日本語科051組 ヤン 9ページ 12,104字 携帯電話の利用が若者のコミュニケーションに与える影響に関する分析 一、概要 通信技術の発展につれて、今の社会はもう情報化社会に入った。携帯電話が登場してから、その普及スピードが著しく、わずかの期間に老若男女誰でもが使うようになった。携帯電話は人々の社会生活の中に欠かせない必要品になった。しかし、携帯電話の普及と使用はいろいろな社会問題を起こした。特別に若者のコミュニケーションに与える影響はもう一種の無視できない社会も問題として世界範囲に存在していて、ますます世界各国に注目されている。特に経済高度発達の日本はこの問題についての討論が激しい続いている。この数年、中国では経済、技術の高度発展と携帯電話利用の広がりに伴って、この問題も人々に重視され始めている。日本では携帯電話の利用は若者のコミュニケーションに与える影響についての分析を通じて、中国のこの問題の研究に非常に役に立つと思う。それに、自分にとって身近なことを研究するのはよいことである。携帯電話と携帯メールのやり取りをするのは楽しいことなので、研究にも興味を持ちやすいし、身近な人々の行動を客観的に見直すことにも通じるだろうと思うから。これを研究テーマにした。 この論文は主に日本で若者の携帯電話の所持、使用状況;携帯電話の利用による従来のコミュニケーションの形の変化;また、携帯電話の利用による若者の人間関係のプラス面とマイナス面などいくつかの角度からしだいにこの問題を深く研究した。それにまた、この問題を二中比較分析した。いろいろと研究したあげく、私は以下の結論を出した:携帯電話と携帯メールの利用はより緊密な仲間関係を形成するように見えるが。実は携帯電話と携帯メールの利用によって緊密さは増加せず、ただ表面のコミュニケーションとして浅い関係を形成しているだけである。若者はコミュニケーションにおいて携帯電話に依存しすぎた。いつも、携帯電話で特定のグループの中で長期に付き合っているから、内輪だけの付き合いを重視している傾向が見られた。外部との交渉が非常に限られている。家族や友人と実際に触れ合うことも少なくなった。人間関係が希薄化になった傾向も見られた。 キーワード:携帯電話 携帯メール コミュニケーション 仲間関係 二、前書き 私たちはすでに携帯電話と切り離された生活が考えられない時代に突入した。現代人の生活の中に携帯電話は身に着ている服のように欠かせない必要品として定着している。電話といえば、二人が音声で意思の疎通をする道具というのが今までの一般的な認識だった。今までの家庭の固定電話はその名前のとおり、家の中に固定されていたのだが。でも、携帯電話の登場が私たちの周りを大きく変えている。携帯電話の普及は私たちの日常生活に変化をもたらしている。携帯電話を持っていることでいつでも呼び出しが可能になる。固定電話の時代にまして行動範囲を広げることになる。私たちは携帯電話が生活にもたらした便利さを楽しんでいる同時に、携帯電話はわれわれの日常生活の諸方面に直接、間接的に影響を及ぼしている。とりわけ、携帯電話を媒介とするコミュニケーション様式は少しずつ成り立つようになった。伝統的なコミュニケーションより携帯電話に依頼するコミュニケーションは便利な代わりに多くの問題がつきものである。本論文では携帯電話の利用によって生じる若者のコミュニケーションの変化、若者における友人関係と携帯電話利用の関連に焦点を当てて、二中両国の関係研究資料を基に日中比較分析した。それにまた、若者のコミュニケーションと携帯電話との関係性を明らかにしてみた。 三、本論 1.日本で若者の携帯電話の所持、利用状況 日本で携帯電話が登場してから、その普及は目覚しいものである。今や、路上や電車の中で携帯電話で話したりメールをやりとり刷る姿は日常の光景となった。利用者は生活や仕事との必要品とてし便利さや楽しさを享受している。日本における携帯電話の普及率は全人口の約70%を超えて三人に二人が持つようになった。利用者の中に高校生や大学生を代表する若者の利用率は目立っている。調査(注[1])によると、日本では15歳以上25歳未満の若者はほぼ全体携帯電話を持っている。 携帯電話を使用するきっかけは「みんなが持っているから」という人が多い。これは日本人自分自身の特徴につながっていると考えられる。昔から日本では一般的に周囲の人と同じことをするのがよいとする習慣がある。日本人は周囲の人と自分が違っていたらとても不安になる傾向が強いのである。また、現代の若者が新しい物好きで旺盛んな好奇心を持っていることにもつながっている。学生の場合は連絡の相手も学校の友人が主となり、携帯電話の機能で文字の送受信ができるメール機能の利用が活発で、そこでは主に放課後の予定や遊びの連絡、たわいのない話題などがやりとりされていることがわかった。 今や、携帯電話は単なる連絡手段の枠を超え、その機能には通話のほか、メール、音楽、モバイルバンキング、カメラ、電子決済、ゲームなどが含まれている。普通に通話とメール二つの機能がよく使われている。若者にとって最も利用頻度が高いのは (注[2]) この図で日本において携帯電話の利用者全体の状況を見ると、携帯電話、Eメールとも、男性の方が利用率は高いが、10代では女性の方が高い。20代以下では男女を問わず大多数が携帯電話を所有しているが、年代が上がるにつれて利用率は急激に下がる。特に女性で下がり幅が大きいことがうかがえる。これは日本文化庁が2005年「携帯電話の利用度調査」というテーマで行ったアンケートでとったデータである。 若者において携帯電話の具体的な利用目的と用件について調査してみた。それらを整理して以下のとおりにまとめた。 携帯電話の具体的な利用目的、用件(注[3])
また、携帯電話でのメールのやり取り内容は最多の「出来事や気持ちの伝達」のほか、「用件のないメッセージ」など、緊急性の薄い要件が上位に上がっている。ちょっとした気持ちや用件を伝えたいとき、電話では相手に迷惑をかけるかもしれないが、メールでならその心配はない。こうした特性があるため、若者において携帯電話の通話機能よりメール利用のほうが活発である。 携帯電話でのメールのやり取り内容
それ以外に、日本の文化庁のインタネット上の調査結果によると、携帯電話の生活習慣の関わりでは「トイレの中で携帯電話を使うことがある」「携帯電話があるので腕時計は身につけていない」「メールや電話が来ない日はさびしくなる」などの回答が多かった。特に世代が若いほど携帯電話とのつながりが深いようだ。 2.新しいコミュニケーションの方法である携帯電話 2.1交流について 交流には大きく分けて二つのパターンがあると考えられる。一つは人間の生身の交流で、もうひとつはバーチャルな交流である。(注[4]) 人間生身の交流とは、従来ともいうべき交流の形であり、人と人が直接にコミュニケーちょんをとる交流の形である。今まで、携帯電話がまだ登場していない時代に従来のコミュニケーション手段として直接会話、手紙・はがき、固定電話等がある。これらの手段で人間関係を築いたり、維持したりした。一方のバーチャルな交流とは、人と人が直接にコミュニケーションをとるのではなく、情報メディアを通じたコミュニケーションの形である。携帯電話はここに当てはまるといえる。現在では、人間生身の交流が高年齢層に多い一方で、バーチャルな交流の形は低年齢層に多く見られる。 2.2新しいコミュニケーションの方法である携帯電話 先に上げた交流の形のひとつであるバーチャルな交流の一例に携帯電話とメールがあげられる。携帯電話はいつでもどこでも気軽に他人とコミュニケーションをとることができるから、登場してから人々に愛用された。現在では、面と向かって話すコミュニケーションより携帯電話でコミュニケーションをとることが新しい流行として利用する人がますます多くなった。また、メールは現代の携帯電話の機能に無くてはならない機能である。現代の若者の携帯電話利用の事情は携帯電話の電話機能よりもメール機能を使うほうが圧倒的に多い。料金も一回の電話に比べ、一回のメールのほうが安くなっていて、お金のことを考えずに気楽に利用できることが主な人気の理由である。そのほかの理由に、「夜中など時間が気になるとき利用できる」や「図書館など場所が気になるとき利用できる」などが挙げられている。また、一度に多くの人に発信することが可能で、さらには自分のもとに届いたメッセージをそのままほかの人に転送することができる。メールはこの様な理由から「最も敷居の低いコミュニケーション」と呼ばれている。 新しいコミュニケーションの方法である携帯電話の登場がバーチャルな交流を増加させてきたとも言えるであろう。そして、携帯電話の利用によるバーチャルな交流が普及したことで、今までになかった新しいコミュニケーションのとり方が生まれたと考えられる。 3.携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのプラス面とマイナス面 中学生のとき、教科書に「世界上任何事物都有两面性,即有利的一面和不利的一面,这两面永远都是相伴相随的。」という内容を学んだことがある。日本語に訳したら、「この世の中にどんな物事でも、プラス面とマイナス面がある。そして、この二つの面がいつでも絡み付いている。」という意味である。携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへの影響も同じである。身近なことを研究して携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへの影響を以下の通りにまとめた。 3.1携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのプラス面 ①便利さ みんなが携帯電話を使う一般的理由としては、やはり携帯電話は便利だからといえるだろうが。携帯電話を持っていることで、いつでもどこでも情報を得ることができたり、誰とでも気軽にコミュニケーションをとり、持続できるから。安心感を持てるようになる。固定電話の時代に比べて場所と時間といった制限を受けないので、行動がまして自由になった。外出するときなど、一緒にいなくても携帯電話の電波が届く場所にいる限り、つながっているという意識を持つことができるのである。それは乗り物の発達と似通ると思う。また、固定電話であるなら、有人と連絡を取りたいときに自分の家にある電話で相手の家に電話をかけるしかないのだった。これは多少とも相手の家族に迷惑をかけるかもしれない。自分専用の携帯電話が登場してから、この問題は自然に解決されてしまった。相手の家族に迷惑をかけずに連絡をとることができるようになった。 それ以外に、携帯電話が登場する前の電話といえば、一家に一台を皆で使う「公共型の電話」であった。そのため、自分以外の人にかかってきた電話であっても出なければならなかったり、公に電話番号が公開されているため、疎遠な相手やいたずら電話などにも一応に出て、対応しなければならなかった。それが今では、携帯電話が登場し、一人に一台の「個人型の電話」として普及した。電話番号はプライバシーとして、個人や個人と親しいものの間で飲み公開され、自分に用のない電話はもちろん、疎遠な相手、いたずら目的の電話がかかってくることがほとんどなくなった。万が一、かかってきても、事前に相手を知ることができ、それなりの対処ができる。それに、次にその相手からかかってこないようにすることもできるし、直接会話をしないでメールという方法もある。これは固定電話であるならできないことである。これも携帯電話がわずかの間に普通の人々に広く普及した理由のひとつであろう。 ②友人や家族とのコミュニケーションの量が増加している プラス面の①にかかわることであるが。今まで携帯電話がない頃、普段他人と連絡ととりたいとき、相手がいまどこにいるかとか、何をやっているのかとかわからなかったから、コミュニケーションをとることは本当に面倒くさいことだった。それに相手が家にいるかどうかは判断できないから、わがまま勝手に相手の家に電話をかけるなら、場合によっては失礼なことになるかもしれない。だから、携帯電話が登場する前に人とのコミュニケーションはただ顔をあわせて話す方法しかなかった。また、空間的、時間的制限をも受けていたゆえに人とのコミュニケーションの量が自然に少ないのだった。だが、携帯電話の登場により、いつでもどこでも相手と連絡を取りたいだけコミュニケーションをとることが可能になった。コミュニケーションにおいては空間的、時間的制限も軽減され、いまどこにいるのかとか、何をやっているのかとか相手の事情をよくわかることもなく面を接することもなく気軽にコミュニケーションを取れるから。携帯電話がない時代に比べて、友人とでも家族とでものコミュニケーションの量が増加している。だから、携帯電話の利用により、コミュニケーションを増加させえるということもいえる。 ③人間関係をより多様化させる役割を果たす 私たちは家族や地域のほかに、趣味や嗜好によりグループされた複数の友人関係、人間関係をもっている。携帯電話が登場する前に人間はひとつのグループの中で付き合うだけである。つまり、一対一の形で付き合っている。でも、携帯電話が速いスピードで普及した後、こういうコミュニケーションの状況が徹底的に変わった。携帯電話を持つことで、若者におけるコミュニケーションは比較的簡単に取り、持続できるだけではなく、若者はいくつかのグループの中で付き合えるようになった。携帯電話の機能で文字の送受信ができるメール機能は最たる例である。携帯電話でほかの友人に電話をかけても、一人にしかかけることができないが。メール機能には同時に何人かにメールのやりとりをすることができるこれまでにない優れた特徴を持っているから。こういう多様化なコミュニケーションを円滑に、より充実をさせる役割を果たしている。 3.2携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのマイナス面 携帯電話の出現と普及によって、コミュニケーションが以前より豊かになり、どこにいても、連絡が取れるので便利、人間関係をより多様化させ、携帯電話にはたくさんのメリットがある。それに、これらのメリットがコミュニケーションをも含めて私たちの生活の多方面によい影響を与えてくれた。これは人々に十分に認められるべきである。しかし、その反面、デメリットが生じていることも私達はしっかり理解しなければならない。そこで携帯電話の利用による若者のコミュニケーションへのマイナス面を次のように上げたいと思う。 ①真意が伝わりにくい 通常私達は、お互い面と向かってコミュニケーションを進行させる。そこでは、言いたいことを伝えるのに、言葉ばかりでなく、表情やしぐさ、声の出し方や話すテンポといった非言語的は要素を必要とする。言葉では、伝えきれない部分を私達は非言語的コミュニケーションで補っている。例えば、厳しいことを言わなければならない時、私達は言いにくそうに、申し訳なさそうな表情でできるだけ柔らかい語調で伝えようとする。表情や口調から「気分を害するだろう」と感じたら、言葉を換えて説明し直したり、話題を変えたりすることができる。このようなことは、言葉以外の手ががりがあるからこそ、できるのだ。面と接しないコミュニケーションである携帯電話で言葉そのものだけで私達の言いたいことを十分相手に伝えるなどは、直接会ったりすることよりも非常に難しいだろうかと考えられる。受け手の人間は発話者の気分や感情を「文字だけ」あるいは「声だけ」といった乏しい情報から勝手に推測しなければならないのだ。 メールはその典型的な例である。いろいろと身近なことを研究して、普通にメールを使用する中で言語的特徴があることがうかがえる。ここでは、言語学でメールにはどのような言語的特徴があるのかを明らかにしていきたい。いろいろな研究資料を基に、それらを整理すると、次のようになる。 若者がメールを使用する中での言語的特徴(注[5])
もとより、面を接しないコミュニケーションであるメールで相手の気持ちを得たり、伝えたりすることは難しいが、メールを使用する中で以上のような言語的特徴があるゆえに、現実には、相手の気持ちなどをこれ以上把握することはできなくなる。この分では、人間関係において何らかの誤解やトラブラを生じさせる可能性もある。 ②携帯電話の過度利用による人間関係が希薄化している傾向 携帯電話によるコミュニケーションの変化の例が待ち合わせである。今日私たちが待ち合わせをする場合、待ち合わせ場所を詳しく決めなくてもいいが、「わからなくなったら携帯電話する」「携帯電話持っているからわからなくなったら携帯電話で連絡を取り合おう」という感じになる。また、待ち合わせ場所についたら、すぐ「着いた」などのメールを打ったり、「遅れそう」といったメールを打ったことによって、待つ側は相手を待つということが気楽になる。待ち合わせに携帯電話を使うことは便利だと誰もが思っていることではあるが、待ち合わせに遅れた場合などの厄介なコミュニケーションを避けることを可能にしているのである。多くの人が遅れても連絡さえすればという相手を思う気持ちの希薄化や時間を守るという約束の基本ともいうべき行為を守ることのできない人間を増やしているのではないだろうか?時間に遅れるということへの罪悪感が多少軽くなるのではないか。以上のことを考えてみると、携帯電話は待ち合わせに便利ではあっても、人の感情の面や、コミュニケーション能力への影響としてはむしろ悪影響を与えているものかもしれない。 また、かつて携帯電話やメールがない頃は友人と喧嘩や何か問題が生じた場合、必ず相手とアポイントをとって直接話しをしたり少なくとも電話で解決した。少しばかりの緊張や罪悪感を抱いて相手に対する思いを自分の口でははっきりというしかなかった。自宅の電話にかける際も、自ずと礼儀が身についた。しかし、メールの登場により、問題が生じた際にでもメールで解決してしまう傾向にある。たとえば、喧嘩をしたり相手にいやな思いをさせてしまった時、以前であれば直接または固定電話で誤ることをした。それに対し現在では、「ごめん」「言い過ぎた」などとメールを使うことにより、自分が傷つかないし相手も傷つかない方法をとる。傷つくことを恐れ、口で言わなくてはならないことをメールで伝えてしまう。これが現代の若者の特徴といえる。この現象を一見しては、相手の気持ちをよく考えて傷つけないようにやることだから、やさしいような気がする。でも、深く考えてみると、やさしいことはやさしいだが、従来のコミュニケーションとして面と向き合う直接なコミュニケーションより人間関係が希薄化しているじゃないか。 ③選択的なコミュニケーション 若者の世代にとって携帯電話はほとんど必要品である。誰もが持っている携帯電話は、誰とでも気軽にコミュニケーションをとることができる手段であるが、相手を選択できるという一面も持っており、選択的コミュニケーションを築く道具となっている。例えば、付き合いの深い人とは徹底的にコミュニケーションをとるが、携帯電話に登場されていない人とはまったく話さない。また、話したくない相手や好意を持っていない相手に携帯電話の番号を変えても教えなかったり、相手から電話がかかっても出なかったり、履歴がのこり、それを放置してかけなおさないこともある。メールの場合、相手からメールを送受してきても、メールを無視したり、メールを読む前に削除したり、メールを読んでも返信しないこともある。場合によっては、電波事情を理由に電話を一方的に切ることも可能である。 このように、携帯電話が選択的な人間関係をより可能にし、若者の人付き合い下手を助長した。それ以外にも、コミュニケーションが狭がっていると実際に意識はしていなくても、知らず知らずのうちに内輪だけのコミュニケーションを築いているということもいえる。 ④依存しすぎた これは最も心配されている問題と言える。 携帯電話のサービスが開始されてすでに十何年経ち、日常生活は大変便利なものになった。しかし携帯電話のない頃では日常生活はどうだったでしょうか。当時の人々の生活に携帯電話がなくても何の不自由もなかったでしょう。ところが携帯電話がここまで普及した現代では携帯電話がないと「仕事ができない」「落ち着かない」、さらには「携帯電話なしでの生活は考えられない、生きていけない」といった意見もよく耳にする。 今や、携帯電話は生活に欠かせない必要品としての存在がすでに人々に認められていた。路上で携帯電話で話したり、メールをやり取りする姿はもはや日常の光景となった。便利だが、携帯電話を頻繁に使用している人にとっては手放せないものになっている傾向が見られる。私が在学している河南科技大学ではクラスメートと話していても携帯電話にメールの着信があると、何をさしおいてもまず確認して返信という動作が反射的に身についているような学生も目にしたことがある。このように現実のコミュニケーションより携帯電話を媒介とするコミュニケーションは生活の中の優先事項においている傾向が見られる。端的にいえば、バーチャルなコミュニケーションが優先されている。また、友たちの話によると、彼は授業に行く途中携帯電話を忘れたことに気づき、寮まで取りに帰ったといったこともあるそうである。なぜかといと、「財布がなくても友人に金を借りればいいが、携帯電話がないと他人と連絡が取れないので不安」という答えをくれた。 この分では、携帯電話を頻繁に使用している人はいつもバーチャルなコミュニケーションに閉じこもっているようになった。彼らは人とのコミュニケーションをすべて携帯電話で済まそうとしている。他人と面と向き合うことを避けているにも関わらず、携帯電話などさまざまな方法を使ってコミュニケーションをとろうしている。過度に携帯電話を利用すると、面と向かって話をするコミュニケーション能力が身につきにくくなったり、若者の人付き合い下手を助長した。現実社会でのコミュニケーションのとれない人間になってしまうという悪影響がある。 深く突き詰めて考えてみると、この原因は携帯電話の長所に裏付けられたと思う。人間は少しでも楽をしたいと思う習性がある。一度、楽な生活をしたらなかなかその生活から抜け出すことはできない。こう方面から見ると、携帯電話はタバコや酒と似通った点が多い。一度味わった味は忘れられないものである。 いずれにせよ、携帯電話は良くも悪くも人々、特に若者のコミュニケーションに影響を与えた。そして、その影響は携帯電話が進化し、より多くの人にこれまで以上に深く溶け込むことによって深刻する。そうやってこれまで以上に、携帯電話が中枢におかれるコミュニケーションが確立されていくのだろう。 四、日中両国比較 中国で、一昔前までは携帯電話は存在さえも薄いもので知名度も全くないのだったが、中国で携帯電話の登場は日本より遅いが、その発展と普及スピードは著しい。携帯電話が登場したばかりの頃、新しい通信道具としての携帯電話が身分や社会的地位のシンボルであったが、現在ではもはや日常生活の一部になっている。また、僅か十五年ぐらい経ち、中国は今世界一の携帯電話利用者を有しているようになり、5人に1人は利用している。携帯電話の利用者もまだまだ増加し、技術も日進月歩の状態である。 携帯電話の利用が人々、特に若者のコミュニケーションに与える影響といえば、中国では近年こそ人々に注目され始めた。だが、中国での問題は決して日本ほど深刻しないといえないだろう。先に述べた携帯電話の利用が若者のコミュニケーションに与える影響は中国でも同様に存在していて、そして深刻している。身近なことを例とする。私が在学している河南科技大学で、学生はほとんどだれでも携帯電話を持っているように見える。そういうことから、みんなは普段用件があってもなくても携帯電話でコミュニケーションをとることがもう習慣になった。皆だれでもその便利さに慣れているから、近く離れても寮に居ながら友たちと気軽に連絡をとっている。時間がたつにつれてこういう気軽なコミュニケーションが通常、当たり前のことになった。寮に閉じこもって友人と会話を交わすことが少なくなって友人との仲間関係の絆が弱くなっている現実は存在している。この分では、人とのコミュニケーションをすべて携帯電話で済まそうとしているようになる傾向もある。他人と面と向き合うことを避けているにも関わらず、携帯電話などさまざまな方法を使ってコミュニケーションをとろうしている。つまり、バーチャルなコミュニケーションに閉じこもっているようになった。 次に、典型的な例として若者において携帯電話を使用するマナー面が挙げられる。周りを考えずに大声で携帯電話でしゃべり、大きな呼び出し音を鳴らして平気でいたり、静かに演劇や音楽、映画などを楽しむ劇場でもおかまいなしに携帯電話をピーピーと鳴らしている人も中国では少なくない。私が在学している河南科技大学を例えする。最近の学生は授業中、堂々と机の上に携帯電話を置いている。携帯電話をかける学生はいないが、メールが着信すると即席に返信することをよく見かけた。このように大学の授業内やバスの中など、携帯電話を使用するべきではない場所や時間において使用することはその場における人間関係によい影響を及ばすとは決していえない。 また、中国ではインターネットが広く普及しつつあるにつれて「インターネット中毒」という言葉が出てきた。今や、また新しい中毒が問題になった。それは携帯電話中毒である。インターネットを探してみると、日本でもこういう言葉がある。症状としては「風呂やトイレに持っていく」「着信音の幻聴が聞こえる」「メールをして返事が来ないともう友達ではないと思う」などが挙げられる。これは先の部分に述べたが。若者が人とのコミュニケーションを携帯電話で済ますことに慣れているから。携帯電話というコミュニケーション道具を少し時間離れても不安と感じている。中国では携帯電話中毒はもうインターネット中毒と並び、若者において最も心配されている問題になった。 五、結語 人間が自分の意思を伝えたいと思ったのは今から1万年前のことである。言葉、文字を使い始めて印刷、電話の発明により人間はコミュニケーションの可能性を増大させ、現在ではいつでも、どこでも、誰かと連絡をとりたい時だけ、連絡を取ることのできる携帯電話が利用されている。大げさに言えば、携帯電話が人間の生活の根本にも影響を与えている商品と言っても過言ではないだろう。携帯電話の利用によってさまざまな影響を与えてくれたのに、それゆえに携帯電話を使うなとはいえない。私自分は携帯電話世代であるとして、携帯電話の進歩を受け入れていく肯定派の立場にたっている。携帯電話で生じている問題は人間側の問題である。携帯電話はあくまでも機械であり、使うのは人間であるからだ。携帯電話自体が人間関係とコミュニケーションに悪影響を及ぼしたとは決していえない。むしろそれによってもたらされた便利さは現実では周りの人とコミュニケーションを気軽に取れる役割を果たしてくれた。しかし、人とのコミュニケーションにおいて携帯電話を依存しすぎたなどの使い方によっては逆にコミュニケーションにマイナスに働く場合も出てくる。 良好な人間関係が大切であることはいうまでもない。人間関係がうまく取れなければ何か欠陥がある気がしているのは私だけではないだろう。私はどんなに便利な時代がやってきても、どんな形のコミュニケーションであっても、大切なのは人と面を向かい合うコミュニケーションであり、温かな心の交流なのだと実感している。なぜなら、そういうものに支えられてこそ人は成長していくのだから。 この論文を通して友人、家族と過ごす時間を増やし、直接に触れ合うコミュニケーションを大切にしてほしいと呼びかけたいのだ。 六、参考文献 「社会学のことが面白いほどわかる本」 浅野智彦編著 中経出版 2002.5 「携帯電話と人間関係」 石田洋平編著 日本福祉大学森本正昭ゼミ 2005. 「現在の携帯電話」 豊永久美編著 日本福祉大学森本正昭ゼミ 2005. 「携帯電話的人間とは何か」 浅羽通明編著 宝島社 2001.3 「日本文化概论」 韩立红编著 南开大学出版社 2004 [日本之窗] 苏君业、黄健编 大连理工大学出版社 2003 「ケータイのなかの欲望」 松葉 仁編著 文春新書 2002 「ケータイ学入門」 岡田朋之・松田美佐 有斐閣 2002 日本文化庁2005年12月現在まで行った「若者における携帯電話の利用度調査」 日本財団法人日本青少年研究所の調査
注[1]:日本文化庁が2005年12月現在まで行った「若者における携帯電話の利用度調査」より 注[2]:日本文化庁が2005年「携帯電話の利用度調査」より 注[3]:日本財団法人日本青少年研究所の調査(http://www1.odn./youth-study/)より |
|
来自: 新用户56226641 > 《待分类》