アテネの政治改革 ①貴族政治 当初戦争に行けるのはお金のある貴族だけでした。政治に口を出せるのは、体を張って戦った者に与えられた特権なのです。 平民の中に非常に豊かな者が出て来た。 貿易が盛んになると、当然お金持ちの平民が現れます。 豊かな人達は、ポリスを守るために戦いへ! 彼らにとって、ポリスを守るとはとっても名誉なことなのです。 貴族は馬に乗り、平民は歩兵 馬は維持費がかかるから、貴族しか手に出来ません。重装歩兵と呼ばれました。 ちなみに装備は全てオーダーメード。つまり手弁当です。 「武器自弁の原則」とか呼ばれてます。 ファランクスという密集戦法 平民「俺たちこんな頑張ったんだから、政治に参加させてよ」 当然ですわな。ご褒美がないとやる気も起きません。 貴族「えーちょっと勘弁してよ。俺たちも正しい政治するからさー」 当時政治を牛耳っていた貴族は、不正を繰り返してました。平民の不満はこうしたところから出てくる訳です。 てなわけで「ドラコンの法」を整備 今まで慣習法(なんとなく昔からの伝統で決まってた法律)から成文法(ちゃんと文字にする法律)に。 貴族の横暴を帽子しました。 そんなことで平民が許してくれるはずも無く、前594年「ソロンの改革」 貴族政治から財産政治へ! 戦いに行ける人=武器を用意出来る人=お金持ちは、政治参加OK だから、財産政治と呼ぶのです。でも、世の中お金が無い人の方が多いわけでして 参政権の無い平民(財産無し)は不満が出て来る。しかもこの時代、借金のせいで奴隷になってしまう平民もいた… この人達の不満を解消するために… 債務帳消し!債務奴隷の禁止! やったあ! それでも平民に参政権が無いことに不満が続出、彼らの不満を利用して政治権力を握る輩が… ③僭主政治 ペイシストラトスという人物が、貴族層から権力を奪って、独裁政治。 そんなに悪い奴じゃなかったんだけどね。 ペイシストラトスが死んでしまうと…
④民主政治 民主政治が確立しました。 (1)クレイステネスの改革(前508年) 貴族の古い部族制度を廃止。貴族の特権を奪いました。 (2)陶片追放制度(オストラシズム)の導入 危ない奴(独裁者になりそう)の名前を瓦のかけらに書いて、投票する仕組み。 |
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