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『昴(すばる)』の歌詞の意味〜プレアデスに“さらば”する理由と蒼白さの深み(谷村新司)

 wenwengolf 2018-08-11

すばる)』、言わずと知れた谷村新司さんの名曲・代表曲です。
ご承知のとおり人気も絶大。カラオケファンなら、お得意のレパートリーにしている人も多いでしょう。

ところがこの『昴』、歌詞をよく聴いてみると謎めいたところがあり、意味がいまひとつはっきりしません
わかるようでわからない。

作者である谷村新司さん自身は「プレアデス星団からのメッセージを受信して生まれた」などとのたまっている。

いやいや、そういうことじゃなくて・・・汗

というわけで今回は谷村新司さんの名曲『昴』の歌詞の意味を考えてみました。
楽曲のドラマチックな世界感を大切にしながら、できるだけ感覚的な印象に相応しい理解を書いてみたいと思っています。

もちろん私個人の解釈なので、これが正解、などということではなくて、『昴』の楽しみ方のひとつと捉えていただければありがたいです。よかったらみなさんの解釈も、コメント欄にお寄せください。
なお、諸事情により『昴』歌詞そのものは掲載することはできません。歌詞を確認なさりたい方は専門サイトをご参照ください。(せっかく来てくださったのにすみません。)

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『昴(すばる)』の歌詞の世界

『昴』は作詞・作曲とも谷村新司さんの作品です。

『昴』の世界は冒頭、荒野から始まります。
目を開くと、そこには荒野へ向かう道がある。

荒れ野と聞いて、みなさんはどんな光景を思い浮かべるでしょうか?
人それぞれだと思いますが、私には砂漠のような不毛の、広大な光景がイメージされます。
植物があってもわずかで、日中は砂埃が舞うような荒涼とした世界。
もちろん人の気配はなく、夜になれば真っ暗。それ故に空には星の光が無数に輝くような、自然のただ中です。

そして私には、そんな荒野へ向かうほか、もはや選択肢はない。

歌詞には“道”と出て来ますが、それは踏み固められたコースのようなものではないでしょう。
むしろ、道無き道を進むほかないんだ、そのほかに生きて行く方法はないんだ、という意味だと感じられます。

私はその道なき荒野に踏み込んで行く。
だから星たちよ、せめて私を照らしてくれ。

蒼白い星の光が、私の痩せた頬を際立たせる。
それでも私は心の命じるまま、夢を追い求める。

とりあえず私は、『昴』の歌詞の世界をこのようなイメージで捉えています。

神々としてのプレアデス
昴=プレアデス星団はおうし座にあります。M45という別名があり、肉眼でもいくつかの明るい星の集まりを見ることができます。双眼鏡でみればさらに数十個確認できるとか。

肉眼で見える天体として珍しかったため、昔から様々な地域の記録や神話に登場しています。

なかでもプレアデス星団の名の直接的な由来になっているのはギリシア神話。
プレイアデス7姉妹という神々がおり、狩猟を司る女神アルテミスの侍女をしていました。末の妹のほかはそれぞれゼウスやポセイドンなど有名な神の子を産み、特に長姉のマイアはゼウスの子ヘルメスを生んだとされています。

『昴(すばる)』のテーマは「自由」

こんなイメージにおいて、『昴』は自由を歌った歌だと理解できそうです。

人が誰も歩み入ったことのない道に踏み入るときの孤独と、決然とした意志
頼るものは自分の心の中の熱い思いだけ。
圧倒的な孤独に圧し潰されそうになりながら、せめて我が身と我が行く先を照らしてくれ、と星々に呼びかける・・・考えようによっては、これぞ人生の醍醐味と言えるかも知れません。

『昴』のもつ壮大な世界感は、人が大人になる時に経験するような内面の孤独と、それを克服する瞬間のドラマをテーマにしているところから来ているような気がします。

でもこれで『昴』を言い尽くせたとは思えません。
とても大きな謎がある。
それは、

さらば昴よ

この歌のキーフレーズでもあります。
 

「さらば昴よ」が意味するもの

昴(すばる)とは、おうし座にあるプレアデス星団の和名です。
目のよい方なら、肉眼でも若い星々が集まっているのが確認できるそうです。

この星々は、歌詞の中では孤独な自分に寄り沿い、かすかな光を投げかけてくれるたいせつな存在です。
では、なぜそれに別れを告げるのか?

星々についてはほかの箇所でも「砕け散る宿命」とか、「鮮やかにその身を終われ」とも言われています。つまり昴は、自分を照らす光であると同時に、やがて消え行く運命にある悲劇的な存在とされている。

星にも一生はありますから、やがては砕け散ってしまうのでしょう。でもそれは、人間の一生よりも遥かに長いスケールの話ですよね。
ですからここで主人公が「さらば昴よ」と呼びかけるのは、とりあえずは昴が消えるからではなく、逆に自分自身が消えて行こうとしているから、と考えるのが自然でしょう。

繰り返す悲劇〜「我は行く」と「我も行く」

そのことは、

ああ、いつの日か誰かかがこの道を

というフレーズからもうかがえます。

荒野へと向かうこの道を=星の光のみが照らすこの道を、きっとまた誰かが往くだろう。
自分が消え去った後も、というわけです。

厳しい話ですが、道無き道を進もうとする者には、必ずしもハッピーエンドが準備されているわけではありません。むしろそうでない場合の方が多いでしょう。それでも人は自由を夢見て、あえて荒野へと踏み出します。その運命を受入れた者に、昴の光は寄り添い、降り注ぐ。

そして、たとえ結末は悲劇であっても、彼の熱い思いは後に続くものに託されていく。
「我は行く」は、「我も行く」でもある。
夢見る者の営みとは、そういうものだということです。

昴とは何か? 重なり合う“蒼白さ”

というわけで、主人公が消え去った後も、彼に続く者たちが幾千、幾万と続きます。
そして昴は彼らと彼らの行く先を、主人公にしたのと同じように照らし続ける。

ただ、彼らを幾千万と見送った後、やがて昴も砕け、滅びる時が来ます。

その時こそ、主人公たち夢見る者と昴とは、ひとつになる・・・

と、ここ↑まで言っちゃっていいかどうかわかりませんが、自由へと赴く主人公たちと、それを見守る昴とは、悲劇的な運命においてひとつに重ね合わされているように、私には感じられます。

蒼白さとは若さでもあります。プレアデスは若い星々であり、その光は青みがかっているそうです。
主人公の頬が蒼白く見えるのは、若さと昴の光の両方を、きっと表している。
つまるところ昴は、胸熱く夢を追う者とその運命とを、象徴しているのでしょう。

 

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『 昴』の歌詞について

私自身の解釈はこんな感じなのですが、もちろんひとつの理解に過ぎません。
ネットを見ていて印象に残った解釈もありましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

プレアデス星団からのメッセージ

まず作者自身の理解を。
冒頭でも少し書きましたが、谷村新司さんはこの『昴』の誕生について、プレアデス星団からの「関与」をほのめかしているそうです。

ここで言うプレアデス星団とは、いわゆる雑誌『ムー』系の話。
超絶に進歩的な文明をもっていて、地球人を導いてくれる、みたいなやつ。

谷村は今年1月末に出版した自著『谷村新司の不思議すぎる話』(マガジンハウス)で、驚くべきエピソードを披露している。なんと谷村は、「昴」はプレアデス星団からのメッセージをキャッチして書いた詞だというのだ!
出典:谷村新司が衝撃告白! 名曲『昴』は宇宙人からのメッセージだった! – エキサイトニュース(1/3)

谷村さんてそういう人だったんだ?

名曲「昴」が誕生したのは、1980年。作詞・作曲ともに谷村が手がけているが、プレアデス星団とのファーストコンタクトは引っ越しの最中だった。突然、降りてきた言葉は「さらば昴よ」という一文だった。本人さえ「ん? 『さらば昴よ』って何?」と意味も分からず歌詞を書き留めたというのだ。
出典:谷村新司が衝撃告白! 名曲『昴』は宇宙人からのメッセージだった! – エキサイトニュース(1/3)

芸術家は時折、似たようなことを言いますね。
作品は自分で考えて生み出すものではなく、「降りてくる」とか「すでにそこにあった」とか。
神秘的に聞こえますが、直感的な発想を表現すると、こんな言い方になるのでしょう。

谷村さんの場合は楽曲が『昴』だっただけに、降りて来た源が“プレアデス星人”になったのでしょう。ちなみに谷村さんご本人は『昴』の歌詞の意味を、

「目に見えるモノだけに縛られる物質的な生き方に別れを告げ、目に見えないモノを大事にする精神的に豊かな生活を選ぼう」
出典:谷村新司が衝撃告白! 名曲『昴』は宇宙人からのメッセージだった! – エキサイトニュース(3/3)

と理解しているそうです。
結論としていい話ではありますが、歌詞そのものとのつながりが、私にはいまひとつわかりません。すいません・汗

少し書き添えますと私は、歌詞は時として作家の意図を超えることもあると考えています。むしろそういう時のほうがいい感じになることが多そうだ、とも思っています。

特攻隊の悲劇

他方、もうちょっと一般的な見方はないのでしょうか?

検索をかけてみると、『昴』は戦時下に行なわれた玉砕や特攻を歌った曲ではないか、という意見を何件か見かけました。
砕けて散る宿命である星たちを、特攻隊のパイロットに見立てているわけです。

この見方でいくと、なるほど『昴』のもつ悲劇的な雰囲気をくみとれる面が確かにあります。

寂しさの中にも決然とした意志をもつ人々。
その人々を星に見立て、彼らの悲劇的で英雄的な運命を、滔々と歌い上げる。

・・・胸が詰まります。

身近な方を戦争で亡くしていたりしたら、『昴』の解釈はこれ以外には動かしがたくなるだろう、という気もします。戦争賛美が云々とかいうこととは全く別の次元で、そのような方々がいらっしゃるとしたら、その思いは決して否定はできないし、尊重されるべきだとも思います。

『昴』について

『昴』のリリースは1980年4月1日。谷村さんのソロ活動としては自身最高の60万枚の大ヒットを記録することになります。
1948年12月11日生まれの谷村さんは、当時31歳でした。

この頃はアリスの活動の絶頂期で、なぜこんな悲劇的な楽曲が出来たのか少し不思議な面もあります。夢に敗れたのではなく、夢をつかんだその頂でこういう曲が生まれることもあるんですね。あるいは谷村さんにとって、その夢の叶い方はちょっと違っていたのでしょうか・・・

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昴の歌詞について、まとめ

以上、谷村新司さんの『昴』の歌詞の意味についてでした。

私なりの理解をまとめると、『昴』は、夢を追う若い心の孤独と悲劇を、蒼白い星々の光に象徴させたもの、ということになりそうです。
まとめるとさらにわけがわからなくなったかも知れません・笑

本来、楽曲やその歌詞についてあれこれ言うのは無粋なことかとも思います。ただ自分の言葉にしてみるとより深く入ってくる面もあります。ここで書いたものが正解かどうかということではなく、もし『昴』ファンの方でしたら、一度解釈を試してみてはいかがでしょう? よかったらコメント欄で教えてください。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。

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