分享

《徒然草》吉田兼好(1283-1350)日语古文完整版 1

 学习abc吧 2014-10-19

徒然草DB

~ 総目次 ~

 

兼好関係歴史年表

索引DBExcel



読み下し文付き

 

第1集 序の段   ~第049段 

第2集 第050段~第099段

第3集 第100段~第149段

第4集 第150段~第199段

第5集 第200段~第243段



 

序段

つれ%\なるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。




第一段

いでや此の世にうまれては、ねがはしかるべき事こそおほかめれ。

御門の御位は、いともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有樣はさらなり、たゞ人も、舎人など給はるきははゆゝしと見ゆ。其の子孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それよりしもつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したりがほなるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

法師ばかりうらやましからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言がかけるも、げにさることぞかし。いきほひまうにのゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀ひじりのいひけんやうに名聞くるしく、佛の御をしへにたがふらんとぞおぼゆる。ひたぶるの世すて人は、なか/\あらまほしきかたもありなん。

人は、かたち有樣のすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。物うちいひたる、ききにくからず、愛敬ありて、言葉多からぬこそ、飽かずむかはまほしけれ。めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性みえんこそ口をしかるべけれ。

しなかたちこそ生れつきたらめ、心はなどか、賢きより賢きにもうつさばうつらざらん。かたち心ざまよき人も、ざえなくなりぬれば、しなくだり、顏にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、ほいなきわざなれ。

ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、又有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走りがき、聲をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそをのこはよけれ。




第二段

いにしへのひじりの御代の政をもわすれ、民の愁へ、國のそこなはるゝをもしらず、よろづにきよらをつくしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、おもふところなく見ゆれ。

「衣冠より馬車にいたるまで、有るにしたがひて用ゐよ。美麗をもとむる事なかれ」とぞ、九條殿の遺誡にも侍る。順徳院の禁中の事どもかゝせ給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。




第三段

萬にいみじくとも、色このまざらん男は、いとさう%\しく、玉の巵の當なきこゝちぞすべき。

露霜にしほたれて、所さだめずまどひありき、親のいさめ、世のそしりをつゝむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひみだれ、さるは獨寢がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからずおもはれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。




第四段

後の世の事心にわすれず、佛の道うとからぬ、こゝろにくし。




第五段

不幸に愁にしづめる人の、かしらおろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、まつこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。

顯基中納言のいひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覺えぬべし。




第六段

わが身のやんごとなからんにも、まして數ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

前中書王、九條太政大臣、花園左大臣、みな族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるはわろき事なり」とぞ、世繼の翁の物語にはいへる。聖徳太子の御墓をかねてつかせ給ひける時も、「こゝをきれ。かしこをたて。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。




第七段

あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。

命ある物を見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふのゆふべをまち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つく%\と一年をくらすほどだにも、こよなうのどけしや。あかずをしと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心ちこそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命ながければ辱おほし。ながくとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちをはづる心もなく、人にいでまじらはん事を思ひ、夕の陽に子孫を愛してさかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみふかく、もののあはれも知らずなりゆくなんあさましき。




第八段

世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。

にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すとしりながら、えならぬにほひには、必ずこゝろときめきするものなり。九米の仙人の、物あらふ女のはぎの白きを見て、通を失ひけんは、誠に手足肌などのきよらに肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。




第九段

女は髪のめでたからんこそ、人のめたつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、ものいひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。

事にふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寢ず、身ををしとも思ひたらず、たふべくもあらぬ業にもよく耐へ忍ぶは、たゞ色を思ふが故なり。

まことに愛著の道、その根ふかく源とほし。六塵の樂欲おほしといへども、皆厭離しつべし。其の中に、たゞかのまどひのひとつやめがたきのみぞ、老いたるもわかきも、智あるも愚なるも、かはる所なしとみゆる。

されば、女の髪すぢをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ傳へ侍る。みづから戒めて、恐るべく愼むべきは此のまどひなり。




第十段

家居のつき%\しく、あらまほしきこそ、かりのやどりとは思へど、興有るものなれ。

よき人ののどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一きはしみ%\と見ゆるぞかし。いまめかしくきらゝかならねど、木だち物ふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子、透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覺えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

おほくの工の心をつくしてみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度どもならべおき、前栽の草木まで心のまゝならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやはながらへ住むべき。又時のまの烟ともなりなんとぞ、うち見るよりおもはるゝ。大方は家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

後徳大寺大臣の寢殿に、鳶ゐさせじとて繩をはられたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心、さばかりにこそ」とて、そののちはまゐらざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂どのの棟に、いつぞや繩をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍りしに、誠や、「烏のむれゐて、池の蛙をとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなん」と、人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覺えしか。徳大寺にもいかなる故か侍りけん。




第十一段

神無月の比、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍りしに、遙なる苔のほそ道をふみわけて、心ぼそくすみなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝかけ樋の雫ならでは、つゆおとなふ物なし。閼伽棚に菊紅葉など折りちらしたる、さすがにすむ人のあればなるべし。

かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、おほきなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしくかこひたりしこそ、すこしことさめて、此の木なからましかばとおぼえしか。




第十二段

おなじ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人有るまじければ、つゆたがはざらんとむかひ居たらんは、ひとりある心地やせん。

互に言はんほどの事をば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など爭ひ憎み、「さるからさぞ」ともうち語らはば、つれづれなぐさまめとおもへど、げには少しかこつ方も、我とひとしからざらん人は、大方のよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかにへだたる所の有りぬべきぞわびしきや。




第十三段

ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。此の國の博士どものかけるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。




第十四段

和歌こそなほをかしきものなれ。あやしのしづ山がつのしわざも、いひ出づればおもしろく、おそろしき猪のしゝも、「ふす猪の床」といへばやさしくなりぬ。

この比の歌は、一ふしをかしくいひかなへたりと見ゆるはあれど、ふるき歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外にあはれにけしきおぼゆるはなし。貫之が、「いとによる物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌くづとかやいひつたへたれど、今の世の人のよみぬべきことがらとはみえず。其の世の歌には、すがた、言葉、此のたぐひのみ多し。此の歌に限りてかくいひたてられたるも、しりがたし。源氏物語には、「ものとはなしに」とぞかける。新古今には、「のこる松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞ言ふなるは、まことに、少しくだけたるすがたにもや見ゆらん。されどこの歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも殊更に感じ仰せ下されけるよし、家長が日記にはかけり。

歌の道のみ古に變らぬなどいふ事もあれど、いさや。今もよみあへるおなじ詞、歌枕も、昔の人のよめるは、さらに同じものにあらず。やすくすなほにして、姿もきよげに、あはれもふかくみゆ。

梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、又あはれなることはおほかめれ。昔の人は、たゞいかに言ひ捨てたることぐさも、皆いみじくきこゆるにや。




第十五段

いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、めさむる心地すれ。

そのわたり、こゝかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いとめなれぬ事のみぞ多かる。都へ便求めて文やる、「その事かの事、便宜にわするな」など言ひやるこそをかしけれ。

さやうの所にてこそ、よろづに心づかひせらるれ。もてる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

寺、社などに、しのびてこもりたるもをかし。




第十六段

神樂こそ、なまめかしく、おもしろけれ。

おほかたもののねには笛、篳篥。常に聞きたきは、琵琶、和琴。




第十七段

山寺にかきこもりて佛につかうまつるこそ、つれ%\もなく、心の濁も清まる心地すれ。




第十八段

人は己をつゞまやかにし、おごりを退けて財をもたず、世をむさぼらざらんぞいみじかるべき。むかしより、賢き人の富めるは稀なり。

唐土に許由といひつる人は、さらに身にしたがへる貯もなくて、水をも手してさゝげて飲みけるを見て、なりひさごといふ物を人のえさせたりければ、或時、木の枝に掛けたりけるが、風にふかれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水ものみける。いかばかり心のうち涼しかりけん。

孫晨は冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕には是にふし、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじとおもへばこそ、しるしとゞめて世にも傳へけめ、これらの人は、語りも傳ふべからず。




第十九段

折節の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。

「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心もうきたつものは、春の氣色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に 牆根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやう/\けしきだつほどこそあれ、をりしも雨風うち續きて、こゝろあわたゞしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにたゞ心をのみぞ惱ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅のにほひにぞ、古の事も立ちかへり、戀しう思ひいでらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひすてがたき事多し。

「灌佛の比、祭の比、若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の戀しさもまされ」と人のおほせられしこそ、げにさるものなれ。五月、あやめふく比、早苗とる比、水鶏のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月の比、あやしき家にゆふがほの白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。

七夕まつるこそなまめかしけれ。やう/\夜寒になるほど、雁なきて來る比、萩の下葉色づくほど、わさ田刈り干すなど、とりあつめたる事は秋のみぞ多かる。又野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど、同じ事、また今さらにいはじとにもあらず。おぼしき事いはぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつやりすつべき物なれば、人の見るべきにもあらず。

さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさ/\劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとゞまりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる比ぞ、又なくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて、もよほし行はるゝさまぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ面白けれ。つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、こと%\しくのゝしりて、足をそらにまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名殘も心細けれ。なき人のくる夜とて 魂まつるわざは、此の比都にはなきを、あづまのかたにはなほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

かくて明けゆく空の氣色、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、まつ立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

Nihon Koten Bungaku Taikei (Tokyo: Iwanami Shoten, 1957; hereafter as NKBT) reads 墻根.

NKBT reads 玉まつる.




第二十段

なにがしとかやいひし世すて人の、「此の世のほだしもたらぬ身に、たゞ空の名殘のみぞをしき」といひしこそ、誠にさも覺えぬべけれ。




第二十一段

萬のことは、月見るにこそなぐさむものなれ。或人の、「月ばかり面白きものはあらじ」といひしに、又ひとり、「露こそあはれなれ」と爭ひしこそをかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩にくだけて清く流るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「 げん湘日夜東に流れさる、愁人の爲にとゞまること少時もせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。けい康も、「山澤にあそびて魚鳥を見れば心たのしぶ」といへり。人とほく、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心なぐさむ事はあらじ。




第二十二段

なに事も、ふるき世のみぞしたはしき。今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる美しきうつは物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。いにしへは、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今樣の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」といふ。「主殿寮人數たて」といふべきを、「たちあかししろくせよ」といひ、最勝講の御聽聞所なるをば、「御かうのろ」とこそいふを、「かうろ」といふ、くちをしとぞ、ふるき人はおほせられし。




第二十三段

衰へたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。

露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじともきこゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそきこゆれ。「陣に夜の設せよ」といふこそいみじけれ。夜御殿のをば、「かいともしとうよ」などいふ、又めでたし。上卿の、陣にて事おこなへるさまは更なり、諸司の下人どもの、したりがほになれたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝかしこに睡り居たるこそをかしけれ。「内侍所の御鈴のおとは、めでたく優なるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣はおほせられける。




第二十四段

齋王の野宮におはしますありさまこそ、やさしく面白き事のかぎりとは覺えしか。「經」「佛」などいみて、「なかご」「染紙」などいふなるもをかし。

すべて神の社こそ、すてがたくなまめかしきものなれや。物ふりたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣しわたして、さか木にゆふかけたるなど、いみじからぬかは。ことにをかしきは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮。




第二十五段

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時うつり事さり、たのしびかなしびゆきかひて、花やかなりしあたりも人住まぬのらとなり、變らぬ住家は人あらたまりぬ。桃李もの言はねば、誰と共にか昔を語らん。まして、見ぬ古のやん事なかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

京極殿、法成寺など見るこそ、志とゞまり、事變じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作りみがかせ給ひて、庄園おほくよせられ、我が御族のみ、御門の御うしろみ、世のかためにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせはてんとはおぼしてんや。大門、金堂などちかくまで有りしかど、正和の比南門は燒けぬ。金堂は、そののちたおれふしたるまゝにて、とりたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞ、其のかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いとたふとくて竝びおはします。行成大納言の額、兼行がかける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂などもいまだ侍るめり。是も又いつまでかあらん。かばかりの名殘だになき所々は、おのづから礎ばかり殘るもあれど、さだかに知れる人もなし。

されば、萬に見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ。




第二十六段

風も吹きあへずうつろふ人の心の花になれにし年月を思へば、あはれと聞きしことの葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりて悲しきものなれ。

されば、白き絲の染まん事をかなしび、路のちまたのわかれん事を嘆く人も有りけんかし。堀川院の百首の歌の中に、

昔見し妹が墻根は荒れにけり

つばなまじりの菫のみして

さびしきけしき、さる事侍りけん。




第二十七段

御國ゆづりの節會行はれて、劍、璽、内侍所わたし奉らるゝほどこそ、限なう心細けれ。

新院の おりさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、

殿もりのとものみやつこよそにして

はらはぬ庭に花ぞちりしく

今の世のこと繁きにまぎれて、院には參る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

NKBT reads おりゐさせ.




第二十八段

諒闇の年ばかりあはれなる事はあらじ。

倚廬の御所のさまなど、板敷をさげ、あしの御簾をかけて、布のもかうあら/\しく、御調度どもおろそかに、皆人のさうぞく、太刀、平緒まで異樣なるぞゆゝしき。




第二十九段

しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの戀しさのみぞせんかたなき。

人しづまりて後、ながき夜のすさびに、なにとなき具足とりしたゝめ、殘しおかじと思ふ反古などやりすつる中に、亡き人の、手ならひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。此の比ある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いとかなし。




第三十段

人のなきあとばかり悲しきはなし。

中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしくせばき所にあまたあひゐて、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數のはやく過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとのすみかに歸りてぞ、更に悲しき事は多かるべき。「しかじかのことは、あなかしこ、跡のためいむなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりのなかに何かはと、人の心はなほうたておぼゆれ。

年月へても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に疎しといへることなれば、さはいへど、其のきはばかりは覺えぬにや、よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。からはけうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかりまうでつゝ見れば、ほどなく 卒都姿も苔むし、木の葉ふりうづみて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そも又ほどなく失せて、聞きつたふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年をまたで薪にくだかれ、古き墳はすかれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき。

NKBT reads 卒都婆.




第三十一段

雪のおもしろうふりたりし朝、人のがりいふべき事ありて文をやるとて、雪のことなにとも言はざりし返事に、「此の雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬほどのひが/\しからん人の仰せらるゝ事、きゝいるべきかは。返す%\口をしき御心なり」といひたりしこそ、をかしかりしか。

いまはなき人なれば、かばかりの事もわすれがたし。




第三十二段

九月廿日の比、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありく事侍りしに、おぼしいづる所ありて、案内せさせて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。

よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸を今すこしおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、くちをしからまし。跡まで見る人ありとはいかでか知らん。かやうの事は、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人ほどなく失せにけりと聞き侍りし。




第三十三段

今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿のくしがたの穴は、まろく、ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

是はえふの入りて、木にてふちをしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。




第三十四段

甲香は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどのほそながにしていでたる貝のふたなり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所の者は、「へなたりと申し侍る」とぞいひし。




第三十五段

手のわろき人の、はゞからず文書きちらすはよし。見苦しとて人にかゝするはうるさし。




第三十六段

久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我がおこたり思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、「仕丁やある、ひとり」などいひおこせたるこそ、有りがたく嬉しけれ。「さる心ざましたる人ぞよき」と、人の申し侍りし、さもあるべき事なり。




第三十七段

朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人も有りぬべけれど、なほげに/\しくよき人かなとぞおぼゆる。

うとき人の、うちとけたる事などいひたる、又よしとおもひつきぬべし。




第三十八段

名利につかはれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそおろかなれ。

財多ければ、身を守るにまどし。害をかひ、累をまねくなかだちなり。身の後には金をして北斗をさゝふとも、人のためにぞわづらはるべき。おろかなる人の目をよろこばしむるたのしみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、こゝろあらん人は、うたておろかなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵に投ぐべし。利にまどふは、すぐれておろかなる人なり。

埋れぬ名を永き世に殘さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高くやん事なきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。おろかにつたなき人も、家に生れ時にあへば、高き位にのぼり、おごりをきはむるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にをり、時にあはずしてやみぬる、又おほし。ひとへに高きつかさ位をのぞむも、次におろかなり。智慧と心とこそ、世にすぐれたる譽も殘さまほしきを、つら/\思へば、譽を愛するは、人の聞きを喜ぶなり。ほむる人、そしる人、共に世にとゞまらず。傳へ聞かん人、又々すみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。譽は又毀の本なり。身の後の名殘りてさらに益なし。是を願ふも、次におろかなり。

たゞし、しひて智を求め賢を願ふ人のためにいはば、智慧出でては僞あり。才能は煩惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは誠の智にあらず。いかなるをか智といふべき。可不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り誰か傳へん。是れ徳をかくし愚をまもるにはあらず。もとより賢愚得失のさかひにをらざればなり。

まよひの心をもちて名利の要をもとむるに、かくのごとし。萬事は皆非なり。いふにたらず、願ふにたらず。




第三十九段

或人、法然上人に、「念佛の時、睡におかされて行をおこたり侍る事、いかゞして此のさはりをやめ侍らん」と申しければ、「目のさめたらんほど念佛し給へ」とこたへられたりける、いとたふとかりけり。又、「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」といはれけり。これもたふとし。又、「うたがひながらも念佛すれば往生す」ともいはれけり。これも又たふとし。




第四十段

因幡國に何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしときゝて、人あまたいひわたりけれども、此の娘、たゞ栗をのみ食ひて、更によねのたぐひをくはざりければ、「かゝることやうのもの、人にみゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。




第四十一段

五月五日、賀茂のくらべ馬を見侍りしに、車の前に雜人立ちへだてて見えざりしかば、各おりて埒の際に寄りたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。かゝる折に、むかひなるあふちの木に、法師の登りて、木のまたについゐて物見るあり。とりつきながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目をさます事度々なり。これを見る人、あざけりあざみて、「世のしれものかな。かく危き枝の上にて、やすき心ありて睡るらんよ」といふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が生死の到來、只今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚なる事は、なほまさりたるものを」といひたれば、前なる人ども、「誠にさにこそ候ひけれ。尤もおろかに候」といひて、皆後を見返りて、「こゝへ入らせ給へ」とて、所をさりてよび入れ侍りにき。

かほどのことわり、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの思ひかけぬ心地して、胸に當りけるにや。人木石にあらねば、時にとりて物に感ずる事なきにあらず。




第四十二段

唐橋中將といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧有りけり。氣の上る病ありて、年のやう/\たくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さま%\につくろひけれど、わづらはしくなりて、目、眉、額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうにみえけるが、たゞおそろしく、鬼のかほになりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。

かゝる病も有る事にこそありけれ。




第四十三段

春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木だち物ふりて、庭に散りしをれたる花、見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろして淋しげなるに、東にむきて妻戸のよきほどにあきたる、御簾のやぶれより見れば、かたちきよげなる男の、とし廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝのどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。

いかなる人なりけん、たづねきかまほし。




第四十四段

あやしの竹のあみ戸のうちより、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に、濃き指貫、いと故づきたるさまにて、さゝやかなる童ひとりを具して、遙なる田の中の細道を、稻葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、ゆかん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山のきはに惣門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しか%\の宮のおはします比にて、御佛事などさふらふにや」といふ。

御堂の方に法師ども參りたり。夜寒の風にさそはれ來るそらだき物のにほひも、身にしむ心地す。寢殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず心遣ひしたり。

心のまゝに茂れる秋ののらは、置き餘る露にうづもれて、蟲の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往來もはやき心地して、月の晴れ曇る事定めがたし。




第四十五段

公世の二位のせうとに、良覺僧正と聞えしは、極めて腹あしき人なりけり。坊の傍に大きなる榎の木の有りければ、人「榎の木の僧正」とぞいひける。この名然るべからずとて、かの木をきられにけり。其の根のありければ、「きりくひの僧正」といひけり。いよ/\腹立ちて、きりくひをほり捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池の僧正」とぞいひける。




第四十六段

柳原の邊に、強盗法印と號する僧ありけり。たび/\強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。




第四十七段

或人清水へ參りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら「くさめ/\」といひもてゆきければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、いらへもせず、なほいひやまざりけるを、度々とはれて、うち腹立ちて、「やゝ、はなひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の比叡山に兒にておはしますが、たゞ今もやはなひ給はんと思へば、かく申すぞかし」といひけり。

有り難き志なりけんかし。




第四十八段

光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重を、御簾の中へさし入れて、罷り出でにけり。女房、「あなきたな、誰にとれとてか」など申しあはれければ、「有職の振舞、やんごとなき事なり」と、返す%\感ぜさせ給ひけるとぞ。




第四十九段

老來りて始めて道を行ぜんと待つことなかれ。ふるき墳、多くは是れ少年の人なり。はからざるに病をうけて、忽にこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬるかたのあやまれる事は知らるなれ。あやまりといふは、他の事にあらず、速にすべき事をゆるくし、ゆるくすべきことをいそぎて過ぎにし事のくやしきなり。其の時悔ゆともかひあらんや。

人はたゞ無常の身にせまりぬる事を、心にひしとかけて、つかのまも忘るまじきなり。さらば、などか此の世の濁も薄く、佛道を勤むる心もまめやかならざらん。

昔ありける聖は、人來りて自他の要事をいふ時、答へて云はく、「今、火急の事ありて、既に朝夕にせまれり」とて、耳をふたぎて念佛して、遂に往生を遂げけりと、禪林の十因に侍り。心戒といひける聖は、あまりに此の世のかりそめなる事を思ひて、靜かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。




第五十段

應長の比、伊勢の國より、女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京白川の人、鬼見にとて出でまどふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へ參るべし。たゞ今はそこ/\に」などいひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、そらごとと云う人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。

其の比、東山より安居院邊へ罷り侍りしに、四條よりかみざまの人、皆北をさして走る。「一條室町に鬼あり」とのゝしりあへり。今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざめりとて、人をやりて見するに、おほかたあへる者なし。暮るゝまでかく立騒ぎて、はては鬪諍おこりて、あさましきことどもありけり。

その比、おしなべて二三日人のわづらふ事侍りしをぞ、かの鬼のそらごとは、此のしるしをしめすなりけりといふ人も侍りし。




第五十一段

龜山殿の御池に大井川の水をまかせられんとて、大井の土民におほせて、水車をつくらせられけり。多くの錢を給ひて、數日にいとなみいだしてかけたりけるに、大方めぐらざりければ、とかくなほしけれども、終にまはらで、徒らにたてりけり。さて、宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかにゆひて參らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水をくみ入るゝ事めでたかりけり。

萬に其の道を知れる者は、やんごとなきものなり。




第五十二段

仁和寺にある法師、年よるまで石清水ををがまざりければ、心うく覺えて、或時思ひ立ちて、たゞ一人かちより詣でけり。極樂寺、高良などををがみて、かばかりと心得て歸りにけり。さてかたへの人にあひて、「年比思ひつること果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、參りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ參るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞいひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。




第五十三段

是も仁和寺の法師、童の法師にならんとする名殘とて、各あそぶ事ありけるに、醉ひて興にいるあまり、傍なる足鼎をとりて頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて顏をさし入れて舞ひ出でたるに、滿座興に入る事かぎりなし。

しばしかなでて後ぬかんとするに、大方ぬかれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんとまどひけり。とかくすれば、くびのまはりかけて、血たり、たゞはれにはれみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる醫師のがり率て行きける、道すがら人の怪しみ見る事限なし。醫師のもとにさし入りて、むかひゐたりけん有樣、さこそ異樣なりけめ。物をいふも、くゞもり聲にひゞきて聞えず。「かゝることは文にも見えず、傳へたる教もなし」といへば、又仁和寺へ歸りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覺えず。

かゝるほどに、或者のいふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ力をたててひきにひき給へ」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、頸もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながらぬけにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。




第五十四段

御室に、いみじき兒のありけるを、いかでさそひ出して遊ばんとたくむ法師ども有りて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうのもの、ねんごろにいとなみいでて、箱風情の物にしたゝめ入れて、雙の岡の便よき所に埋みおきて、紅葉散らしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へ參りて、兒をそゝのかし出でにけり。うれしと思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに竝みゐて、「いたうこそ困じにたれ。あはれ紅葉をたかん人もがな。驗あらん僧達祈り試みられよ」などいひしろひて、埋みつる木のもとにむきて數珠おしすり、印こと%\しく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つや/\物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ處もなく山をあされども、なかりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に、盗めるなりけり。法師ども言の葉なくて、聞きにくくいさかひ、腹立ちて歸りにけり。

あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。




第五十五段

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比、わろき住居は堪へがたき事なり。

深き水は涼しげなし。淺くて流れたる、遙に涼し。こまかなる物を見るに、遣戸は蔀のまよりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、萬の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。




第五十六段

久しくへだたりて逢ひたる人の、我が方にありつる事、數々に殘なく語りつゞくるこそあいなけれ。へだてなく馴れぬる人も、程經て見るは、はづかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、けふありつる事とて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きていふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事をいひてもいたく興ぜぬと、興なき事をいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。

人のみざまのよしあし、ざえある人は其の事など定めあへるに、己が身をひきかけていひ出でたる、いとわびし。




第五十七段

人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそほいなけれ。少し其の道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべていとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。




第五十八段

「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人にまじはるとも、後世をねがはんに難かるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。げには、此の世をはかなみ、必ず生死を出でんと思はんに、なにの興ありてか、朝夕君に仕へ、家をかへりみるいとなみのいさましからん。心は縁にひかれてうつるものなれば、閑かならでは道は行じがたし。

そのうつはもの昔の人に及ばず、山林に入りても、餓をたすけ嵐を防ぐよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから世をむさぼるに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」などいはんは、無下の事なり。さすがに一度道に入りて世をいとはん人、たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、あかざのあつ物、いくばくか人の費をなさん。求むる所はやすく、其の心はやく足りぬべし。かたちにはづる所もあれば、さはいへど、惡には疎く、善には近づく事のみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世をのがれんことこそあらまほしけれ。ひとへにむさぼる事をつとめて、菩提におもむかざらんは、萬の畜類にかはる所あるまじくや。




第五十九段

大事を思ひたゝん人は、去りがたく、心にかゝらん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばし此の事はてて」、「おなじくはかの事沙汰しおきて」、「しかじかの事、人の嘲やあらん、行末難なくしたゝめまうけて」、「年來もあればこそあれ、其の事待たん、ほどあらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、えさらぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限もなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほやう人を見るに、少し心あるきはは、皆此のあらましにてぞ一期は過ぐめる。

ちかき火などに逃ぐる人は、しばしとやいふ。身を助けんとすれば、恥をも顧みず、財をも捨てて逃れ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の來る事は、水火のせむるよりも速に、逃れがたきものを、其の時、老いたる親、幼き子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。




第六十段

眞乘院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。いもがしらといふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづだかく盛りて、膝元におきつゝ、食ひながら文をも讀みけり。患ふことあるには、七日、二七日など、療治とて籠り居て、思ふやうによきいもがしらをえらびて、殊に多く食ひて、萬の病を癒やしけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみぞ食ひける。きはめて貧しかりけるに、師匠死にざまに、錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、彼是三萬疋をいもがしらの錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づつとりよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、又他用にもちふることなくて、其の錢皆になりにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計ひける、誠に有り難き道心者なり」とぞ、人申しける。

此の僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる物を我も知らず。若しあらましかば、此の僧の顏に似てん」とぞいひける。

この僧都、みめよく力つよく、大食にて、能書、學匠、辯説人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世をかろく思ひたる曲者にて、萬づ自由にして、大方、人にしたがふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとり打食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。とき、非時も、人にひとしく定めて食はず、わが食ひたき時、夜なかにも曉にも食ひて、睡たければ、晝もかけこもりて、いかなる大事あれども、人のいふ事聞き入れず。目さめぬれば幾夜もいねず、心をすましてうそぶき歩きなど、尋常ならぬさまなれども、人にいとはれず、萬づゆるされけり。徳のいたれりけるにや。




第六十一段

御産の時、甑落す事は、定まれる事にはあらず、御胞衣とゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば此の事なし。

下ざまより事起りて、させる本説なし。大原の里のこしきを召すなり。ふるき寶藏の繪に、賤き人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。




第六十二段

延政門院いときなくおはしましける時、院へ參る人に御言づてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字牛の角文字直ぐな文字

ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる

こひしく思ひ參らせ給ふとなり。




第六十三段

後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくこと%\しくなりにけり。一年の相は、此の修中の有樣にこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、おだやかならぬことなり。




第六十四段

車の五つ緒は、必ず人によらず、ほどにつけて、極むる官位に至りぬれば、乘るものなりとぞ、或人仰せられし。




第六十五段

此の比の冠は、昔よりは、はるかに高くなりたるなり。古代の冠桶をもちたる人は、はたをつぎて、今用ゐるなり。




第六十六段

岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に鳥一雙を添へて、此の枝に附けて參らすべきよし、御鷹飼下毛野武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術、知りさふらはず、一枝に二つつくる事も存知候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、又武勝に、「さらば、己が思はんやうにつけて參らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つを付けて參らせけり。

武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、或は六尺、返し刀五分にきる。枝の半に鳥を付く。付くる枝、ふまする枝あり。しゞら藤のわらぬにて、二ところ付くべし。藤のさきは、ひうち羽の長に比べてきりて、牛の角のやうに撓むべし。初雪の朝、枝を肩にかけて、中門よりふるまひて參る。大みぎりの石を傳ひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかなぐりちらして、二棟の御所の高欄に寄せかく。禄をいださるれば、かたにかけて、拜して退く。初雪といへども、沓のはなのかくれぬほどの雪には參らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹は、よわごしをとる事なれば、御鷹のとりたるよしなるべし」と申しき。

花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅の作り枝に雉を付けて、「君がためにと折る花は、時しもわかぬ」といへる事、伊勢物語にみえたり。作り花はくるしからぬにや。




第六十七段

賀茂の岩本、橋本は、業平、實方なり。人の常にいひまがへ侍れば、一年參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、「實方は、御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければと覺え侍る。吉水和尚、

月をめで花を眺めしいにしへの

やさしき人はこゝにありはら

と詠み給ひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、おのれらよりは、なか/\御存知などもこそさふらはめ」と、いとうや/\しく言ひたりしこそ、いみじくおぼえしか。

今出川院近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて手向けられけり。誠にやん事なき譽ありて、人の口にある歌多し。作文、詩序など、いみじく書く人なり。




第六十八段

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者の有りけるが、土大根を萬づにいみじき藥とて、朝毎に二つづつ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、 館の内に兵二人いで來て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。いと不思議に覺えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戰ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年來たのみて朝な/\めしつる土大根らにさふらう」といひて失せにけり。

深く信をいたしぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。




第六十九段

書寫の上人は、法華讀誦の功つもりて、六根淨にかなへる人なりけり。旅のかりやに立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音のつぶ/\と鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己等しも、恨しく我をば煮て、辛きめを見するものかな」といひけり。焚かるゝ豆殻のはら/\と鳴る音は、「我が心よりすることかは。やかるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。




第七十段

元應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬を彈じ給ひけるに、座に著きて、先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。御懷にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の參る程によく干て、ことゆゑなかりけり。

いかなる意趣かありけん、物見ける衣かづきの寄りて、放ちて、もとのやうにおきたりけるとぞ。




第七十一段

名を聞くより、やがて面影はおしはからるゝ心地するを、見る時は、又かねて思ひつるまゝの顏したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、此の比の人の家のそこほどにてぞありけんと覺え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覺ゆるにや。

又如何なる折ぞ、只今人の云ふ事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かゝる事のいつぞや有りしがと覺えて、いつとは思ひ出でねども、まさしく有りし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。




第七十二段

賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持佛堂に佛の多き。前栽に石、草木の多き。家の内に子孫の多き。人に逢ひて詞の多き。願文に作善多く書きのせたる。

多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。




第七十三段

世に語り傳ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。

あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして年月過ぎ、境もへだたりぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書きとゞめぬれば、やがて 定まりぬ。道々の物の上手のいみじき事など、かたくななる人の其の道知らぬは、そゞろに神のごとくに言へども、道知れる人は更に信も起さず。音に聞くと見る時とは、何事も變るものなり。

かつあらはるゝをもかへりみず、口にまかせて言ひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も誠しからずは思ひながら、人のいひしまゝに、鼻のほどおごめきていふは、其の人のそらごとにはあらず。げに/\しくところ%\うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながらつま%\あはせて語るそらごとは、 恐しきなり。わがため面目あるやうに言はれぬるそらごとは、人いたくあらがはず。皆人の興ずる虚言は、ひとり「さもなかりしものを」といはんも詮なくて、聞きゐたるほどに、證人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。

とにもかくにも、そらごと多き世なり。たゞ常に有るめづらしからぬ事のまゝに心得たらん、よろづ違ふべからず。下ざまの人の物語は、耳おどろく事のみあり。よき人は、あやしき事を語らず。かくはいへど、佛神の奇特、權者の傳記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」などいふも詮なければ、大方は誠しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず。

NKBT reads やがて定まりぬ。.

NKBT reads 恐しき事なり。.




第七十四段

蟻の如くに集りて、東西にいそぎ、南北に走る。高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、歸る家あり。夕にいねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて止む時なし。

身を養ひて何事をか待つ。期する所、たゞ老と死とにあり。其の來る事速にして、念々の間にとゞまらず。是を待つ間、何のたのしびかあらん。惑へる者はこれを恐れず、名利におぼれて先途の近き事をかへりみねばなり。おろかなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて變化の理を知らねばなり。




第七十五段

つれ%\わぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝかたなく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

世にしたがへば、心、外の塵にうばはれて惑ひやすく、人に交れば、言葉よその聞きに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。其の事定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失やむ時なし。惑の上に醉へり。醉の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。

いまだ誠の道を知らずとも、縁をはなれて身を閑かにし、ことにあづからずして心をやすくせんこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活、人事、伎能、學問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止觀にも侍れ。




第七十六段

世の覺え花やかなるあたりに、嘆も喜もありて、人おほく行きとぶらふ中に、ひじり法師のまじりて、いひ入れたゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

さるべき故有りとも、法師は人にうとくてありなん。




第七十七段

世の中にその比人のもてあつかひぐさにいひあへる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。ことに片邊なるひじり法師などぞ、世の人の上は、わが如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覺ゆるまでぞ、言ひちらすめる。




第七十八段

今樣の事どもの珍しきをいひ廣めもてなすこそ、又うけられね。世にことふりたるまで知らぬ人は心にくし。いまさらの人などのある時、こゝもとにいひつけたる ことぐさ、物の名など、心得たるどち、片はし言ひ交し、目見あはせ、笑ひなどして、心知らぬ人に、心えずおもはする事、世なれず、よからぬ人の、必ずある事なり。

NKBT reads ことくさ.




第七十九段

何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知りがほにやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世にはづかしきかたもあれど、みづからもいみじと思へるけしき、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず口おもく、問はぬ限は言はぬこそいみじけれ。




第八十段

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されど、おろかなる己が道よりは、なほ人におもひ侮られぬべし。

法師のみにもあらず、上達部、殿上人、かみざままで、おしなべて武を好む人多かり。百度戰ひて百度勝つとも、いまだ武勇の名を定めがたし。其の故は、運に乘じてあだをくだく時、勇者にあらずといふ人なし。兵盡き矢きはまりて、遂に敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く禽獸に近き振舞、其の家に あらずば、好みて益なきことなり。

NKBT reads あらずは.




第八十一段

屏風、障子などの繪も文字も、かたくななる筆やうして書きたるが見にくきよりも、宿の主のつたなく覺ゆるなり。

大方持てる調度にても、心劣りせらるゝ事は有りぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとてしななく見にくきさまにしなし、珍しからんとて用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくこと%\しからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。




第八十二段

「うすものの表紙は、とく損ずるがわびしき」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりて覺えしか。一部とある草子などの、おなじやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具にとゝのへんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」といひしも、いみじく覺えしなり。

すべて何も皆、ことの整ほりたるはあしき事なり。し殘したるを、さて打置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。「内裏造らるゝにも、必ず作りはてぬ所を殘す事なり」と或人申し侍りし也。先賢のつくれる内外の文にも、章段の缺けたる事のみこそ侍れ。




第八十三段

竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに何の滯りかおはせんなれども、「珍しげなし、一上にてやみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、此の事を甘心し給ひて、相國の望おはせざりけり。

「亢龍の悔あり」とかやいふ事侍るなり。月滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。萬の事、さきのつまりたるは、破に近き道なり。




第八十四段

法顯三藏の、天竺にわたりて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き氣色を、人の國にてみえ給ひけれ」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情有りける三藏かな」といひたりしこそ、法師のやうにもあらず心にくゝ覺えしか。




第八十五段

人の心すなほならねば、僞なきにしもあらず。されどもおのづから正直の人、などかなからん。己すなほならねど、人の賢を見てうらやむは尋常なり。至りておろかなる人は、たま/\賢なる人を見て、是を憎む。「大きなる利を得んがために少しきの利をうけず、僞りかざりて名をたてんとす」とそしる。己が心に違へるによりて、此の嘲をなすにて知りぬ、此の人は下愚の性うつるべからず、僞りて小利をも辭すべからず、かりにも賢を學ぶべからず。

狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。驥を學ぶは驥の類、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢を學ばんを賢といふべし。




第八十六段

惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺燒かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」といはれけり。いみじき秀句なりけり。




第八十七段

下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍りける男、京に具覺房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へに馬を遣はしたりければ、「遙なるほどなり。口づきの男に、先づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さしうけ/\よゝと飲みぬ。太刀うちはきて、かひ%\しげなれば、たのもしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡のほどにて、奈良法師の兵士あまた具してあひたるに、此の男立ちむかひて、「日暮れにたる山中に、あやしきぞ、とまり候へ」といひて、太刀を引拔きければ、人も皆、太刀拔き矢はげなどしけるを、具覺房手をすりて、「うつし心なく醉ひたる者に候。まげて許し給はらん」といひければ、各嘲りて過ぎぬ。此の男具覺房にあひて、「御房は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたる事侍らず。高名仕らんとするを、拔ける太刀 むなしくしなし給ひつること」と怒りて、ひたぎりに斬り落しつ。さて、「山だち有り」とのゝしりければ、里人おこりていであへば、「我こそ山だちよ」といひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして、手負ほせ、打ちふせて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、男共あまた走らかしたれば、具覺房は、くちなし原にによび伏したるを、求め出でてかきもてきつ。辛き命生きたれど、腰斬り損ぜられて、かたはになりにけり。

NKBT reads 空しくなし給ひつる.




第八十八段

或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、或人、「御相傳、うける事には侍らじなれども、四條大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代や違ひ侍らん、覺束なくこそ」といひければ、「さ候へばこそ、世に有難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘藏しけり。




第八十九段

「奥山に猫またといふものありて、人を食ふなる」と、人のいひけるに、「山ならねども、これらにも猫の經上りて、猫またになりて、人とる事はあなるものを」と云ふ者有りけるを、何阿彌陀佛とかや、連歌しける法師の行願寺の邊にありけるが聞きて、ひとり歩かん身は心すべき事にこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞひとり歸りけるに、小川のはたにて、音に聞きし猫また、あやまたず足許へふと寄りきて、やがて掻きつくまゝに、頸のほどを食はんとす。肝心も失せて、防がんとするに力もなく、足も立たず、小川へ轉び入りて、「たすけよや、ねこまた、よやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌のかけもの取りて、扇、小箱など懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助りたるさまにて、はふはふ家に入りにけり。

飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛付きたりけるとぞ。




第九十段

大納言法印の召使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常に行通ひしに、或時出でて帰り來たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷りて候」といふ。「其のやすら殿は、男か法師か」と又問はれて、袖かきあはせて、「いかゞ候らん、頭をば見候はず」と答へ申しき。

などか、頭ばかりの見えざりけん。




第九十一段

赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。昔の人是を忌まず。此の比、何者のいひいでて忌み始めけるにか、此の日ある事、末とほらずといひて、其の日いひたりしこと、したりしこと、かなはず、えたりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、おろかなり。吉日を選びてなしたるわざの、すゑとほらぬを數へてみんも、又ひとしかるべし。

その故は、無常變易のさかひ、有りと見るものも存せず、始ある事も終なし。志は遂げず、望は絶えず。人の心不定なり、物皆幻化なり。何事か暫くも住する。此の理を知らざるなり。吉日に惡をなすに必ず凶なり、惡日に善を行ふに必ず吉なりといへり。吉凶は人によりて、日によらず。




第九十二段

或人、弓射る事を習ふに、もろ矢をたばさみて的にむかふ。師の云はく、「初心の人、ふたつの矢をもつ事なかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢に等閑の心あり。毎度たゞ得失なく、此の一矢に定むべしと思へ」といふ。僅かに二つの矢、師の前にて、一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師是を知る。此のいましめ、萬事にわたるべし。

道を學する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。況んや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心有る事を知らんや。何ぞ只今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。




第九十三段

「牛を賣る者あり。買ふ人、明日その値をやりて牛をとらんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、賣らんとする人に損あり」と語る人あり。

是を聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主誠に損有りといへども、又大きなる利あり。其の故は、生ある者、死のちかき事を知らざる事、牛既に然なり。人又同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、萬金よりも重し。牛の値鵞毛よりも輕し。萬金を得て一錢を失はん人、損ありといふべからず」といふに、皆人嘲りて、「其の理は牛の主に限るべからず」といふ。

又云はく、「されば、人死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜、日々に樂しまざらんや。おろかなる人、此の樂を忘れて、いたづがはしく外の樂しびを求め、此の財を忘れて、危く他の財を貪るには、志滿つ事なし。行ける間生を樂しまずして、死に臨みて死をおそれば、此の理あるべからず。人皆生を樂しまざるは、死をおそれざる故なり。死をおそれざるにはあらず。死の近き事を忘るゝなり。もし又、生死の相にあづからずといはば、實の理を得たりといふべし」といふに、人いよ/\あざける。




第九十四段

常磐井相國、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬よりおりたりけるを、相國後に、「北面なにがしは、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか君につかうまつり候べき」と申されければ、北面をはなたれにけり。

勅書を、馬の上ながらさゝげて見せ奉るべし、おるべからずとぞ。




第九十五段

「箱のくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ」と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、「軸に付け、表紙に付くる事、兩説なればいづれも難なし。文の箱は、多くは右に付く。手箱には軸に付くるも常の事なり」と仰せられき。




第九十六段

めなもみといふ草有り。くちばみにさゝれたる人、かの草をもみて付けぬれば、則ち癒ゆとなん。見知りておくべし。




第九十七段

其の物につきて、其の物を費しそこなふ物、數を知らずあり。身に虱あり、家に鼠あり、國に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。




第九十八段

尊きひじりの云ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名付けたる草子を見侍りしに、心にあひて覺えし事ども。

一   しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。

一   後世を思はん者は糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持經、本尊に至るまで、よき物をもつ、よしなき事なり。

一   遁世者は、なきにことかけぬやうを計らひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

一   上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。

一   佛道をねがふといふは別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。

此の外もありし事どもおぼえず。




第九十九段

堀川相國は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理になして、廳務おこなはれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、此の唐櫃は上古より傳はりて、其の始を知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められがたき由、故實の諸官等申しければ、其の事やみにけり。




第百段

久我相國は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを參らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。




第百一段

或人、任大臣の節會の内辨をつとめられけるに、内記の持ちたる宣命をとらずして、堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、立ち歸りとるべきにもあらず、思ひ患はれけるに、六位外記康綱、衣かづきの女房を語らひて、彼の宣命をもたせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。




第百二段

尹大納言光忠入道、追儺の上卿を務められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覺候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。近衞殿、著陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、火焚きて候ひけるが、「先づ軾をめさるべくや候ふらん」と忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。




第百三段

大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞ/\を作りてとかれける處へ、醫師忠守參りたりけるに、侍從大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」となぞ/\にせられにけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。




第百四段

荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事ある比にて、つれ%\と籠り居たるを、或人とぶらひたまはんとて、夕月夜の覺束なきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、げす女の出でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内せさせて入り給ひぬ。心細げなる有樣、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷にしばし立ち給へるを、もてしづめたる氣配の、若やかなるして、「こなた」といふ人あれば、たてあけ所せげなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。

内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄にしもあらぬにほひ、いとなつかしうすみなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞふる、御車は門のしたに、御供の人はそこ/\に」といへば、「こよひぞやすき寢は寢べかめる」と打さゝめくも、忍びたれど、ほどなければ、ほのきこゆ。さて、此のほどの事どもこまやかにきこえ給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。來し方行末かけて、まめやかなる御物語に、此の度は鳥も花やかなる聲にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所の樣にもあらねば、少したゆみ給へるに、隙しろくなれば、忘れがたき事などいひて、立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青みわたりたる卯月ばかりのあけぼの、艶にをかしかりしをおぼし出でて、桂の木の大きなるが隱るゝまで、いまも見送り給ふとぞ。




第百五段

北の屋かげに消え殘りたる雪のいたう凍りたるに、さし寄せたる車のながえも、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに、 人離れたる御堂の廊に、なみ/\にはあらずと見ゆる男、女となげしにしりかけて物語するさまこそ、何事にかあらん、つきすまじけれ。

かぶし、かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬにほひの、さとかをりたるこそをかしけれ。氣配など、 はつれ/\きこえたるもゆかし。

NKBT reads 人離れなる.

NKBT reads はづれはづれ.




第百六段

高野の證空上人、京へのぼりけるに、細道にて、馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口ひきける男、あしくひきて、聖の馬を堀へ落してけり。

聖いと腹惡しくとがめて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の惡行なり」といはれければ、口ひきの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞きしらね」といふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ、非修非學の男」と、あらゝかにいひて、きはまりなき放言しつと思ひける氣色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

たふとかりけるいさかひなるべし。




第百七段

女の物言ひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男は有り難きものぞとて、龜山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の參らるゝ毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて試みられけるに、なにがしの大納言とかやは、「數ならぬ身はえ聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「是は難なし。數ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

すべて男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「淨土寺前關白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ參らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いとはづかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

かく人にはぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。

人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。たゞ迷の方に心も早く移り、詞も巧に、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意有るかとみれば、又あさましき事まで問はず語りに言ひ出す。深くたばかりかざれる事は、男の智慧にもまさりたるかと思へば、其の事跡よりあらはるゝを知らず。すなほならずして、拙きものは女なり。其の心に隨ひてよく思はれん事は、心うかるべし。されば、何かは女のはづかしからん。もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなん。たゞ迷をあるじとしてかれにしたがふ時、やさしくも面白くも覺ゆべき事なり。




第百八段

寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、おろかなるか。おろかにして怠る人のために言はば、一錢輕しといへども、是を重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これをはこびてやまざれば、命を終ふる期忽に至る。

されば道人は、とほく日月を惜しむべからず。只今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。若し人來りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まん。我等が生ける今日の日、何ぞ其の時節に異ならん。一日のうちに、飲食、便利、睡眠、言語、行歩、止む事を得ずして多くの時を失ふ。其の餘りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事をいひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亙りて一生を送る、尤もおろかなり。

謝靈運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思を觀ぜしかば、慧遠白蓮の交を許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。




第百九段

高名の木のぼりといひし男、人をおきてて、高き木にのぼせて梢をきらせしに、いと危くみえしほどはいふ事もなくて、おるゝ時に、軒長ばかりになりて、「あやまちすな、心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるゝともおりなん、如何にかくいふぞ」と申し侍りしかば、「其の事に候。目くるめき、枝危きほどは、己が恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候」といふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒にかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。




第百十段

雙六の上手といひし人に、其の行を問ひ侍りしかば、「勝たんとうつべからず。負けじとうつべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりとも、おそく負くべき手につくべし」といふ。

道を知れる教、身を治め、國を保たん道も、又しかなり。




第百十一段

「圍棊、雙六好みてあかしくらす人は、四重五逆にもまされる惡事とぞ思ふ」と、或ひじりの申しし事、耳にとゞまりて、いみじく覺え侍る。




第百十二段

明日は遠國へ赴くべしときかん人に、心閑かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄の大事をも營み、切に嘆く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁、喜をもとはず、とはずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやう/\闌け、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらん人、又是に同じかるべし。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗のもだしがたきに隨ひてこれを必ずとせば、願も多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雜事の小節にさへられて空しく暮れなん。日暮れ塗遠し。吾が生既に蹉だたり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、禮儀をも思はじ。此の心をも得ざらん人は、物狂ともいへ、うつゝなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ、譽むとも聞き入れじ。




第百十三段

四十に餘りぬる人の、色めきたる方、おのづから、忍びてあらんはいかゞはせん。ことに打出でて、男女の事、人のうへをも言ひたはぶるゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

大方、聞きにくゝ見苦しき事、老人の若き人に交りて、興あらんと物言ひゐたる、數ならぬ身にて、世の覺えある人をへだてなき樣にいひたる、貧しき所に、酒宴好み、客人に饗應せんときらめきたる。




第百十四段

今出川のおほい殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、さい王丸御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までさゝとかゝりけるを、爲則御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて、御牛をばおふものか」といひたりければ、おほい殿御氣色惡しくなりて、「おのれ車遣らん事、さい王丸にまさりて得知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭をうちあてられにけり。

この高名のさい王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。此の太秦殿に侍りける女房の名ども、 一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしとつけられけり。

NKBT reads 一人は、ひさゝち、一人は、ことつち、一人は、はふはら.




第百十五段

宿河原といふ所にて、ぼろ/\おほく集まりて、九品の念佛を申しけるに、外より入り來たるぼろ/\の、「もし此の御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、其の中より、「いろをしこゝに候ふ。かくのたまふは誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人にあひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」とふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて對面し奉らば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ參りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、佛事の妨に侍るべし」といひ定めて、二人河原へ出であひて、心行くばかりに貫ぬき合ひて、共に死ににけり。

ぼろ/\といふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ、梵字、漢字など云ひける者、其の始なりけるとかや。世を捨てたるに似て、我執深く、佛道を願ふに似て、鬪諍をこととす。放逸無慚の有樣なれども、死を輕くして、少しもなづまざる方のいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。




第百十六段

寺院の號、さらぬ萬の物にも、名をつくる事、昔の人は、少しも求めず、たゞありのまゝに、やすく付けけるなり。此の比は、深く案じ、才覺をあらはさんとしたるやうにきこゆる、いとむつかし。人の名も、めなれぬ文字をつかんとする、益なき事なり。

何事も、珍しき事を求め異説を好むは、淺才の人の必ずある事なりとぞ。




第百十七段

友とするにわろき者七つあり。一つには高くやん事なき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つには武く勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲ふかき人。

よき友三つあり。一つには物くるゝ友。二つには醫師、三つには智惠ある友。




第百十八段

鯉のあつもの食ひたる日は、鬢そゝけずとなん。膠にもつくるものなれば、ねばりたるものにこそ。

鯉ばかりこそ、御前にても切らるゝ物なれば、やん事なき魚なり。鳥には雉、さうなき物なり。雉、松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず。其の外は心うき事なり。中宮の御方の御湯殿の上のくろみ棚に、雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて歸らせ給ひて、やがて御文にて、「かやうの物、さながら其の姿にて御棚にゐて候ひし事、見ならはず、さまあしき事なり。はか%\しき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。




第百十九段

鎌倉の海に、かつをと云ふ魚は、彼のさかひには雙なきものにて、此の比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「此の魚、己等若かりし世までは、はか%\しき人の前へ出づること侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。




第百二十段

唐の物は、藥の外は、なくとも事缺くまじ。書どもは、此の國に多く廣まりぬれば、書きも寫してん。唐土舟のたやすからぬ道に、無用の物どものみ取りつみて、所狹く渡しもてくる、いとおろかなり。

「遠き物を寶とせず」とも、又「得がたき貨を尊まず」とも、文にも侍るとかや。




第百二十一段

養ひ飼ふものには馬、牛。つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかゞはせん。犬は、まもりふせぐつとめ、人にもまさりたれば、必ず有るべし。されど家毎にある物なれば、殊更に求め飼はずともありなん。其の外の鳥獸、すべて用なきものなり。走る獸は檻にこめ、鎖をさゝれ、飛ぶ鳥は翅をきり、籠に入れられて、雲を戀ひ、野山をおもふ愁止む時なし。其の思、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を樂しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に樂しぶを見て、逍遙の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。

「凡そ珍しき禽、あやしき獸、國に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。



    本站是提供个人知识管理的网络存储空间,所有内容均由用户发布,不代表本站观点。请注意甄别内容中的联系方式、诱导购买等信息,谨防诈骗。如发现有害或侵权内容,请点击一键举报。
    转藏 分享 献花(0

    0条评论

    发表

    请遵守用户 评论公约

    类似文章 更多