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解析《乡村教师》

 斗战胜佛hekai 2020-03-04

田山花袋(1871-1930)原名田山录弥。日本自然主义小说家。15岁随全家一起迁居东京,曾学过桂圆派和歌,后来又拜尾崎红叶为师发表小说习作。早期作品平板单调,技巧拙劣,词汇贫乏。后来又当过编辑,随军记者等,此间认真消化了福楼拜,莫泊桑,龚古尔等人的作品。1904年受左拉的影响,发表评论《露骨的描写》,提倡自然主义文学,开始引起文坛注目,成为该文学流派的代表作家。主要作品有《棉被》,三部曲作品《生》,《妻》,《缘》等。

长篇小说《乡村教师》是1909年出版的。作者到崎玉县羽生福建寺当主持的表兄太田玉名(小说中的山形古城)处去时,看到曾在这个寺庙中寄宿的小林秀三(小说中的林清三)留下的日记,读后很激动。以后,作者又多次进行实地调查,体验生活,并经过长时间的构思才写成。

注释:

一,本段选自《乡村教师》第六十一章,叙述主人公林清三在病危时刻听到日俄战争中日均攻占辽阳的消息时的心情。由于日本和沙俄帝国的这场旷日持久的战争,许多日本人被卷入了战争,所以当辽阳战斗打响时,日本国民普遍十分关心战况,连病入膏肓的清三也不例外。他一面为战争胜利而高兴,一面又可怜那些陈尸疆场的同胞,可是他更可怜的是自己。迅速走向军国主义的日本帝国的穷兵黔武和贫病交加,在死亡线上挣扎的青年的命运在这里形成鲜明的对比,从而生动地体现了本作品的现实主义意义。

二,日比谷公圜から上野公圜まで:日比谷公园是位于东京市中心千代田区的一个西式公园,有日比谷公会堂和露天音乐堂等设施。1903年开园前是练兵场,明治,大正时代民众常在这里举行各种集会。上野公园位于东京台东区。

三,花電車:即用于大型集会游行的​用电车扎的彩车。

四,清三此时进入昏迷状态,也小时后他即告死亡。​

日文中译:王志镐​

​乡村教师

田山花袋

遼陽の戦争はやがて始まった。国民の心はすべて満州の野に向かって注がれた。深い沈黙の中にかえって無限の期待と無限の不安とが認められる。神経質になった人々の心はちょっとした号外売りの鈴の音にもすぐ驚かされるほどたかぶっていた。そうしている間にも一日は一日とたつ。鞍山站(あんざんてん)から一押(ひとお)しと思った首山堡(しゅざんぽ)が容易に取れない。第一軍も思ったように出ることができない。雨になるか風になるかわからぬうちに、また一日二日と過ぎた。――その不安の情(じょう)が九月一日の首山堡占領の二号活字でたちまちにしてとかれたと思うと、今度は欝積(うっせき)した歓呼の声が遼陽占領の喜ばしい報につれて、すさまじい勢いで日本全国にみなぎりわたった。

不久,辽阳的战争开始了。国民的心全都把注意力朝向满洲原野,在深深的沉默中他们反而无限的期待和不安。神经质的人心听到一点点叫卖号外的铃声就马上就被惊呆了,感到兴奋无比。就这样时间一天天过去了。从鞍山站开始就想再努力一下的首山堡已不容易夺取了。第一军好像也不能出动。在不知道是风还是雨的期间,又是一两天过去了。——那种不安的心情,我想由于九月一日首山堡被占领的二号铅字而突然枯竭了。这一次淤积的欢呼声随着辽阳被占领的喜报,以汹涌澎湃之势向日本全国弥漫开来。

 遼陽占領! 遼陽占領! その声はどんなに暗い汚ない巷路(こうじ)にも、どんな深い山奥のあばら家にも、どんなあら海の中の一孤島にも聞こえた。号外売りの鈴の音は一時間といわずに全国に新しいくわしい報をもたらして行く。どこの家でもその話がくり返される、その激しかった戦いのさまがいろいろに色彩(いろどり)をつけて語り合わされる。太子河(たいしが)の軍橋を焼いて退却した敵将クロパトキンは、第一軍の追撃に会ってまったく包囲されてしまったという虚報(きょほう)さえ一時は信用された。

占领辽阳!占领辽阳!这声音无论在多么昏暗龌龊的小巷,在多么幽深的穷山寒舍,在多么波涛汹涌的大海中的一座孤岛都能听到。叫卖号外的铃声一时间使得不管是全国的新报纸也好,旧报纸也好,被拿了就走。无论何家都把这消息反复传递,附上那激烈的战况,将许多的色彩的讲话混合在一起。那烧掉太子河退却的敌军将领克洛帕特金,在第一军的追击下被完全包围,连这样的谣言也一时被相信了。

 全都国旗をもって埋まるという記事があった。人民の万歳の声が宮城の奥まで聞こえたということが書いてあった。夜は提灯行列(ちょうちんぎょうれつ)が日比谷公園から上野公園まで続いて、桜田門(さくらだもん)付近馬場先門(ばばさきもん)付近はほとんど人で埋めらるるくらいであったという。京橋日本橋の大通りには、数万燭の電燈が昼のように輝きわたって、花電車が通るたびに万歳の声が終夜聞こえたという。

曾经有全东京都举着国旗挤满了大街小巷的记事,有人写道人民万岁的呼喊声在宫城的里面也能听见。夜里提灯游行的队伍从日比谷公园一直延续到上野公园,据说几乎所有的人都挤在樱田门附近马场先门附近。在京桥日本桥的大街被数万烛的电灯照得辉煌如白昼,每次挂彩的电车经过,万岁声整夜可以听见。

 清三はもう十分に起き上がることができなかった。容体(ようだい)は日一日に悪くなった。昨日は便所からはうようにしてかろうじて床にはいった。でも、その枕もとには、国民新聞と東京朝日新聞とが置かれてあって、やせこけて骨立った手が時々それを取り上げて見る。

清三已经不能完全起床了,病情一天比一天严重。昨日从厕所像爬似的好容易才回到了床上。可是,在那枕头底下,放着国民新闻和东京朝日新闻,他用那瘦骨嶙峋的手不是将它们拿起来阅读。

 遼陽の占領が始めて知れた時、かれは限りない喜びを顔にたたえて、

「母(おっか)さん! 遼陽が取れた!」

 とさもさもうれしそうに言った。

得知开始占领辽阳的时候,他无比喜悦,脸上放光。

“妈妈,辽阳被占领了!”

他似乎非常高兴地说道。

を母親にしてきかせた。二千何人という死傷者の話をもしてきかせた。戦争の話をする時は、病気などは忘れたようであった。蒼白(あおじろ)いやせた顔にもほのかに血が上(のぼ)った。医師(いしゃ)が来て、新聞などは読まないほうがいいと言った。病人自身にしても、細(こま)かい活字をたどるのはずいぶん難儀であった。手に取っても五分と持っていられない。疲れてじきそばに置いてしまった。時には半分読みかけた頁(ページ)を、鬚(ひげ)の生(は)えたやせた顔の上に落として、しばらくじっとしていることなどもある。

他讲给母亲听,还将又两千多死伤者的话讲给她听。在讲到战争的时候,他似乎忘了自己的病,白而消瘦的脸上略微有了一点血色。医生来了,说最好不要读报。病人自身要辨认细小的铅字是十分困难的。用手拿着报纸,也许五分钟也坚持不了,感到疲劳了就马上放在一边。读了一半的那一页,常常落在了长着胡须的消瘦的脸上,很长时间一动不动。

 日本が初めて欧州の強国を相手にした曠古(こうこ)の戦争、世界の歴史にも数えられるような大きな戦争そのはなばなしい国民の一員と生まれて来て、その名誉ある戦争に加わることもできず、その万分の一を国に報いることもできず、その喜びの情(じょう)を人並みに万歳の声にあらわすことすらもできずに、こうした不運(ふしあわせ)な病いの床に横(よこ)たわって、国民の歓呼の声をよそに聞いていると思った時、清三の眼には涙があふれた。

日本第一次与欧洲的强国对手进行旷古的战争,在世界历史上也似乎是数得上的大战——作为那壮烈的国民的一员,为名誉而战是不能改变的事情,作为其万分之一,却不能报国,也不能以喜悦之情像普通人一样喊出万岁声,因为得了这样不幸的病而卧床不起,只能听着别处国民的欢呼声,想到这里,清三的眼里充满了泪水。

 屍(かばね)となって野に横たわる苦痛、その身になったら、名誉でもなんでもないだろう。父母(ちちはは)が恋しいだろう。祖国が恋しいだろう。故郷(ふるさと)が恋しいだろう。しかしそれらの人たちも私よりは幸福だこうして希望もなしに病(やまい)の床に横たわっているよりは……。こう思って、清三ははるかに満州のさびしい平野に横たわった同胞を思った。

想到遍野的痛苦,如果是自身的话,名誉也算不了什么了吧。怀恋父母吧。怀恋祖国吧。怀恋故乡吧。可是那些人们比我幸福——比起毫无希望地躺在病床上…… 这么想来,清三想起了在那遥远的满洲横尸遍野的同胞。

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