『昴(すばる)』、言わずと知れた谷村新司さんの名曲・代表曲です。 ところがこの『昴』、歌詞をよく聴いてみると謎めいたところがあり、意味がいまひとつはっきりしません。 作者である谷村新司さん自身は「プレアデス星団からのメッセージを受信して生まれた」などとのたまっている。 いやいや、そういうことじゃなくて・・・汗 というわけで今回は谷村新司さんの名曲『昴』の歌詞の意味を考えてみました。 もちろん私個人の解釈なので、これが正解、などということではなくて、『昴』の楽しみ方のひとつと捉えていただければありがたいです。よかったらみなさんの解釈も、コメント欄にお寄せください。 スポンサーリンク コンテンツ 『昴(すばる)』の歌詞の世界『昴』は作詞・作曲とも谷村新司さんの作品です。 『昴』の世界は冒頭、荒野から始まります。 荒れ野と聞いて、みなさんはどんな光景を思い浮かべるでしょうか? そして私には、そんな荒野へ向かうほか、もはや選択肢はない。 歌詞には“道”と出て来ますが、それは踏み固められたコースのようなものではないでしょう。 私はその道なき荒野に踏み込んで行く。 蒼白い星の光が、私の痩せた頬を際立たせる。 とりあえず私は、『昴』の歌詞の世界をこのようなイメージで捉えています。 神々としてのプレアデス
昴=プレアデス星団はおうし座にあります。M45という別名があり、肉眼でもいくつかの明るい星の集まりを見ることができます。双眼鏡でみればさらに数十個確認できるとか。 肉眼で見える天体として珍しかったため、昔から様々な地域の記録や神話に登場しています。 なかでもプレアデス星団の名の直接的な由来になっているのはギリシア神話。 『昴(すばる)』のテーマは「自由」こんなイメージにおいて、『昴』は自由を歌った歌だと理解できそうです。 人が誰も歩み入ったことのない道に踏み入るときの孤独と、決然とした意志。 『昴』のもつ壮大な世界感は、人が大人になる時に経験するような内面の孤独と、それを克服する瞬間のドラマをテーマにしているところから来ているような気がします。 でもこれで『昴』を言い尽くせたとは思えません。
この歌のキーフレーズでもあります。 「さらば昴よ」が意味するもの昴(すばる)とは、おうし座にあるプレアデス星団の和名です。 この星々は、歌詞の中では孤独な自分に寄り沿い、かすかな光を投げかけてくれるたいせつな存在です。 星々についてはほかの箇所でも「砕け散る宿命」とか、「鮮やかにその身を終われ」とも言われています。つまり昴は、自分を照らす光であると同時に、やがて消え行く運命にある悲劇的な存在とされている。 星にも一生はありますから、やがては砕け散ってしまうのでしょう。でもそれは、人間の一生よりも遥かに長いスケールの話ですよね。 繰り返す悲劇〜「我は行く」と「我も行く」そのことは、
というフレーズからもうかがえます。 荒野へと向かうこの道を=星の光のみが照らすこの道を、きっとまた誰かが往くだろう。 厳しい話ですが、道無き道を進もうとする者には、必ずしもハッピーエンドが準備されているわけではありません。むしろそうでない場合の方が多いでしょう。それでも人は自由を夢見て、あえて荒野へと踏み出します。その運命を受入れた者に、昴の光は寄り添い、降り注ぐ。 そして、たとえ結末は悲劇であっても、彼の熱い思いは後に続くものに託されていく。 昴とは何か? 重なり合う“蒼白さ”というわけで、主人公が消え去った後も、彼に続く者たちが幾千、幾万と続きます。 ただ、彼らを幾千万と見送った後、やがて昴も砕け、滅びる時が来ます。 その時こそ、主人公たち夢見る者と昴とは、ひとつになる・・・ と、ここ↑まで言っちゃっていいかどうかわかりませんが、自由へと赴く主人公たちと、それを見守る昴とは、悲劇的な運命においてひとつに重ね合わされているように、私には感じられます。 蒼白さとは若さでもあります。プレアデスは若い星々であり、その光は青みがかっているそうです。
スポンサーリンク 『 昴』の歌詞について私自身の解釈はこんな感じなのですが、もちろんひとつの理解に過ぎません。 プレアデス星団からのメッセージまず作者自身の理解を。 ここで言うプレアデス星団とは、いわゆる雑誌『ムー』系の話。
谷村さんてそういう人だったんだ?
芸術家は時折、似たようなことを言いますね。 谷村さんの場合は楽曲が『昴』だっただけに、降りて来た源が“プレアデス星人”になったのでしょう。ちなみに谷村さんご本人は『昴』の歌詞の意味を、
と理解しているそうです。 少し書き添えますと私は、歌詞は時として作家の意図を超えることもあると考えています。むしろそういう時のほうがいい感じになることが多そうだ、とも思っています。 特攻隊の悲劇他方、もうちょっと一般的な見方はないのでしょうか? 検索をかけてみると、『昴』は戦時下に行なわれた玉砕や特攻を歌った曲ではないか、という意見を何件か見かけました。 この見方でいくと、なるほど『昴』のもつ悲劇的な雰囲気をくみとれる面が確かにあります。 寂しさの中にも決然とした意志をもつ人々。 ・・・胸が詰まります。 身近な方を戦争で亡くしていたりしたら、『昴』の解釈はこれ以外には動かしがたくなるだろう、という気もします。戦争賛美が云々とかいうこととは全く別の次元で、そのような方々がいらっしゃるとしたら、その思いは決して否定はできないし、尊重されるべきだとも思います。 『昴』について『昴』のリリースは1980年4月1日。谷村さんのソロ活動としては自身最高の60万枚の大ヒットを記録することになります。 この頃はアリスの活動の絶頂期で、なぜこんな悲劇的な楽曲が出来たのか少し不思議な面もあります。夢に敗れたのではなく、夢をつかんだその頂でこういう曲が生まれることもあるんですね。あるいは谷村さんにとって、その夢の叶い方はちょっと違っていたのでしょうか・・・ スポンサーリンク 昴の歌詞について、まとめ以上、谷村新司さんの『昴』の歌詞の意味についてでした。 私なりの理解をまとめると、『昴』は、夢を追う若い心の孤独と悲劇を、蒼白い星々の光に象徴させたもの、ということになりそうです。 本来、楽曲やその歌詞についてあれこれ言うのは無粋なことかとも思います。ただ自分の言葉にしてみるとより深く入ってくる面もあります。ここで書いたものが正解かどうかということではなく、もし『昴』ファンの方でしたら、一度解釈を試してみてはいかがでしょう? よかったらコメント欄で教えてください。 最後までご覧くださり、ありがとうございました。 |
|
来自: wenwengolf > 《待分类》