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没有钱,也没有精神自由。生活于令和年间日本人为何如此悲惨?

 微读日语 2021-08-18

 日本語で世界の「今」を伝える   

 微读日语---连载第272篇   

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(原文日语发音,单词讲解)

ながら微読、手をそのまま

导读


日本人总以「失われた30年」来形容日本泡沫经济崩溃以来的社会状态。30年来,日本经济停滞,政府采用了各种政策,都无法实现长期的大幅经济增长。同时社会氛围消极,人们只能着眼于当下,对未来感到迷茫。今天的文章通过日本人的处事习惯分析了这一系列社会问题的原因,让我们来看一看吧。

正文


おそろしい…「お金かねも気ちも余ゆうがない」令れいほんじんの悲さん

 ひんすればどんする」という言ことがある。これはいくら元々もともと立派りっぱな人ひとでも、毎日まいにちの生活せいかつを送おくるだけでせいいっぱいというのが続つづけば、当とうぜん、心こころの余ゆうなどなくなり、鈍にぶくなってしまうという意味いみだ。
 残念ざんねんながらいまの日本にほんは国くに全体ぜんたいがこんな感かんじだ。お金かねはもちろん、気ちの面めんでも余ゆうがなくなった。だから、さきのことで精せいいっぱいで、とても将しょうらいすえあたらしいものを自ゆうに考かんがえているどころではなくなっている。

 それはなぜなのかも考かんがえてみたが、その理ゆうはそれぞれがあまりにさいぶんぎてしまった結果けっか、現実げんじつの社会しゃかいとの間あいだ乖離かいり、つまり、隙間すきまができているせいではないかと考かんがえている。

 ほんじんは生まじめ面目で細こまかい精せいな仕ごとが得とくで、モノづくりなどではそれがよい形かたちになって表あらわれている。その反面、細か過ぎて、さい重箱じゅうばこの隅すみを皆みなでつつくようなことになりがちだ。つまり、一歩いっぽいて、高たかいところから見ることができにくい空くうがあり、そうした人ひとはむしろ、適当てきとうな人ひと、つまり、いい加減かげんな人ひととして低くひくく評価ひょうかされる。

 わたしはまさにこのタイプだが、今いまの日ほんのようにき詰まったときには、逆ぎゃくにこうした適当てきとうさ、いい加げんでもってなおすほうが相さわしいと考かんがえている。

编辑:いきょう
品控:マスタング大佐
校对:流れ星
讲解:マスタング大佐 

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