて、一方ならぬ感望に思ひ亂れてすぐれば、朝雲、峯くらし、虎、李將軍が住みかを去り、暮風、谷寒し、鶴、鄭太尉が跡に住む。既にして赤羽西に飛ぶ。目に遮るものは檜原、槇の葉、老の力ここに疲れたり。足に任するものは、苔の岩根、蔦の下路、嶮難に堪へず。暫く打休めば、修行者一兩客、繩床、そばに立てて又休む。 みやこ戀ひつつひとり越えきと 行く行く思へば、過ぎ來ぬるこのあひだの山河は、夢に見つるか、うつつに見つるか。昨日とやいはん、今日とやいはん、昔を今と思へば我が身老いたり、今を昔と思へば我が心若し。古今を隔つるものは我が心の中懷なり。生死涅般、猶如昨夢といへるも、あはれにこそ覺ゆれ。昨日すぎにし跡は今日の夢となり、今日ここを過ぐる、明日いづれの處にして今は昨日といはん。誠にこれ、過ぎぬる方の歳月を、夢より夢に移りぬ。昨日今日の山路は、雲より雲に入る。 今日はうつつのうつの山ごえ 手越の宿に泊りて足を休む。 |
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