  東京女子医科大学を卒業し、講師として教育に従事していた大澤氏は、テュートリアル教育導入に臨んでいた吉岡守正学長の命を受け、1987年に半年間、カナダのマックマスター大学に留学。後に日本の医学教育モデルコアカリキュラムの基礎となった問題解決型学習方法、テュートリアル教育の導入に尽力されました。これは医学だけでなく広く他分野でも導入されている教育法です。1994年に小児科主任教授に就任、テュートリアル委員長や人間関係教育委員長など教育関連の主要な委員会の長を歴任。また、2008年には女性初の医学部長に就任。自身の経験から男女共同参画推進局の設立に貢献し、女性医師復職支援プロジェクトにも精力的に関わりました。教育において「学生ファースト」を信念として、自らがロールモデルとなり、学生の心に寄り添われています。 世界最先端の教育プログラムを体験し 日本での導入に尽力する 大澤先生は、東京女子医科大学の吉岡守正学長(故人)から、テュートリアル教育導入の準備をするという命を受けて留学されたそうですね。 大澤女子医大の学生はすごくまじめで、知識量はたくさんあるのに、活用する力がない。それは医師になってから非常に問題である、と吉岡先生は考えていらっしゃいました。問題解決型学習テュートリアルシステムの基礎となる教育は、私が留学した1987年当時、カナダのマックマスター大学でしか行われていませんでした。その後、ハーバード大学が追随して世界がテュートリアル教育に注目していくのです。吉岡先生はご自身でマックマスター大学を視察された上で女子医大に取り入れたいと思われました。そして私に、こういう教育方法が女子医大の学生に向いているか体験して調べて来なさいと言われたのです。 実際いかがでしたか。 大澤例えば女子医大では、平日はほぼ毎日朝8時から17時まで講義がありました。大教室で先生が話す一方向のものです。ところがマックマスター大学では、100人全体に対する講義の時間は週1回。それ以外にクルズスと呼ばれる少人数の講義があり、教師からの質問と生徒の解答が飛び交う双方向のものでした。テュートリアルは、数名の学生とテューターと呼ばれる教員がブレーンストーミングをしながら、学生が主体的に考え問題解決に導く教育法で、私はコ・テューターというテューターの協力者の立場で参加しました。驚いたのはtriple jump training sessionといわれるテストの方法です。教師と学生の1対1で行われ、学生自らが与えられた臨床的問題に、これこれの理由からこれこれの状態が考えられると仮説を立て、テューターがこの病気の頻度や理由を質問していき、学生は現在の自分はこの問題を解くにはこれこれの知識や理解が足りないのでその点を勉強したいと述べます。そして、最終的に2時間の時間が学生に与えられます。学生は図書館で教科書や文献に当たったり、他の材料を見たりして、問題解決方法をテューターに報告。評価は、その学生の問題抽出能力や、学習能力でなされます。日本でテストといえば、頭の中の知識で解くものでしたが、テュートリアル教育のテストは、自分で問題を解決する方法を学ぶために行われていました。 帰国されてしばらくは、テュートリアル教育の導入について周囲の先生がたの説得にご尽力されたとお聞きしました。 大澤当時はパワーポイントがありませんでしたから、テュートリアル教育を説明するための紙芝居を作り、生物学や基礎医学、臨床医学の教室に伺い先生がたに説明して回りました。吉岡先生が教授会をリードされ、新しいプログラム開始のために複数の委員会を立ち上げられましたが、どちらかというと懐疑的な先生がたに委員長などの役割を担っていただくようにすることで、皆さんが巻き込まれ、なんとなく落ち着いて行きました。私は、思ったらすぐに行動に出るタイプなので、道筋を考え時間をかけてみんなを巻き込んでいく吉岡先生の進め方がすごく勉強になりました。こうして実際にテュートリアル教育が導入されたのは1990年でした。 「教育者」「臨床医」「母」 それぞれの立場を、それぞれの糧に 教育者として講義に力を入れながら、臨床医としての仕事、さらにご家庭、すべてを成り立たせるのはご苦労がおありだったのではないでしょうか。 大澤環境とタイミングに恵まれていました。マックマスター大学に留学した時、中学2年生の娘を連れて行きました。乳幼児を抱えていたタイミングなら行けなかったと思います。カナダでは、娘が通った学校の先生からは、結果としての点数ではなく、実を取るという教育の大切さに気付かされました。以来、教育者として、相手の人生のためになるには何をすべきか、と考えるようになりました。人間関係教育にも携わっており、また学生委員も務めていたので、非常に役に立ちました。医学部長時代には留年する学生たちとの面談がありました。よく話を聞くと、さびしくて勉強に身が入らない学生、親の経済状況を考えて教科書を買えなかった学生もいました。そのつど、現実的な解決をしてきました。 テュートリアル教育を導入されて28年になりますが、学生の雰囲気は変わりましたか。 大澤伸びやかに意見を言えるようになりました。一つ強調したいのは、アイウエオを知らなかったら文字が書けないのと同じで、医学教育では絶対に覚えなければならないことは覚える必要があります。その上で、自分で調べて解決する方法を身につけてもらうのがテュートリアル教育です。旅をする人に肉や魚を持たせるより、狩りの仕方を教えることが大事なのです。 女性医師が少ない時代から女性復職支援にも尽力されてきたと伺っています。大澤先生が医師になられた時代から、女性を囲む環境は変わっているでしょうか。 大澤川上順子先生が女子医大の中に女性医師再教育センターを作られました。私は小児科の女性医師を引き受けました。大事なことは女性医師が家庭を持って一時的に子育てのために職を離れても、医師として絶対に戻ると思い続けることです。そして、休まなければならない時には、1週間に1度でもいいので現場にいるようにすると感覚が鈍りません。ある熱心な女性医師が休職をする際には、非常勤のテューターをやりなさいと勧めました。学生と課題に関わっていることはテューター自身のためにもなるからです。ボランティアで10年続け、教育貢献賞を受賞したと手紙をもらい、とても嬉しかったです。誰かが背中を押すことも大切ですね。 今後についてお話しいただけますか。 大澤今は日本筋ジストロフィー協会の診療所におります。実際には筋ジストロフィーの方ではなく、発達障害やてんかん、親子関係に問題を抱えている患者さんが多いのですが、子どもは大人に守られて育てられるべきで、それぞれの特性を見てしっかり受け止めて関わることが大事だと、お母様や学校の先生に伝えていきたいと思っています。 大澤 眞木子(おおさわ まきこ) 東京女子医科大学 名誉教授 1972年東京女子医科大学卒業後、同大学病院小児科医局に入局。医学博士。講師への昇格を経て、故吉岡守正学長の命を受け1987年カナダ・マックマスター大学に留学、客員教授として先進医学教育システムを学び、テュートリアル教育の立ち上げに尽力。のちの日本の医学教育モデルコアカリキュラムの礎となった。日本における筋ジストロフィー、てんかん医療の第一人者であり、女性初の日本てんかん学会理事長。現在は、患者支援・指導にも力を注ぐ。2008年には東京女子医科大学で女性初の医学部長に就任、女性医師復職支援プロジェクトを精力的に推進。2013年同医大の名誉教授に就任。女性医師への支援など精力的に活動を続けている。
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