「…… その あなたの手紙、――あなたから来た最後の手紙――を読んだ時、私は悪い事をしたと思いました。それでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を 「 その上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても 私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく 「私が両親を 私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。 私は二人の 話が 「とにかくたった一人取り残された 私は東京へ来て高等学校へはいりました。その時の高等学校の生徒は今よりもよほど 何も知らない私は、 「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の 叔父はその 子供らしい私は、 私の留守の間、叔父はどんな みんな私の顔を見て喜びました。私はまた父や母のいた時より、かえって 私は折々亡くなった父や母の事を思い出す 「私は縁談の事をそれなり忘れてしまいました。私の 学年の終りに、私はまた しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。叔父のいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。ただこの前 「私が三度目に帰国したのは、それからまた一年 単純な私は従妹との結婚問題について、さほど頭を痛める必要がないと思っていました。厭なものは断る、断ってさえしまえば ところが帰って見ると叔父の態度が違っています。元のように 私の 私はたった一人山へ行って、父母の墓の前に 私の世界は 私が 「私は今まで叔父 私は叔父が市の方に 私はとうとう あなたはまだ覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではないといった事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけないといった事を。あの時あなたは私に 「 もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。 私と叔父の間に それでも彼らは私のために、私の所有にかかる 私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。 私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど 「金に不自由のない それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも 私は 「私は 室の広さは八畳でした。 私は移った日に、その室の 私の父が こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を 私はそれまで その花はまた規則正しく それでも 私は喜んでこの下手な活花を 「私の気分は国を立つ時すでに 私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな 私は あなたは 私は 「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の 奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな 私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも 私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の お嬢さんの 時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに 「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと 奥さんは 私は奥さんの態度をどっちかに それほど女を 私は母に対して反感を 「私は奥さんの態度を色々 私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと 私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の 私が奥さんを 奥さんは最初から、 私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を 「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで 私の宿は しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの 私は自由な 「私が書物ばかり買うのを見て、奥さんは少し着物を その頃から見ると私も 奥さんは自分一人で行くとはいいません。私にもいっしょに来いと命令するのです。お嬢さんも行かなくてはいけないというのです。今と違った空気の中に育てられた私どもは、学生の身分として、あまり若い女などといっしょに歩き お嬢さんは大層着飾っていました。 三人は こんな事で時間が 我々は 「私は 私は 話しているうちに、私は色々の知識を奥さんから得たような気がしました。しかしそれがために、私は機会を さっきまで 私が何ともいわずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改まった調子になって、私にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ 奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっている所へ、もう一人男が 「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を しかし我々は Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました。これは彼の父の感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、 「Kと 最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。 私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお 二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。 三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を去ろうと決心した年です。私はその時Kに帰国を勧めましたが、Kは応じませんでした。そう 「Kの手紙を見た養父は大変怒りました。親を 私はその点についてKに何か Kは自分の望むような口をほどなく探し出しました。しかし時間を 同時に彼と養家との関係は、段々こん 最後にKはとうとう復籍に決しました。養家から出してもらった学資は、実家で弁償する事になったのです。その代り実家の方でも構わないから、これからは勝手にしろというのです。昔の言葉でいえば、まあ 「Kの事件が一段落ついた 手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を 私はKに手紙を見せました。Kは何ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。 私はKと同じような返事を彼の義兄 Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の 私は彼に向って、余計な仕事をするのは 「私の座敷には控えの 前にも話した通り、奥さんは私のこの所置に対して始めは不賛成だったのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商売でないのだから、なるべくなら 実をいうと私だって 私はただKの健康について 奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や 私がKに向って新しい 私はなるべく彼に 「私は奥さんからそういう Kは私より強い決心を有している男でした。勉強も私の倍ぐらいはしたでしょう。その上持って生れた頭の 私はKを説くときに、ぜひそこを明らかにしてやりたかったのです。しかしいえばきっと反抗されるに 「私は 奥さんは取り付き それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように 私はある意味から見て実際彼の軽蔑に この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに 今まで書物で城壁をきずいてその中に立て 「Kと ある日私は 奥さんははたして留守でした。 私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて 私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に |
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