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隐士哲学家/隠者哲学者です

 时间太快6825 2024-05-26 发布于安徽

儒道之争,也可以说是儒、墨、道三家之争。因为儒墨两家的分歧,主要在仁爱与兼爱。但仁爱也好,兼爱也罢,总之是要做点什么。实际上,墨子虽然与孔子对着干、拧着来,出发点可都是关心天下兴亡,也都愿意为此殚精竭虑,奔走呼号。道家却无意于此。他们虽有主张,却并不游说诸侯,也不设计方案。即便发表意见,也多半是自说自话。因为道家的主张是“无为”,也就是不做什么。不但自己不做,也反对别人做。他们的主张,是统治者也好,老百姓也好,都不要做。这才有了儒道之争的焦点:有为,还是无为。这是道家与儒家的分歧,也是他们与墨家的分歧。也就是说,儒家和墨家都主张“有为”,分歧仅仅在于“做什么”和“怎么做”。道家的主张,却是“不要做”。这样看,道家与儒家、墨家的分歧,比儒墨之争的分歧更大。

问题是,儒墨两家为什么要做,道家为什么就不做呢?

因为他们代表不同的士。前面说过,墨家代表武士(或侠士),儒家代表文士(或儒士);墨家代表士的下层,儒家代表士的上层;墨家代表士的过去,儒家代表士的未来。武士也好,文士也好;下层也好,上层也好;过去也好,未来也好,总归都要做事。那么,不要做事的道家又代表谁?他们的思想又是谁的哲学?

隐士。道家是隐士的代表,道家思想是隐士的哲学。

儒道の争いは、儒墨道の三家の争いといってもいいでしょう。儒墨両家の食い違いは、主に仁愛と兼愛です。でも、仁愛といい、兼愛といい、とにかく何かをすることです。実際、墨子は孔子と対立しながらも、天下の興亡を憂い、そのために身を粉にして奔走しました。道家はそれどころではありません。主張はしますが、諸侯に働きかけたり、案を立てたりはしません。意見を言うにしても、たいていは自分の話です。道家の主張は「無為」、つまり何もしないということですから。自分がやらないばかりでなく,他人がやることにも反対です。支配者も庶民もするな、というのが彼らの主張です。有為か、無為かという儒道の論争が起こったのです。これは道家と儒家の意見の相違で、また彼らと墨家の意見の相違です。つまり儒家も墨家も「有為」を唱え、「何をなすか」「どのようになすか」の違いだけだったのです。道家の主張は、「するな」です。こうしてみると、道家と儒家、墨家の違いは、儒墨の争いの違いよりも大きいのです。

問題は、儒墨両家はなぜしたのか、道家はなぜしなかったのかということです。

それぞれのタクシーを代表しているからです前述したように、墨家は武士(あるいは俠士)を表し、儒家は文士(あるいは儒者)を表します。墨家は士の下層を表し、儒家は士の上層を表します。墨家は士の過去を表し、儒家は士の未来を表します。武士もよい、文士もよいです;下でも、上でもいいです。過去でも未来でも、何かをしなければなりません。では、何もしない道家とは誰でしょうか。彼らの思想は誰の哲学ですか?

隠者です。道家は隠者の代表で、道家思想は隠者の哲学です。

什么是隐士?隐士是士的另类。前面说过,春秋战国时期的士,大体上都是自由职业者。他们的工作,主要是给别人帮忙。比方说,大夫的采邑,就是士来打理的。这样的士,叫“家臣”(前面说到的阳货,就是季孙氏的家臣)。另外,打仗,也要靠士。这样的士,就是“战士”,也叫武士、甲士。打仗要有人冲锋陷阵,也要有人出谋划策,还要有人拉帮结派合纵连横。这样的士,就是“谋士”,也叫“策士”。国家之间不但要打仗,也要谈判,要唇枪舌剑,折冲樽俎,得有人帮着说话。这样的士,就是“辩士”。天子、诸侯、大夫,都要占梦、算卦、看风水,要有人懂医懂药懂房中术。这样的士,就是“方士”。如果什么事情都没有呢?他们也得有人陪着吃喝玩乐闲聊天。这样的士,就是“食客”。总之,士的任务,就是有事帮忙,没事帮闲,说话帮腔,打仗帮凶。但不管是哪一种,都要做事,也都要依附于高级贵族(大夫、诸侯、天子)。他们都是“毛”,必须依附在一张“皮”上。皮之不存,则毛将焉附?所以他们要关心天下兴亡。隐士却不同。他们谁也不依附,什么事情都不帮别人做,也不为这些事情费脑筋。什么天下,什么人民,什么家国,统统事不关己。如果你拿这些事去请教他,他还要生气。比如传说中的隐士许由,听说尧要让位给他,就跑到河边去洗耳朵。结果他的哥们巢父更生气,说:你这么一洗,把溪水都弄脏了,我只好去上游饮牛。这就是“隐士”。

什么人可以做隐士?有本事的人。有本事的人当中,什么人是隐士?不做事的人。所谓“不做事”,也不是什么都不做。耕田、种菜、砍柴、钓鱼之类,还是要做的,否则他们吃什么?他们的“不做事”,其实是“不做官”。不做官也不是“不会做”或者“做不了”,而是“不愿意”。能做,会做,做得了,却偏不做,才叫“隐士”。

隠者とは何ですか?隠士は士の異端です。前述したように、春秋戦国時代のタクシーは、だいたいがフリーターでした。彼らの仕事は、主に人の手伝いです。たとえば、先生の採邑は、士が切り盛りしています。このような士を、「家来」といいます(先に述べた陽貨は、季孫氏の家来のことです)。また、戦さをするにも、士を頼みます。このような士、すなわち「戦士」、武士、甲士とも言います。戦いには、誰かが先陣を切り、誰かが策謀をめぐらせ、誰かが徒党を組んで合従連衡しなければなりません。そんなタクシーを「策士」といい、「策士」ともいいます。国家間には戦争だけでなく、談判も必要であり、そのためには誰かが話をしなければなりません。そんなタクシーが「弁士」です。天子、諸侯、医者、すべて夢を占って、占いをして、風水を見て、ある人が医者と薬と部屋の中の術を知っていなければなりません。そんなタクシーが「方士」です。もし何もなかったらどうでしょう?彼らも誰かと遊んだり遊んだりしています。そんなタクシーが「食客」です。要するに、士の役目とは、用事を手伝うこと、用事を手伝うこと、話を手伝うこと、合戦を手伝うことです。いずれにしても仕事をし、高級貴族(大夫、諸侯、天子)に従属しなければなりません。彼らは毛であり、皮にしがみついていなければなりません。人間の皮がなければ、変装します。だから天下の興亡に関心をもつのです。隠者は違います。誰にも依存せず、誰かのために何もしませんし、頭も使いません。天下も、民も、国も、他人事です。そんなことを教えてもらったら、また怒るでしょう。たとえば伝説の隠士、許由は、堯が自分に席を譲ると聞いて、河原に行って耳を洗いました。すると彼の兄たちの巣父は更に怒って、こう言いました:あなたはそんなに洗って、小川の水をすべて汚して、私は上流に行って牛を飲みます。これが「隠者」です。

どんな人が世捨て人になれるんですか?有能な人です。有能な人の中で、どんな人が隠者ですか?働かない人です。何もしないということは、何もしないということではありません。畑を耕すとか、野菜を植えるとか、薪を切るとか、釣りをするとか、そういうことをしないと何を食べるんですか?「仕事をしない」ということは、「役人をしない」ということです。仕官しないのも「できない」「できない」のではなく、「したくない」のです。できる、できる、できる、それなのにやらないのが「隠者」です。

道家,就是这样一些人的代表。道家思想,就是这样一些人的哲学。不过这样一来就有了问题。第一,儒和侠需要哲学,需要代表,是因为他们做事。做事,就要有理论依据,也要有哲学指导。隐士什么都不做,要哲学干什么?要代表干什么?第二,隐士对于国家大事、天下兴亡,既然“事不关己,高高挂起”,那你何必说,又有什么可说的?

这就只能说明两点:第一,道家不等于隐士,隐士不等于道家。准确地说,道家不是隐士,只是“隐士哲学家”。他们的立场、观点、态度,是隐士的,因此主张“不做”。他们的社会角色是哲学家,因此不能“不说”。说什么?把为什么主张“不做”的道理说出来。主张“不做”,同时“要说”,这就是隐士哲学家,也就是道家。第二,作为隐士哲学家,道家其实还是关心国家大事、天下兴亡的。只不过在他们看来,这个社会,这个天下,已经没救了。要救,也只有一个办法,那就是“无为”。这就是他们与儒墨两家的根本分歧。因此,所谓“儒道之争”,就可以概括为三句话:有药可救,还是无可救药;拯救天下,还是拯救自己;积极有为,还是消极无为。

先说第一条。

道家は、そのような人々の代表です。道教の思想は、このような人々の哲学です。しかし、それでは問題があります。第一、儒と俠は哲学が必要で、代表が必要で、彼らは事をするためです。事をするには、理論の根拠がなければならず、哲学の指導もあります。隠者が何もしないで、哲学をしてどうするんですか。代表して何をしますか?第二、隠者は国家の大事、天下の興亡に対して、「事は自分に関系なくて、高くかかって」、それではあなたは何も言って、また何が言うことができますか?

これは2つだけ説明することができます:第一、道家は隠者に等しくなくて、隠者は道家に等しくありません。正確に言えば、道家は隠者ではなく「隠者哲学者」です。彼らの立場、視点、態度は、隠者的なものであり、そのために「やらない」ことを主張しているのです。彼らの社会的役割は哲学者ですから、「言わない」ことはできません。何ですか?なぜ「やらない」と主張しているのか、その理由を説明します。「しない」と主張しながらも、「言う」のが隠者哲学者、つまり道家です。第二に、道家は隠士の哲学者として、実はやはり国家の大事、天下の興亡に関心があります。ただ彼らにしてみれば、世の中は、世の中は、もう、救いようがありません。救うには一つの方法しかなくて、それは「無為」です。これが儒墨家との根本的な違いです。したがって、いわゆる「儒道の争い」は、三つの言葉に要約することができます:救いがある、救いがない;天下を救います、それとも自分を救います;積極有為か、消極無為か。

第一条です。

前面说了,道家代表的隐士们,是不关心国家大事和天下兴亡的。那么,是他们认为这事不关自己的痛痒吗?不是。人,是社会的存在物。每个人,都只能生活在一定的社会中,隐士也不例外。社会状态好,他们的生活也好;社会状态不好,他们的生活也不好。怎么能不关心?怎么能说关心是不必要的?其实,他们的不关心,是认为关心也没有用,这个社会已经无可救药了。既然无可救药,关心它干什么呢?

这种观点,主要是老子、庄子之前那些隐士们的。这些人是道家的先驱,我们不妨称之为“前道家”。孔子的时代,就有这样的人。孔子和他们的关系,大约是孔子对他们很客气,也很敬重;他们对孔子则不欣赏,也不赞成。

不妨举几个《论语·微子》中的例子。比如楚国的“狂人”接舆,就曾经一边唱着歌,一边走过孔子的车子(歌而过孔子)。歌,当然是故意唱给孔子听的。怎么唱的呢?凤凰啊凤凰,咋就这么倒霉!(凤兮凤兮,何德之衰)过去的不可挽救,没做的还能追回。(往者不可谏,来者犹可追)算了吧,算了吧,那些当权派岌岌可危!(已而,已而,今之从政者殆而)这话意思很清楚:如今这个世道,早就不可救药。你孔某人就算是凤凰,碰到这倒霉的时代,也只能是没毛的凤凰,还不如一只鸡!现在那些执政者早晚要完蛋,你东奔西走找他们干什么!据说,孔子听了立即下车,想跟他谈谈,接舆却一溜烟跑得无影无踪。

如果说接舆的歌还只是暗示,那么,另外两个隐士——长沮和桀溺的话,可就是明明白白的了。有一次,孔子要过河,找不到渡口。正好长沮和桀溺肩并肩在耕地,孔子就让子路去“问津”(询问渡口)。长沮说,驾车的那位是谁?子路说,是孔丘。这里有两个问题需要解释。第一,驾车是子路的事,孔子怎么成了“执舆者”?回答是:因为子路下了车,所以缰绳就到了孔子手里。第二,子路是孔子的学生,对孔子怎么能直呼其名?回答是:因为子路是在对长者介绍孔子。直呼其名而不称夫子,是谦虚,也是对长者的尊重。于是长沮又问:是鲁国那个孔丘吗?子路说,是的。长沮说,那他应该知道渡口在哪(是知津矣)!俗话说,说话听声,锣鼓听音,长沮这是话里有话。他的意思是:孔夫子不是聪明绝顶吗?他连天下的出路在哪都知道,还能找不到渡口?当然,这话也可以做另一种解释:孔夫子早就知道天下的出路在哪儿了,何必还来问我?两种解释,都通。

前にも言いましたが、道家に代表される隠士たちは、国家の大事や天下の興亡には無関心です。では、自分たちには関係ないことだと思っているのでしょうか。違います。人間は、社会の存在です。すべての人、すべて一定の社会の中で生活することしかできなくて、隠者も例外ではありません。社会状態も良いし、生活も良いです。社会状態が良くなければ彼らの生活も良くありません関心を持たないわけにはいきません。どうして関心が不必要だと言えるのですか?彼らの無関心は、関心を持っても仕方がない、この社会はもうどうしようもないと思っているのです。どうしようもないのに、気にしてどうするんです?

このような見方は、主として老子や荘子以前の隠者たちのものです。これらの人々は道家の先駆者であり、「前道家」と呼んでもよいでしょう。孔子の時代にも、そんな人がいました。孔子と彼らの関系、およそ孔子が彼らに対してとても遠慮して、同じくとても尊敬します;彼らは孔子のことを嫌い、賛成もしませんでした。

『論語・微子』の例をいくつか挙げてみます。たとえば、楚の国の接輿「狂人」は、歌を歌いながら孔子の車を通りました。歌は孔子に聞かせるためのものです。どのように歌いましたか?フェニックス、フェニックス、どうしてこんな目に遭ったんですか!(鳳兮鳳兮、何徳の衰え)過去のは取り返しがつかなくて、していないのはまた取り返すことができます。(行く者は諫めてはならず、来る者はなお追うことができる)やめましょう、やめましょう、あれらの権力派は危ないです!(已に、已に、今の為政者に従いて殆んど)この言葉の意味ははっきりしています。あなたの孔某はたとえ鳳凰であっても、この不運な時代にぶつかって、毛のない鳳凰しかできなくて、まだ1羽の鶏に及ばないです!今頃の為政者たちは遅かれ早かれおしまいなのに、東奔西走してどうするんです!それを聞くと、孔子はさっそく車を降りて、話を聞こうとしたが、駕籠は一目散に消えてしまったといいます。

接輿の歌がまだ暗示にすぎないとすれば、他の二人の隠士——長沮と桀溺とは、あきらかです。ある時、孔子が川を渡ろうとして渡し場が見つからなかったのです。ちょうど長沮と桀溺が肩を並べて畑を耕していたので、孔子は子路に「問(渡)す」(渡し場を問う)を命じました。運転している方は誰ですか、と長沮は言った。孔丘です、と子路は言った。ここで説明しなければならないことが2つあります第一、車を運転するのは子路の事なのに、孔子はどうして「執輿者」になったのですか?答えは、子路が車から降りたので、手綱は孔子の手に渡りました。第二に、子路は孔子の弟子なのに、どうして孔子を呼び捨てにできますか?答えはこうです。子路は年長者に孔子を紹介しているのです。先生と呼ばずに呼び捨てにするのは、謙遜であり、年長者への尊敬でもあります。すると長沮は、魯国の孔丘ですか、とたずねた。そうです、と子路は雲った。長沮は、渡し場(知津ですね)を知っているはずだといった。話をすれば音を聞く、どらや太鼓は音を聞く、沮長沮とは言葉に意味があります。孔子は頭がいいじゃないですか、と。天下の道がどこにあるかさえ知っているのに、渡し場がないのですか?むろん、孔子はすでに天下の道を知っていたのに、なぜ私に聞く必要があるのか、という解釈もできます。どちらの解釈も通じます。

子路碰了个软钉子,只好又去问桀溺。桀溺问:先生哪位?子路说:是仲由。子路的回答也是称名不称字,也是谦虚、尊重。桀溺又问:是鲁国孔丘的学生吗?子路说,对的。桀溺说:现在普天之下都是滔滔洪水,谁能改变,你们又和谁一起去改变?(滔滔者,天下皆是也,而谁以易之)与其跟着“辟人之士”,何不跟着“辟世之士”?这意思也很清楚:现在这个社会已经坏透了,烂透了,根本就不可救药。你们与其像孔子那样,只是拒绝与坏人合作(避人),还不如像我们这样,根本就拒绝与整个社会合作(避世)。

长沮和桀溺说完,就只顾埋头干活,不再搭理子路。子路没有办法,只好回去报告孔子。孔子听了,怅然说道:人又不能和动物一起生活(鸟兽不可与同群)。不跟人打交道,又跟谁打交道?(吾非斯人之徒与而谁与)天下如果太平,我也用不着出来搞改革了!(天下有道,丘不与易也)也就是说,正因为世道看起来无可救药,这才需要我们想办法。

类似的话,子路也说过。有一次,孔子在前面走,子路在后面跟,掉了队。为什么会掉队呢?估计是孔子坐车,子路步行,跟不上。这时,子路遇到一位“荷蓧丈人”,也就是用拐杖挑着除草工具——蓧(音掉)的老人,就问:先生看见我老师了吗?荷蓧丈人说,四体不勤,五谷不分,谁是老师(孰为夫子)?这话也历来有多种解释。有人说“四体不勤,五谷不分”是指荷蓧丈人自己的,也有说是指子路甚至孔子的。这样一来,这句话也就有三种翻译。第一种:荷蓧丈人说:老夫四体不勤,五谷不分,哪里认得你们老师?第二种:你们这些人,四体不勤,五谷不分,谁是你们老师?第三种:四体不勤,五谷不分的人也是老师?谁是老师?这三种解释谁是谁非,我们且不去管他,关键是之后子路的议论。子路说:别以为我们不明白。我们主张行不通,那是老早就知道的(道之不行,已知之矣)。

子路は痛い目にあったので、仕方なくまた桀溺に尋ねました。桀溺問:先生どなたですか?子路は「仲由です」と言った。子路の答えも、名を称して字を称せず、謙虚であり、尊重でありました。桀はまた尋ねました:魯国孔丘の学生ですか?そうです、と子路は雲った。桀は言いました:今、天下は滔々たる洪水です。誰が変えることができて、あなた達は誰と一緒に変えるのですか?「人を辟易させる士」に従うより、「世を辟易させる士」に従うのはどうでしょう。それははっきりとしていて、今の世の中は最悪で、最悪で、どうしようもないのです。孔子のように悪人と協力することを拒否する(人を避ける)よりも、私たちのように社会全体と協力することを拒否する(世を避ける)ほうがいいのです。

長沮と桀溺はそう言うと、仕事に没頭して、もう道には構ってくれませんでした。子路は仕方なく孔子に報告しました。孔子はそれを聞いて、「人間は働物と一緒に暮らしてはいけません(鳥獣と一緒に暮らしてはいけません)」と、憮然として言いました。人と付き合わなければ,誰と付き合わなければならないのですか?(吾は斯人の徒に非ずして誰と)天下が太平ならば、私も出て来て改革をする必要はありません!(天下に道あり、丘に易あらず)つまり、どうしようもなさそうな世の中だからこそ、私たちは何とかしなければならないのです。

似たようなことを子路も雲っていました。ある時、孔子が先を歩き、子路が後からついてきて、列に落ちました。どうして落ちこぼれてしまうのでしょうか。おそらく孔子は車で、子路は歩いていたので、ついていけなかったのでしょう。とき、子路にある「荷蓧丈人」、つまりは杖を使ってて草取り道具——蓧(音して)の老人は、と问:さんは私の先生を见たの?と荷蓧丈人四体不勤、五谷を問わず、誰が先生(むを夫子?)この言葉にも、これまでいろいろな解釈がありました。という「四体不勤、五谷を問わず」というのは、荷蓧丈人自分の、子路は孔子のを指すという说もある。そうすると、この文には3種類の翻訳があることになります。1種、荷蓧丈人は智子四体不勤、五谷を問わず、どこにあなた見覚え先生?第2種:あなた達のこれらの人、四体不勤、五穀の区別がなくて、誰があなた達の先生ですか?第三種:四体不勤、五穀の区別がつかない人も先生ですか?誰が先生ですか。この三つの解釈のどちらが正しいか、どちらが正しくないかは、私たちの関知しないで、あとの子路の議論です。子路は言いました:分からないと思ってはいけません。私たちの主張は通じません、それはとっくに知っているのです。

这就有意思。明明知道“道之不行”,为什么还要去推行呢?也有两个原因,一是尽义务,二是有希望。子路说,君子做官,只是为了推行自己的主张,尽到一个士人的责任而已(君子之仕也,行其义也)。像隐士们那样只顾洁身自好,其实是取了小义,乱了大伦。所以“不仕无义”。问题是,如果这社会彻底无救,君子就算做了官,又有什么用呢?说到底,还是认为世道可救,或者希望可救。唯其如此,孔子才开出了救世的药方。

以上就是儒道两家的第一个分歧:天下大乱有药可救,还是无可救药。由此,又引出了他们的第二个分歧:我们应该拯救天下,还是拯救自己?

道家认为应该拯救自己。在他们看来,天下既然已经无药可救,那么,能拯救的也就是自己。这是杨朱的观点。杨朱,是先秦道家第一人。先秦道家有三个阶段,各有一个代表。杨朱代表第一阶段,老子代表第二阶段,庄子代表第三阶段。(冯友兰《中国哲学简史》)可惜杨朱没有留下著作,他的生平也没人知道,只能推测他应该生活在墨子之后,孟子之前。因为《墨子》一书没有提到杨朱,而在孟子的时代他却已与墨子齐名,拥有众多粉丝。《孟子·滕文公下》说,当时杨朱和墨子的学说风行天下(杨朱、墨翟之言盈天下),所有的言论不是赞成杨朱,就是赞同墨子(天下之言不归杨,则归墨),这可真是好生了得!

那么,杨朱有什么主张,竟能够得到如此之多的青睐?

说来简单,也只有四个字:一毛不拔。

それが面白いんです。「道はだめだ」とわかっているのに、なぜそれを推し進めたのでしょうか。それには二つの理由があって、一つは義務を果たすこと、もう一つは希望があることです。子路は、君子が官に仕官するのは、自分の主張を進め、士人としての責任を果たすためである、と言いました。隠士達のようにただ身ぎれいにして、実は小さい義を取って、大きい倫を乱します。だから「やらねば義なし」なのです。しかし世の中が無為になっては、君子が役人になったところで何の役にも立ちません。結局のところ、世の中が救われるというか、救われたいと思っているんです。だからこそ孔子は救いの処方箋を出したのです。

以上が儒道両家の第一の分岐です。天下の大乱は救いがあるのか、救いがないのか。ここから、また彼らの第2の意見の相違を引き出します:私達は天下を救うべきですか、それとも自分自身を救うべきですか?

道家は自分を救うべきだと考えました。天下はもうどうしようもないのだから、救えるのは自分だけだと思っているのです。これが楊朱の考えです。楊朱は、先秦道家の第一人者です。先秦道家には3つの段階があり、それぞれに代表があります。楊朱は第一段階、老子は第二段階、荘子は第三段階を表しています。(馮友蘭『中国哲学簡史』)残念ながら楊朱は著作を残しておらず、彼の生涯も知られていませんが、墨子の後、孟子の前に生きていたと推測されます。『墨子』には楊朱は出ていませんが、孟子の時代にはすでに墨子と並んで多くのファンがいました。『孟子・滕文公下』によれば、当時の楊朱と墨子の説は天下の風行(楊朱、墨翟の言は天下の盈)で、すべての説は楊朱か墨子(天下の言は楊に帰さず、墨に帰す)で成り立っていたといいます。

では、楊朱は何を主張して、こんなに多くの好意を得たのですか?

簡単に言えば、「一円も引かない」の4文字です。

杨朱这主张,也有两个版本。一个见于《孟子·尽心上》,道是“拔一毛而利天下,不为也”;另一个见于《韩非子·显学》,道是“不以天下大利易其胫一毛”。一毛不拔的成语,就是从这里出来的。

这就难以让人接受。只要拔一根毫毛,就能够有利于整个天下,这样的事情都不肯做,岂不是太自私、太小气、太不像话了吗?

但是且慢!杨朱胆敢公然这样说,自然有他的道理。他的主张能够风行天下,也自然有他的道理。据《列子·杨朱》,有一次,墨子的学生禽子(即禽滑釐)问杨朱:拔先生一根毫毛,来拯救天下世道(去子体之一毛以济一世),干吗?杨朱说,世道可不是一根毫毛就能够拯救的(世固非一毛之所济)。禽子说,如果可以,愿意吗?(假济,为之乎)杨朱不理睬他。禽子出门,把这事告诉杨朱的学生孟孙阳。孟孙阳说:你们是不懂先生的用心啊(子不达夫子之心)!还是让我来替先生说吧!请问,如果有人提出,痛打你一顿,给你一万块钱,你干吗?禽子说,干!孟孙阳又问:砍断你一条腿,给你一个国家,干吗?禽子不说话。于是孟孙阳说,与肌肤相比,毫毛是微不足道的;与肢体相比,肌肤又是微不足道的。这个道理,谁都明白。但是,没有毫毛,就没有肌肤;没有肌肤,就没有肢体。一根毫毛固然只是身体中的万分之一,但是,难道因为它小,就可以不当回事吗(奈何轻之乎)?

这话是不是杨朱的意思,我们不清楚。因为有许多学者视《列子》为伪书,至今仍未弄明白。就算是真书,那也是《列子》,不是《杨子》。比较靠得住的办法,是把这里的杨朱和孟孙阳,称为“《列子》中的杨朱”“《列子》中的孟孙阳”。《列子》中的杨朱和孟孙阳,是不是历史上的那两个人,也许永远搞不清。但他们讲的话,还是可以讨论的。

楊朱の主張にも、二つの説があります。一つは『孟子』に見えて、道は「一毛を抜いて天下を利し、為さずなり」です;もう一つは『韓非子・顕学』に見えて、道は「天下の大利を以って其の脛の一毛を易やすべからず」です。一文もない成語は,ここから出てきたのです。

これでは納得がいきません。たった一本の毛を抜いて天下のためになるようなことをしないなんて、あまりにも身勝手で、けちで、みっともないじゃありませんか。

ですが待て!楊朱があからさまにそういったのには、一理ありました。彼の主張が天下を風靡したのには、彼なりの理屈があります。『列子・楊朱』によると、ある時、墨子の弟子である禽子(すなわち禽滑厘)が楊朱に、先生の一本の毛を抜いて、天下の世を救うのですが、どうしますか?世は毛一本で救われるものではない、と楊朱は言います(世固は毛一本では済まされない)。もしよければ、と禽子さんは言いました。(仮済、為之乎)楊朱は相手にしません。禽子は外に出て、楊朱の弟子孟孫陽にこのことを伝えました。孟孫陽は言います:あなた達は先生の心がけが分からないのです(子が夫の心に達せない)!先生の代わりに、わたしがお話しします。お聞きして、もしある人が提起して、あなたを1回殴って、あなたに1万元をあげたら、あなたは何をしますか?禽子は言います、やります!孟孫陽はまた尋ねます:あなたの1本の足を切って、あなたに1つの国家をあげて、どうしてですか?禽子は黙っていました。そこで孟孫陽は、肌に比べれば、毛など取るに足らないものだと言います。身体に比べれば、肌など取るに足らないものです。この理屈は,誰でもわかっています。毛がなければ肌もありません肌がなければ、体もありません。1本の毛は体の1万分の1ですが、小さいからといって平気でいられるものでしょうか。

それが楊朱の意味かどうか、私たちにはわかりません。『列子』を偽書とする学者も多く、いまだにはっきりしていません。本物だとしても『列子』であって『楊子』ではありません。頼りになるのは、ここの楊朱と孟孫陽を、「『列子』の楊朱」「『列子』の孟孫陽」と呼ぶことです。『列子』の中の楊朱と孟孫陽は、歴史上のあの二人かどうか、永遠にわからないかもしれません。しかし、彼らの話は、議論することができます。

应该说,这“《列子》中的孟孙阳”,还真是话糙理不糙,也有道理和教训。有什么道理和教训呢?第一,口子不能乱开。你今天可以拔一根毛,明天就能撕一片皮;今天可以挖一块肉,明天就能剁一条腿;今天可以伤害身体,明天就能杀人或者自杀。千里之堤,溃于蚁穴;口子一开,不可收拾。孟孙阳问禽滑釐,拿一条腿换一个国家行不行,禽滑釐为什么不回答?因为他很清楚,下面的问题,就是“砍掉你的脑袋给你整个天下”,那也能同意吗?

第二,局部不可小看。没错,整体利益确实大于局部利益。就连“《列子》中的孟孙阳”,也说“一毛微于肌肤,肌肤微于一节,省矣”。但这绝不意味着局部利益就不是利益,就是可以随便牺牲的。因为整体不过局部之和。你不把局部利益当回事,今天牺牲一个,明天牺牲一个,最后整体利益也没有了。不要说什么“大河不满小河干”,事实是,长江、黄河都由涓涓细流汇集而成。所有的泉水、溪流、小河都干了,长江、黄河还有水吗?

这两个道理用于社会问题,就能推导出第三个教训:别把小民不当人。或者说,不要动不动就以国家天下的名义,任意侵犯和剥夺人民个人的权利。个人之于国家、天下,或许有如毫毛与肢体、全身,但难道因为他们小,就可以不当回事吗(奈何轻之乎)?小民也是人,小民的生命也是生命。只要是生命,就要尊重,就要珍惜,哪怕它轻如毫毛。谁要把我们这些小民当作毫毛,随随便便就拔了,对不起,不干!

显然,杨朱所谓“拔一毛而利天下,不为也”,只不过“极而言之”,并非当真是只要拔一根毫毛,就能够有利于整个天下,也不干。因为“世固非一毛之所济”,哪有只拔一根毫毛就能有利于天下的呢?说穿了,不过是下套,先哄骗我们献出一根毫毛,然后哄骗我们献出肌肤和肢体,最后哄骗我们献出生命。因此,对付的办法,就是把话说透,说到底,说到极点:别说要我的命,就算只要一根毫毛,也不给。

と言うべきか、この「『列子』の中の孟孫陽」、本当に話がざらざらしていて、道理も教訓もあります。どんな教訓があるのでしょうか?第一に、むやみに開いてはいけません。今日は毛を一本抜き、明日は皮を一枚裂けます。今日は肉を一切れ、明日は足を一本切り刻むことができます。今日は体を壊すことができ、明日は人を殺すことも自殺することもできます。千里の堤防も蟻の巣で崩れます口が開いたら,収拾がつきません。孟孫陽、1本の足を持って1つの国を交換することができ(ありえ)て、禽滑厘どうして答えませんか?禽滑厘次の質問は、「あなたの首を切って天下をあげる」ということだとわかっていてもいいのでしょうか。

第二に、局部を侮ってはいけません。たしかに、全体の利益が部分の利益よりも大きいのです。「『列子』の中の孟孫陽」でさえ、「一毛は肌に微かに於いて、肌は一節に微かに於いて、省きます」と言っている。しかし、それは決して一部の利益が利益ではなく、犠牲にしてもいいということではありません。全体は部分の和にすぎないからですあなたは局部の利益をものともせず,今日1つを犠牲にし,明日1つを犠牲にして,最後には全体の利益もなくなってしまいます。「大河は小川に劣る」などと言わないまでも、実際には、長江も黄河も、涓涓たる細い流れが集まってできているのです。すべての泉、渓流、小川はすべて乾いて、長江、黄河はまだ水がありますか?

この2つを社会問題に当てはめると、「小さな人を人とは違うものにするな」という第3の教訓が導き出されます。あるいは、ともすれば国家天下の名のもとに、人民個人の権利をむやみに侵奪してはいけません。個人の国家、天下に於ては、毫毛、肢体、全身のごときものがあるかも知れませんが、彼等が小さいからといって、それをないがしろにしてよいものでしょうか。小民も人、小民の命も命です。生命でさえすれ(あれ)ば、尊重しなければならなくて、大切にしなければならなくて、たとえそれは少しの毛のように軽いですとしても。誰が私達のこれらの小民を毛と思って、簡単に抜いて、申し訳ありません、しません!

あきらかに楊朱のいう「一毛を抜いて天下に利あり、為さず」というのは、ただ「極言すれば」であって、本当に一本の毛を抜いたからといって、天下全体のためになるわけではなく、またやらないのです。「世固は一毛のなすところにあらず」ですから、毛を一本抜いただけで天下のためになるものがあるでしょうか。つまり、毛一本をわなにして、肌や身体をわなにして、最後に命をわなにして、わなにするのです。だから、対処の仕方は、とにかく、命はおろか、毛一本でもくれません、と極言することです。

何况杨朱不但说过“损一毫利天下不与也”,还说过“悉天下奉一身不取也”,而且这两句话是连在一起的,全文是“损一毫利天下不与也,悉天下奉一身不取也。人人不损一毫,人人不利天下,天下治矣”。什么意思呢?就是说,牺牲个人来满足社会(损一毫利天下),不对;牺牲社会来满足个人(悉天下奉一身),也不对。社会和个人是对等的,谁也不能损害谁。只有个人和社会都不受损,都不牺牲,才是天下大治。这就是杨朱思想的完整表达。这样的思想,怎么能叫极端自私?

更何况当时的情况,不但是要求小民们牺牲个人(损一毫),而且牺牲个人的结果,竟不过是牺牲整个社会(悉天下)来满足另一些个人(奉一身),这才叫极端自私!问题是,这种极端自私的行为,却又是打着大公无私(利天下)的旗号来进行的。因此,为了矫枉,只好过正,即为了否定“悉天下奉一身”,只好连“损一毫利天下”也一并否定。也就是说,你想“损人利己”吗?对不起,我“一毛不拔”!

いわんや楊朱は「一毫利天下を損して与らず」というだけでなく、「悉天下奉一身不取也」とも言っています。しかもこの二つの言葉は連なっていて、全文は「一毫利天下を損して与らず、悉天下奉一身不取也」です。人々は一毫も損をせず、人々は天下に不利であり、天下は治まります」。どういうことですか?つまり、箇人を犠牲にして社会を満足させる、違います;社会を犠牲にして個人を満足させるのも正しくありません。社会と個人は対等であり、誰も誰かを傷つけることはできません。個人も社会も損することなく、犠牲にならないのが、天下の大治です。これが楊朱の考えの完全な表現です。このような思想をどうして極端な利己主義と呼ぶことができますか?

まして当時の情況、ただ小民たちに箇人を犠牲にすることを要求するだけでなく(一毫も損をする)、その上箇人を犠牲にした結果、なんと全体の社会を犠牲にして(天下を悉く知っている)他の箇人を満足させて(一身を捧げている)、これこそ極端な利己です!問題は、このような極端に利己的な行為が、大公無私(利天下)を旗印にして行われていることです。そこで、矯めるためには正を過ぎるしかなく、つまり「悉く天下を得て一身を奉ずる」を否定するために、「一毫を損って天下を利とする」までも否定するしかないのです。つまり、「損をして利己的になりたい」ということですか?すみません、私は「一銭も出しません」!

看来,杨朱的思想是被曲解了,杨朱本人也被妖魔化了。这也并不奇怪。思想的传播有一个规律,就是简单化。因为只有简单化,也就是说,只有把深刻的思想变成通晓明白、简单明了、一听就懂、朗朗上口的短语和口号,才能得到最广泛的传播。这可是有风险的。由于语言的多义性和理解的多样性,这些简单的说法很容易被曲解。如果这种简单化的工作还是由论敌、对手或者不怀好意的人来做,就很有可能被妖魔化,比如共产主义就曾经被妖魔化为“共产共妻”。杨朱思想的命运也大约如此。“损一毫利天下不与也,悉天下奉一身不取也”的观点,如果被删去后半句,就已是片面,已是歪曲;如果再被简单化为“一毛不拔”,那么,想不被妖魔化,都不可能。明白了这一点,我们才能理解孟孙阳的那句话:你们是不懂先生的良苦用心啊(子不达夫子之心)!

实际上,杨朱不但主张“一毛不拔”,同时还主张“天下为公”。(详见本书第六章第二节)他也不反对天下大治,更不反对天下太平。只不过在他看来,这不能靠牺牲个人来实现。因为所谓“天下大利”,正是无数“个人小利”的总和,这就叫“积一毛以成肌肤,积肌肤以成一节”。因此,只有每个人的生命都不受伤害,每个人的利益都不受损害,天下才能大治,也才叫大治,这就叫“人人不损一毫,人人不利天下,天下治矣”。

どうやら、楊朱の思想は曲解され、楊朱自身も魔化されてしまったようです。不思議ではありません。アイデアの伝播には単純化という法則があります単純化、つまり、深い考えをわかりやすく、わかりやすく、わかりやすく、キャッチーなフレーズに変えてこそ、最も広く伝わるからです。リスクがあります。言葉の多義性と理解の多様性のために、このような単純な表現は曲解されやすいのです。楊朱思想の運命もおよそこのようです。「一毫の利を損ねて天下を利とせず、悉く天下を奉じて一身を奉じ、取らずなり」という観点は、もし後半の句を削られたら、すでに一面であり、すでに歪曲である。それ以上に「一円も出さない」と簡単になってしまうと、モンスター化されることもありません。この点を理解して、私達はやっと孟孫陽のあの話を理解することができます:あなた達は先生の良苦の心がけが分からないのです(子達夫子の心)!

実際、楊朱は「一毛不抜」を主張しただけでなく、同時に「天下為公」をも主張しました。(詳しくは第六章の第二を参照)彼は天下が大治することにも反対しませんし、天下が太平であることにも反対しません。ただ、彼の考えでは、それは個人を犠牲にすることでは実現できません。「天下の大利」とは、無数の「個人の利」の総和であり、これを「一毛を積めば肌となり、肌を積めば節となる」といいます。だから、ただ一人一人の生命がすべて傷つけられないで、一人一人の利益がすべて損害を受けないで、天下は大いに治まることができて、同じく大治と言って、これは「人人一毫も損をしないで、人人が天下に不利で、天下は治まる」と言います。

这就是典型的道家思想了,即“无为而无不为”,或者说“不利而无不利”。所有人都不损害自己,那就没人受损害;所有人都不做牺牲,那就没人做牺牲。一个既没人受损害,又不需要有人做牺牲的社会,岂非太平盛世?

问题是,这可能吗?

儒家认为不可能,墨家也认为不可能,只有道家认为可能,而且应该。于是,他们便又有了第三个分歧:积极有为,还是消极无为。

これは典型的な道教の思想で、すなわち「無為無為」、あるいは「不利無不利」です。すべての人はすべて自分を損害しないで、それでは誰も損害を受けません;誰も犠牲にしなければ、誰も犠牲にしません。誰も被害を受けず、誰も犠牲を出さない社会が、平和ではないでしょうか。

問題はそれが可能かどうかです

儒家はあり得ないと思って、墨家もあり得ないと思って、ただ道家はあり得て、しかもあるべきです。そこで彼らはまた第三の意見の相違があります:積極有為、それとも消極無為。

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