ある寺に、天極秀道(てんごくしゅうどう)というお坊さんが住んでいました。 文字どおりの破れ寺で、屋根はすっかり傾き、くずれた土塀の穴から中がまる見えでした。 それでも秀道はまったく気にもかけず、この寺に迷い込んだ一匹の猫と、のんびり暮らしていました。 ある年の春、秀道は寺の緑側に座って、日向ぼっこをしていました。膝の上の猫の頭をなでながら、なにげなく独り言です。「猫の子ほども役立たず、ということがあるけれど、わしはまるで役立たずの人間だわい。お前は幸いにも無事に育つことができた。まずしくとも、食べる心配はなかろう。どうだな、このあたりでチットは、役に立つ猫になっては」 そのとたん、猫は膝からピョンととびおり、「ニャーオ」と鳴きました。「おや、怒ったのかい? 気にするな。いまのは冗談。お前は役立たずでけっこう」 秀道はふたたび猫を抱いて膝の上にのせ、一日中猫といっしょに居眠りをしていました。 そんな独り言もすっかり忘れてしまったある日のこと、表の方から、賑やかな馬の蹄の音が聞こえてきました。 秀道がなにごとかと庭(にわ)に出てみたら、七、八人の狩装束(かりしょうぞく)をつけた侍が、次つぎと馬を下りて、境内(けいだい)に入ってきました。「なにかごようかな?」 秀道が不思議に思って声をかけると、その中の主人らしい侍が、ていねいに頭を下げて。「わしは彦根城主の井伊直孝(いいなおたか)と申す。この地方を新しく将軍さまから拝領することになったので、遠乗りのついでに土地を見にきた。たまたま寺の前を通りかかると、猫がさかんに手招きをするので、つい、立ちよったまでじゃ」「それはそれは。こんな破れ寺に、よく立ちよってくださいました。わたしはこの寺の住職で天極秀道と言います。ごらんの通りの貧乏暮らしで、なにもさしあげるものはございませんが、せめてお茶なりともいっぷく」 秀道は一行を居間に案内して、お茶の用意を始めました。 すると、急に空がくもりだし、激しい雷鳴とともに滝のような雨が降ってきました。 この寺に立ちよらなければ、いまごろずぶ濡れになっていたところです。 直孝(なおたか)はひどく喜んで、「いやあ、助かった。あの猫に招かれたおかげで、運よく雨やどりができた。これもなにかのめぐり合わせであろう」と、言いました。「恐れいります。役立たずの猫にしては上出来。どうぞ雨があがりますまで、ゆっくりしていってください」 城主であっても、まるで威張ったところのない直孝の態度に、秀道はすっかり感心して、心からもてなしました。 直孝のほうも、貧乏寺の住職とは思えない秀道の人柄(ひとがら)にほれこみました。 やがて雨もあがり、直孝の一行は、晴ればれとした気分で寺を出ていきました。 秀道は、すぐに猫を抱きあげ、「人助けをするとは、たいしたやつ。おかげでわしも、久しぶりにりっぱな人と話すことができたぞ」「ニャー」 猫はうれしそうに、秀道の胸に顔を埋めました。 このことがきっかけで、直孝は遠乗りの時は、いつもこの寺を尋ねるようになり、秀道は直孝のために、仏の道についてのあれこれを語って聞かせました。 そのすぐれた知識に直孝は、「これぞ、まことの高僧である」と、言って、この寺を井伊家の菩提寺(ぼだいじ)とすることにしたのです。 こうして、いままでは荒れるに任せていた寺は、井伊家によって改築され、各地から次々と修行僧も集まり、寺はいよいよ栄えていきました。 さて、その猫は、寺がりっぱになってまもなく死んでしまいました。秀道は猫のために石碑(せきひ)をたて、命日には必ずおとずれたと言います。 直孝も、猫のことが忘れられず、「あの猫は、観音菩薩の化身(けしん→仏が、人間や動物の姿に変身したもの)に違いない。わしは、猫に招かれたおかげで、そなたに会い、仏の道のすばらしさを学び、寺を復興させる喜びまで与えてもらった。どうだろう。招き観音として、本堂のそばにまつってあげては」「猫にとっても、わたしにとっても、この上なくありがたいおことばです」 秀道は、すぐに本堂のそばに新しく猫をまつりました。 すると、この話がたちまち広まり、「幸運を招く猫」として、お参りにくる人がふえたということです。距今400年前。有一个庙里住着一个叫天极秀道的和尚。庙是个名副其实的破庙,房顶完全倾斜,从倒塌的土墙缝隙可以清楚的看到里面。尽管如此,秀道却满不在乎,和一只误闯到这里的猫悠闲的过日子。 “有人说‘像猫仔那样没用’,我已经是一个毫无用处的人了。你很幸运能健康的成长。即使穷,也没让你缺吃的。怎么样,你在这儿成一个有点儿用的猫如何?”话没有落地,猫轻盈的蹦了下去,“喵!”的叫了一声。“哎呀,生气了?别在乎,我在开玩笑,你没用就没用吧。□”过了几天,他早把他自言自语的话忘了。这天,从门前传来了喧闹的马蹄声。秀道出了院子,看看谁来了,来的是七八个穿着打猎服装的武士,他们相继下了马,进了院内。其中一个武士好像是这一行人的主人,很礼貌的低头说:“我乃彦根(现在的滋贺县)城主,名叫井伊直孝。将军新封我管理此城,骑马远行顺便到此看看领地。碰巧路过此庙时,一只猫频频向我等招手,不觉随之到此。”“原来如此,没落寒庙,城主光临荣幸之至。鄙人是此庙的住持天极秀道。如您所见,日子贫寒,别无它物,来杯粗茶如何?”直孝非常高兴:“太好了,多亏那只猫招我们进来,我们才能幸运地到此避雨,这也算是机缘吧。”“不胜惶恐,不中用的猫竟然做出这等好事。请在此安坐至雨停吧。”虽然是城主,却非常谦恭,秀道也非常钦佩,倾情款待。秀道立刻抱起猫:“你能帮助人,真了不起!托你的福,我也事隔好久又和杰出的人物聊了天。”自此,直孝每次远行都会到此庙拜访,秀道也为直孝讲了很多佛经。了解了秀道的博学,直孝说:“这才是真正的高憎”。把这座庙当作了井伊家族的菩提寺(一家代代供奉的寺庙)。这样,一直荒废的寺庙也被井伊家族重修,各地修行憎人相继来此,寺庙开始繁荣起来。直孝也没有忘记这只猫,“那只猫一定是观音菩萨的化身。我因为猫的招引,才与您相识,了解了佛理的真谛,体验到了复兴寺庙的喜悦。我想把这只猫当作‘招引观音’,供奉于正殿之侧,不知您意下如何?”这样,这件事情很快被传开,作为“带来好运的猫”,有很多人来此参拜它。
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